概要
「ザ・ドリフターズ」の一員。「8時だョ!全員集合」「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」など数々のお笑い番組でオリジナルのギャグを多数発表している。
1970年代後半に志村けんが主導権を握るまではドリフ最大の人気者であった。志村が中心的な役割を担うようになって以降も、ドリフのツートップとして活躍した。
近年はコメディアンとしての看板番組は持ってはいないが多くの番組でゲストで登場し、お笑い番組以外でもドラマの役者やコメンテーターとしての仕事も精力的にこなしている。
酔っ払いの演技はもはや芸術の域にまで達しているほどの描写力とデフォルメを発揮し、加藤茶以降のお笑い芸人の演じる酔っ払いは彼の模倣とまで言っても過言ではないほどの完成度の高さを誇っている。
もともとドリフターズはコミックバンドであり、加藤もそこでドラマーとして活動していた。「8時だョ」「カトケン」などをやっていた時代はあまりその腕前を披露する機会は無かったが、1990年代後半からは仲本工事、高木ブーと共に「こぶ茶バンド」を結成、ミュージシャンとしての活動も行っている。
スピード狂の気があり、1970年に交通事故で重傷を負ったり、1987年に首都高速を制限スピード80kmオーバーの時速143kmで走るなどのスピード違反で処分された経験がある。
2度のドリフ脱退未遂
実はドリフターズを2度ほど脱退しようとしたが失敗している。
- 1964年、ドリフターズ内部でのクーデターによるメンバー大量脱退で解散の危機に陥った際、加藤も心が動いたが置き去りにされる形で残ることとなり、リーダーのいかりや長介が奔走して仲本工事、高木ブー、荒井注を新たに加入させてなんとか解散の危機を防いだ。
- 1974年、荒井注が突如ドリフターズを脱退。この際に、実は加藤も脱退しようと考えていた。しかし、荒井が抜け駆けして先に脱退表明をしたため辞めるに辞められなくなってしまった。新メンバー選考の際、リーダーのいかりや長介は自分と同年代の人間を加入させようと考えたが、加藤が自分と歳の近い、当時付き人であった志村けんの加入を強く推したため、志村が新メンバーとなった。
もし仮にこの2回の危機で加藤も脱退していたなら、ドリフはそのまま空中分解して解散していた可能性が高い。
主なギャグ
- 「ちょっとだけよ、あんたも好きねえ〜」 - 「タブー」の伴奏に合わせ、加藤がストリップするギャグ。
- 「カトちゃんペッ!」 - 鼻の下を2本指で押さえながら言うギャグ。ラミレスのパフォーマンスでも有名。
- 「1、2、3、4、やったぜカトちゃん!!」
- 「ひっきしっ!!」 - 加藤独特のくしゃみ。金ダライとセット。
- ヒゲダンス - 志村とコンビのダンス芸。
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関連項目
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