西洋剣術、中国剣術(刀術)、日本剣術など、国によって刀剣の形も違えば剣術のバリエーションも多彩だが、本項目では主に日本剣術について記述する。
概要
日本においては、日本刀を扱う技術である、と言い切って良いだろう。沖縄には中国式の剣術も若干伝わっているようだが、ここでは除外する。本来は居合、抜刀術も含めた概念だが、現在では単に「剣術」と言った場合は居合を含まないことが多い。通常二刀、小太刀を用いる場合、一刀の技術とは区別されて伝承している。
歴史
「既に神代に刀剣あり。之が利用の道を求めんとするは人間の通性である」
「日本剣道史」において、山田次郎吉はこう述べている。その通り刀剣が存在する以上剣術もまた存在したはずであり、剣術の始まりは大陸から青銅器が伝わった時であろう。が、この時代の剣術については全く伝わっておらず詳細不明である。
剣術創成期の伝説
現存する剣術流派の起源を遡っていくと、大体鹿島の太刀か京八流に行き着く。鹿島の太刀はもはや実態が分からず、京八流に至っては実在すら怪しいとされているが、以下に概略を述べる。
なお、両者とも異説あり。
- 鹿島の太刀
- 仁徳天皇の時代(四世紀頃)、国摩眞人なる人物が鹿島神宮に祭壇を設けて祈り、神妙剣の術を授かった。これは後に「鹿島の太刀」と呼称され、日本剣術の源流となった。
- 以上が鹿島の太刀の伝説である。七人の神官によって伝承されたため、「関東七流(鹿島七流)」と呼ばれるようになったという話もある。古くは鹿島神宮に代々伝承されていたとされ、九州に赴く防人達の為に伝授された、とも伝えられる。
- 京八流
- 平安時代末期、鬼一法眼(きいちほうげん)なる人物が鞍馬寺で八人の僧に剣術を伝えた。後に弟子である八人の僧が伝えた剣術を京八流と称するようになったという。
- 以上が京八流の伝説である。中条流や鞍馬流はこの京八流を源流としている。なお、研究者によっては仏教系剣術として、神道系の鹿島の太刀と対比させることがある。
兵法三大源流
剣術の流派が成立し始めたのは、室町時代とされている。この時期に興った中でも特に後世に多大な影響を与えた三流派を、兵法三大源流と呼ぶ。
- 【 念流 】
- 念阿弥慈恩(相馬四郎義元)を流祖とする。幼い頃父を殺され仏門に入った念阿弥は、敵討ちを目指して剣の修行を積んだ。後に還俗して父の敵を討ち、再び禅門に入り慈恩と名を改めた。その後諸国を回って広めたのが念流である。
- 念流の系譜で現在まで続いている流派には馬庭念流がある。この流儀はその名の通り、上州馬庭の地に代々伝えられた(江戸時代に一度失伝したけど)剣術で、足幅を広く、後足に重心をかけ、守りを主体とした技法を遣う。
- また、現在の鹿島神流の技法は、馬庭念流の影響を多分に受けているとも言われている。
- 【 神道流 】
- 兵法三大源流における「神道流」は、単に鹿島、香取の地に伝わっていた剣術の事を指すらしい。恐らくは上で述べた鹿島の太刀(もしくは関東七流)の道統であろう。
- とはいえ、飯篠長威斎が神道流系各流の開祖の師となっていることから、一般には香取神道流のことだと解釈されることが多い。この香取神道流は現在も香取の地に伝わっており、日本剣術としては異様に長い組太刀に特徴がある。詳しくは天真正伝香取神道流の項目を参照。
- この神道流から興った流儀は、鹿島新當流、鹿島神傳直心影流などがある。
- 【 陰流 】
- 言わずと知れた新陰流の源流。流祖である愛洲移香斎は、鵜戸神宮に参篭し、蜘蛛の霊夢によって剣術の極意を悟ったと伝えられる。
- ここから興った流儀は、何は無くとも新陰流である。そもそも陰流は上泉信綱の新陰流で大成し、そこから多数の流派が立ったというのが正確ではないだろうか。新陰流と別系統の陰流が残っているとは、寡聞にして聞かない。
- 純粋な陰流の技法がどのような物だったかは現在に伝わっていないが、新陰流の「燕飛」の勢法は陰流の形が元になっていると言われている。
- なお、上泉信綱は、
-
「余は諸流の奥義を究め、陰流において別に奇妙を抽出して、新陰流を号す」
- と遺している。
剣術の流派の一覧
流派の中でも分派しているものや、廃れて無くなったもの、統合したものなど、それ以外にも多くの流派が存在している。
三大源流
三大源流以外
関連動画
関連商品
関連項目
- 8
- 0pt
スマホ版URL:
https://dic.nicovideo.jp/t/a/%E5%89%A3%E8%A1%93
https://dic.nicovideo.jp/t/a/%E5%89%A3%E8%A1%93