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割礼とは、
- 陰茎の包皮を切除すること、およびそれに類する行為を指す日本語。宗教的なニュアンスを持つ。この記事で詳述。
- 日本のサイケデリック・ロックバンド。結成時の名称は「割礼ペニスケース日曜日の青年たち」であり男性器と関連していることから、名称は1.に由来すると思われる。
- 日本のテレビアニメ「BRIGADOON まりんとメラン」に登場する作中用語。作中では「処刑する」という意味のようである。
概要
性器の一部を切除することである。多くは男性に対して、幼少期~思春期に行われる。女性に対して類似のことが行われる場合もあるが、これについては「割礼」と呼ぶべきではないという意見が強くなっている(『女性器切除、あるいは「女子割礼」』の項で後述)。
中東・東欧・アフリカ・東南アジアの各国では、アブラハムの宗教の教義を理由として行われる。
またアフリカおよびオセアニア、カリブ海、アメリカ大陸の先住民部族の一部では、風習あるいは民族宗教に基づいて、通過儀礼として行われる。
さらにアメリカ合衆国に代表されるいくつかの国家では、宗教や風習とはかかわりなく、衛生目的の予防医療として男児に対して広く行われている。
具体的な方法、切除部位
人間の男性の陰茎は先端部分の丸みを帯びてやや膨らんだ「亀頭」と、その根元側の「陰茎体部」に分かれる。出生時には亀頭は陰茎体部側から伸びた「包皮」で完全に覆われており、かつ包皮の内側と亀頭の表面が癒着しているために亀頭を露出することができない。
陰茎の成長に伴って徐々に包皮と亀頭の癒着は外れていき、最終的に包皮を根元側にずらすことで(あるいはずらさなくても)亀頭を完全に露出する事が可能となる。例外として、何らかの理由で包皮をずらすことができずに亀頭を露出することが困難な場合を「包茎」と呼称するが、これについての詳細は「包茎」の記事に譲る。
この亀頭を包んでいる包皮を、「宗教的・文化的な理由から」切除することが狭義の「割礼」である。これはユダヤ教の旧約聖書の描写に由来する方法であり、世界で最も数多くなされているやり方であると思われる。
ただし、他の文化・宗教によっては、例えば尿道の下方を切り裂くなど、包皮を切除する以外の手法を取られることもある。
翻訳
日本語「割礼」は後述の宗教的行為を描写することに主眼を置いた用語である。そのため、成人の包茎を治療するための医療行為「包茎手術」のうち一部の手法は「割礼」とほぼ同じことを行っているにもかかわらず、「割礼」と表現することは少ない。
これに対して英語で「割礼」を意味する「circumcision」は、包茎手術方法の一種を指す医療用語としても用いられる。
と翻訳し分けている。
医療行為として行われている場合でも、「乳児あるいは年少の者に行う」場合は、歴史的背景から見て明らかに旧約聖書の流れを汲む宗教的行為としての「割礼」の影響を受けているため、「割礼」と翻訳される場合がある。
また、文化的に「割礼」に抵抗感が少ない地域においてHIVの蔓延を予防する為に行われる場合も、その目的としては明らかに医学的なものではあるものの、「割礼」と表現される事が多い。
宗教
ユダヤ教
割礼は少なくとも紀元前数千年前から、中東地域に住む幾つかの部族で何らかの文化的背景から行われていたと考えられている。
そしてその流れを汲み、中東のヘブライ人(ユダヤ人)は自らの民族宗教の教義において割礼を「神との契約の証」として取り込んだ。紀元前数百年前に成立したと推定されている彼らの聖典「タナハ」においても、割礼の重要性は明示されている。
このヘブライ人の宗教、すなわち「ユダヤ教」の聖典「タナハ」は、派生宗教であるキリスト教においても「旧約聖書」として受け継がれている。キリスト教は信者数が多く、また布教に熱心な宗教であるため日本語訳もなされており、現在も日本語訳で該当部分を容易に参照することができる。
「創世記」第17章
割礼については旧約聖書(タナハ)の複数個所で言及されているが、最も重要な部分は「創世記」の第17章、第9~14節だろう。
ここでは、神(Y・H・V・H・)が預言者「アブラハム」に与えた契約について記されている。
第9節:
そして神は告げた。「あなた方と、あなた方の代々の子孫は私の誓約を守らなければならない。第10節:
これが今からあなた方が守らなければならない、私との誓約である。あなた方の全ての男性は割礼を受けなければならない。第11節:
あなた方は包皮の肉を切り取られるであろう。これが私とあなた方との間の誓約と見なされるであろう。第12節:
あなた方の内、齢八日を過ぎた者は割礼されるであろう。あなた方の代々の全ての男性であり、家で生まれた者も、あるいはあなた方の子孫ではなく異邦人から購入された者も同様である。第13節:
家で生まれた者も金で買われた者も割礼されなければならない。私の誓約は、あなた方の肉体に不朽の誓約として刻まれる。第14節:
割礼を受けていない者、すなわち包皮の肉を切り取られていない者。その者のいのちは、彼の民衆から廃されるであろう。彼は私の誓約を破った者である。」
「創世記」第34章
「創世記」第34章にも割礼が登場する。ここでは、異民族の街の男たちの誅殺を行うための計略として割礼が利用されている。甘言を弄してその街の男たち全員に割礼を受けさせたシメオンとレビは、数日後にその街を襲撃し、男たちが割礼の痛みに苦しんでいる隙を突いて皆殺しにする。
これについての詳しくは「シメオン」の記事を参照されたい。
キリスト教
キリスト教は言うまでもなくユダヤ教から派生した宗教であり、ヘブライ人であるイエス・キリストも割礼を受けていた。このことは新約聖書「ルカによる福音書」に明記されている。
だが後述の理由により、現在のキリスト教の多数の宗派では割礼を必須の物とは見なしていない。現在も盛んに割礼を行っているのは、エジプトのコプト教会、エチオピアのエチオピア正教会など中東~アフリカの一部の宗派など、少数の教会のみであるという。
初期キリスト教において
キリスト教はその成立当初はユダヤ教の分派という性質が強かったため、割礼を含む多くの戒律をユダヤ教から受け継いでいた。
しかしキリスト教はその教義においてユダヤ人以外の異邦人にも広く宣教することを重視していたため、戒律の中でも苦痛と危険を伴う割礼は宣教を行う上での障害となった。そのため、宣教の際に割礼を強制しない場合もあった。
だがこういった宣教方針に対して、戒律をないがしろにしていると見なして問題視する者たちも現れはじめた。キリスト教誕生の地の拠点「エルサレム教会」と布教先の拠点「アンティオキア教会」との対立として語られる場合もある。
これを受けてエルサレムで会議が開かれた。この会議の模様は新約聖書「使徒言行録」などに記されているが、戒律を重視する者と、布教を広めるために寛容を求める者の間でかなり紛糾したようである。だが最終的には「パウロ」に代表される寛容を求める布教者の主張が採用された。これ以後、キリスト教においては割礼は必須の物とは見なされなくなっていく。
その後のキリスト教の歴史において権力と結びつき世界中に布教がなされた一連の流れは、ローマカトリック、プロテスタント、イエズス会などを例に挙げてもわかるように、欧州の教会をその中心としていた。すなわち「割礼を強制されなかった布教先」の流れを汲む者たちである。その結果、現在の世界の多くのキリスト教派は割礼を行わない。
「心の割礼」
パウロは上記のように割礼を必須としないことを主張し、それをキリスト教ほぼ全体の方針とすることに成功した。
彼は新約聖書「ローマ人への手紙」において、異郷ローマの地のキリスト教徒に対して以下のような文書で励ましている。
「体に割礼をしているが律法を守らない者は割礼していないのと同じである。そして体に割礼をしていなくても律法を守る者は割礼を受けたも同然である。肉のユダヤ人、肉の割礼が大事なわけではない。心のユダヤ人、心の割礼が重要なのだ」(ローマ人への手紙第2章第25~29節から要約)
この「心の割礼」に対するパウロの記載については全くの彼の私見と言うわけでもなく旧約聖書にもその論拠はあり、たとえば「申命記」にも「心の割礼」に関する記載がある(「申命記」第10章第16節や第30章第6節など)。
パウロは新約聖書「ガラテヤ人への手紙」でさらに先鋭化した形でこの主張を記載しており、まるで「割礼は受けるべきではない」とまで考えていたかのようにもとれる。
「割礼を受けるならキリストに用は無くなる。ただしその場合は律法を全て守らなくてはならない。律法によって義とされようとするならば、それはキリストの救い・恵みから離れている。」(ガラテヤへの手紙第5章第2~4節から要約)
要するにパウロは、「律法を守るか否かよりも、何よりもキリストへの信仰が重要である」という事について、最も代表的な律法である割礼を例にとって強調したかったものと思われる。
イスラム教
イスラム教独自の教典「クルアーン」ではあまり割礼について記載されていないと言われる。
しかしイスラム教はユダヤ教やキリスト教の流れを継承して成立した宗教であり、唯一神「アッラー」はすなわちユダヤ教のタナハやキリスト教の聖書に記載される神「Y・H・V・H・」の事を指している。当然、それらの聖典に登場する割礼についても重要視される。
何より、イスラム教は開祖ムハンマドを大変重視する宗教であり、そのムハンマドに関連した慣行「スンナ」も尊重される。その「スンナ」に照らすと男子の割礼は非常に重要であるとされ、現在でも殆ど全てのイスラム教徒の男子が割礼を受ける。ユダヤ教の場合とは異なり割礼を受ける年齢には幅があり、下は新生児から、上は15歳くらいまでに行われるという。
衛生・医療的な効果
割礼には一定の衛生的な効果が認められている。単純に恥垢が貯まりにくくなるという点以外にも、下記のような明確な効果があることが知られている。
ちなみに過去には他にも様々な疾患への効果が謳われたこともあったが現在では概ね否定されている。これらについては後程「大英帝国の旧植民地」の項で触れる。
性感染症予防
科学的に確認されているものとしては、性感染症の予防効果が挙げられる。割礼されて包皮が取り除かれた陰茎は粘膜の表面積が少なくなり、また包皮と亀頭の間の空間が無くなるために同部に病原体を含む分泌物などが貯まることもない。そのために性感染症に罹患しにくくなるものと推定されている。
コンドームの方が予防効果は高いのだが、宗教的・経済的理由などからコンドームの使用が普及しにくい地域もある。そういった地域はHIVの蔓延地域と重なっている場合があり、HIVへの感染後に引き起こされるAIDSは発症すると生命に関わる重要な性感染症であるため、この効果は重要である。世界保健機関(WHO)や国連エイズ合同計画(UNAIDS)は「割礼がHIV感染リスクを低減する」という研究結果に非常に着目しており、コンドームが普及しない地域での割礼の奨励を計画している。
ただし多く見積もってもリスクを6-7割程低減するだけであり、どうしてもコンドームが使えない理由が無い限り、素直にコンドームを使用した方が効果的である事は言うまでもない。
性器の癌の予防
男性の陰茎癌のリスクを軽減させるという研究結果がある。またセックスパートナーの女性の子宮頸癌のリスクも軽減するとされる。おそらく、これらの癌の原因となるウイルスの定着や感染を予防するためかと思われる。
ただし陰茎癌自体がかなり稀(十万人に一人程度)であるため、この癌予防効果の実用的な意味は疑問視される場合もある。
割礼が行われる地域と、その背景
中東、東欧、東南アジアのイスラム諸国
これらの諸国の男性は割礼を受けている割合が高い。ほぼ100%に近い国もある。
その理由はもちろん、上記に挙げたようにイスラム教において割礼が「スンナ」として重要視されているためである。
イスラエル
アフリカおよびオセアニア
これらの地域では部族の通過儀礼として、あるいは民族宗教の神話からくる宗教儀礼として割礼が行われる場合がある。有名な例としてはケニア~タンザニアに住むマサイ族など。これらの地域では「女子割礼」として女性にも性器切除が行われる場合があり、国際的な非難や懸念の対象となっている。
ただしアフリカの一部の国での男子割礼は、イスラム教やキリスト教(前述したコプト教会、エチオピア正教会)の信仰が理由となっている場合もある。
大英帝国の旧植民地
19世紀まで、ヨーロッパのキリスト教徒の間では割礼について「時代遅れで奇妙な、異教徒の危険な習慣」と見なされていたようだ。しかし19世紀半ばごろからイギリスで医師らが衛生的・医学的な効果を見出したために、大英帝国およびその植民地・旧植民地において割礼が普及しだした。
その「効果」には、「性感染症の予防」という現在でも認められているものもある。だが「てんかん」「不眠症」「喘息」「消化不良」「狂気」などの予防効果があるという、現在の医学的知識に照らすと明らかに怪しげな主張も含まれていた。また、「自慰行為の予防」にもなるとも言われていた。当時は自慰行為は様々な疾患の元になる健康に有害なものであると考えられていたのである。女性に対して「ヒステリー」や「色情狂」の治療と称して「割礼」の名の元に陰核亀頭に対する外科手術が行われていた例もあった。
その後、第二次世界大戦が終了した頃には、それらの効果に対する否定的な見解や、割礼手術の失敗による死亡事故の報告などが世間に広まったことで、イギリス本国およびニュージーランドでは急速に割礼は行われなくなっていった。しかしアメリカ合衆国、オーストラリア、カナダなどでは割礼は社会に定着し続けている。
2010年にアメリカ合衆国で出生した58.3%の男児が割礼を受けたという統計データもある。半分以上と言う高い割合ではあるが、年々少しずつ減少しつつあるという。
韓国とフィリピン
この2国は、アメリカ合衆国からの影響を受けて割礼が普及したと言われている。現在ではこれらの国では「若年男子は割礼を受けているのが普通」と言われる程になっており、その率はアメリカ合衆国よりもさらに高い。
フィリピンは6歳から12歳くらい、韓国では9歳から14歳くらいで割礼を受けるのが一般的なようだ。
批判・悪影響
自己決定権の侵害
上記のように、割礼は多くの場合年少の男性に、新生児期から思春期までのあいだに行われることが多い。つまり本人の意思が関与しない、あるいは意思が未熟な期間に、保護者の意思が大きく関わって決定されていることになる。
「本人の意思が関わらないところで、修正不能な身体改造を行われる」とも表現できる。そのため、自己決定権の侵害であるとして、成人以外に対する割礼に反対している団体も存在する。
性的能力への影響
また、性的能力に悪い影響を与える場合があると言われている。韓国で割礼について行われた統計調査では、割礼を受けた男性のうち、8割の者が「性的能力には何の影響も無かった」とコメントしている。しかし残りの2割の内の、3分の2が「悪化した」と回答し、3分の1が「改善した」と答えている。
即ち、「性的能力はほとんど変化が無い者が大半だが、少数ながら変化する者もおり、悪化する者の方が改善する者よりも多い」と考えられる。
同調査では「悪化した」と回答した者に対して理由も調査されているが、「勃起時の疼痛」が最も多く挙げられたという。これは同じく多かった「勃起時の陰茎の屈曲」という解答と合わせて、手術の際に包皮を多く切り取りすぎたことによるものであると考えられている。また「快感の減少」も挙げられている。
ただしこれは2000年に韓国で行われた手術のみを対象とした調査の結果である。「その時代の韓国での割礼手術の結果」はよく反映していると思われるが、別の国、別の時代での手術ではまた違った結果となると思われる。
快感について他の調査報告を見ると、向上を報告した研究も減少を報告した研究も混在している。割礼の手法によって変化している可能性もある。
女性器切除、あるいは「女子割礼」
女性に対しても、宗教的・文化的な目的から女性器切除が行われる例がある。なお上述したように19世紀のヨーロッパやアメリカ合衆国などでは医学的な見地から陰核亀頭に対する外科手術が行われていたケースもあるが、現在では医学的な効果は否定されており、その目的ではまず行われることはない。
女性器切除の多くはアフリカ、中東、東南アジアのいくつかの国家で行われており、上記の地域の項でも触れたが有名なマサイ族などでも行われている。
女性器のうち「陰核亀頭を切除して、小陰唇も切除する」というかなり女性に負担を強いる方法がアフリカでは最も広く行われている。他には上記に加えて「大陰唇を縫い合わせて閉じてしまう」という処置まで行うさらに激烈な方法や、「陰核亀頭の包皮のみを少しだけ切る」という男性の割礼に近い比較的穏やかな方法など、バリエーションがある。
女性器切除の後に縫い合わせるということはある意味強制的な貞操帯装着という状態となるため、特に女性の処女性を重んじ女性の人権に重きが置かれてない宗教や地域においては結婚相手の必須条件と暗になってしまっている。そのため娘を無事一人前の大人に育て結婚させるためには、どうしても女性器切除を行わなければいけないと親ですら信じ切っているのがほとんどであり、弱者である女性は親族にも頼れないため女性器切除を仕方なく受けて身体に不利益を被ったり最悪死亡している。
また婚姻後は夫より縫い合わせた女性器を引き裂かれて性行為を行うため、そのタイミングでも女性は痛みと出血で心身に大きなダメージを負ったり死亡する事例も多い。局部という痛みに敏感な部位の傷を無理やり裂かれる痛みは想像を絶するものであろう。
このように男性の割礼と比べ医学的な意味は全くなく、宗教・習慣上の文化でしかない上に施術後の女性の人生を大きく損なう可能性が大変大きい女性器切除は年々批判の声が高まっている。しかしあまりにも長い間習慣として根付いてしまい、切除を断るとふしだらな女だと批難され一族から勘当されたり殺害されることもある現実から当事者が声を上げにくく解決策が見出しきれていないのが実情である。
国際的な批判
男性の「割礼」と異なり当人の受ける不利益が多大であることから、国際的な批判が高まっている。陰核亀頭はその名の通り男性の亀頭と相同器官であり、ここを切り落とすという事は即ち、男性の陰茎の亀頭を切り落とすことに等しい。
かつては「女子割礼」と呼ばれていたが、男性の「割礼」のように社会に広く受け入れられたものと類似の名称で呼ぶことは問題点を覆い隠してしまうという指摘があったため、現在では「女性器切除(Female Genital Mutilation、略してFGM)」と呼称されることが多い。
宗教
アフリカの一部の部族、例えばマリのドゴン族などでは、男女両性の割礼が神話に組み込まれている。これら少数の部族では確かに、宗教的な背景のもとに行われていると言えるかもしれない。
しかしキリスト教の一派であるエチオピア正教の信者が多数を占めるはずのエチオピアでも、8割の女性がFGMを受けていたという統計データがある。この場合は宗教とは直接関係の無い単なる習俗として行われている例が大半であろう。
イスラム教とFGM
イスラム教とFGMが強く関係しているというイメージを持っている者も多い。イスラム教国で女性の権利が制限されていることからの類推も含まれていると思われる。
実際にイスラム教がFGMに関連しているかについては、これは一面においては誤っており、一面においては正しい。
まず、コーランやハディース(教祖ムハンマドの言行録)の中に、FGMを強く義務付けるような内容は皆無である。ただしハディース内にFGMを「名誉とみなしつつも、女性に負担になりすぎないように指示する」ような内容も含まれて居ると言われており、そのために半義務的な推奨と見なされている場合もある。
ただし同時にこのハディースによって、イスラム教徒が土地の習俗と関係無く純粋にイスラム教のスンナの範囲で行う場合、「切り落とす」「縫い閉じる」といった激烈な形をとることは少ないとも言われる。
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