概要
作内。遠江守。歴戦界隈では、秀吉家臣団のうち、有名な加藤清正、地味な方の加藤さんこと加藤嘉明、の次に来る忘れられた加藤さんと言われていたり言われていなかったり。
美濃国多芸郡橋爪荘の出身。はじめは斎藤龍興に仕え、その後羽柴秀吉に仕える。近江横山の戦いで朝倉義景軍相手に活躍し、近江国北郡で七百石の知行を与えられた。その後の毛利攻めでも奮闘し、1578年には播磨で五千石が与えられる。
賤ヶ岳の戦いの後に近江国高島城の城主となり、二万石を領す。その後池田輝政の跡を受けて美濃国大垣城に移封され、同時に秀吉直轄領の七千石の代官も任された。しかしその年に秀吉の蔵入地を独断で割いて召し抱えを行ったために秀吉の激怒を買い、領地を没収される。その結果羽柴秀長に預けられた。
けれども翌年には赦免され、討ち死にした伊東掃部助の跡を受けて大和国宇陀郡後を与えられた。さらに佐和山城に入城したと一般的には言われるが、この間の佐和山城主は堀尾吉晴であり、疑わしい。その後小田原征伐の奮戦と羽柴秀勝の国替をうけ、甲斐の国主となる。しかし、朝鮮出兵の最中に病死してしまった。
加藤光泰の最期は石田三成による毒殺ともいわれているが、実際に病気だったことや遺言状を残していることから、あくまでも俗説にすぎない。光泰の死後、息子・加藤貞泰が若年であったことから、甲斐を任せられないという遺言に従い、美濃国黒野四万石に転封。その後加藤貞泰は関ヶ原の戦いで当初西軍につくも東軍に寝返り、最終的には伊予国大洲藩主として江戸時代中存続していった。
補足
軍事能力 | 内政能力 | |||||||||||||
戦国群雄伝(S1) | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | ||||||
武将風雲録(S1) | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | 教養 | - | ||||
覇王伝 | 采配 | 73 | 戦闘 | 70 | 智謀 | 38 | 政治 | 52 | 野望 | 43 | ||||
天翔記 | 戦才 | 142 | 智才 | 76 | 政才 | 104 | 魅力 | 63 | 野望 | 44 | ||||
将星録 | 戦闘 | - | 智謀 | - | 政治 | - | ||||||||
烈風伝 | 采配 | - | 戦闘 | - | 智謀 | - | 政治 | - | ||||||
嵐世記 | 采配 | - | 智謀 | - | 政治 | - | 野望 | - | ||||||
蒼天録 | 統率 | - | 知略 | - | 政治 | - | ||||||||
天下創世 | 統率 | - | 知略 | - | 政治 | - | 教養 | - | ||||||
革新 | 統率 | - | 武勇 | - | 知略 | - | 政治 | - | ||||||
天道 | 統率 | - | 武勇 | - | 知略 | - | 政治 | - | ||||||
創造 | 統率 | 39 | 武勇 | 36 | 知略 | 43 | 政治 | 45 |
関連項目
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