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加賀繁(かが しげる、1985年4月13日-)とは、埼玉県出身の元プロ野球選手(投手)である。
チームメイトからの愛称は「顔が似ている」という理由からがんばれゴエモンの「ゴエモン」、ネットでの愛称は苗字の漢字から「カロカロ」。体格が良く筋肉質なボディをしていることから「中学生の腹筋」大原慎司との対比で腹筋がネタにされることがある。
ムエンゴな概要
OB | |
---|---|
加賀繁 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 埼玉県新座市 |
生年月日 | 1985年4月13日 |
身長 体重 |
181cm 82kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 2009年ドラフト2位 |
引退 | 2018年 |
経歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
小学校3年から野球を始め、当初はライトを、埼玉平成高校時代は三塁を守っていたが、上武大学進学時に上武大の谷口監督の勧めから投手に転向。大学時代は4年の秋季リーグでMVPを獲得している。
大学卒業後は住友金属鹿島硬式野球部に所属し、JABA四国大会でチーム優勝に貢献しMVPを獲得した。
630 名前:どうですか解説の名無しさん 投稿日:2010/09/02(木) 18:50:21.73
加賀横浜に入ったこと後悔してそうだなw
これなら社会人のが楽しいんじゃねえの・・・?▼ 632 名前:どうですか解説の名無しさん 投稿日:2010/09/02(木) 18:50:55.86
>>630
社会人時代も無援護だったらしいがww▼ 643 名前:どうですか解説の名無しさん 投稿日:2010/09/02(木) 18:52:18.76
>>632
うん、加賀がいなくなったら都市対抗に出て一回戦突破した▼ 645 名前:どうですか解説の名無しさん 投稿日:2010/09/02(木) 18:52:48.60
>>643
負け運持ちかよ
※加賀の入部は2008年4月、住金鹿島の都市対抗野球出場は2007年(ここまで3年連続)→2010年(3年ぶり)と見事に加賀在籍中のみ切れている。また、このレスのあと住金鹿島は準決勝まで進んだ。
2009年ドラフト2位で横浜ベイスターズから指名されて入団した。背番号は16。
横浜・DeNA時代
2010年(1年目)、開幕直後は中継ぎだったがすぐに先発ローテーション入りし、4試合目となる4月25日の東京ヤクルトスワローズ戦で初勝利を挙げるが、この時点で4試合での援護点は僅か6であり、既にムエンゴの風格が漂っていた。
セ・パ交流戦では千葉ロッテマリーンズに8回無失点、北海道日本ハムファイターズに7回1失点と快投を続けるも、どちらも援護が無く勝敗つかず。6月15日の福岡ソフトバンクホークス戦でようやく2勝目を挙げ、7月13日の広島東洋カープ戦で3勝目。だが、これが最後の白星となる。
その後も閉幕まで先発ローテーションとして投げ続けるが、投げても投げても勝ち星はつかず、一時は規定投球回数未満ながら防御率を2点台に乗せていたがそれでも勝てない。援護がなく、守備がやらかし、後続が勝ちを消し、8月は5試合に先発して一度も勝敗がつかず、9月に至っては5試合30回2/3を投げて援護点は僅か7しかなく4敗を喫するなど、聞くも涙語るも涙な黒星ばかりが積み重なっていく。
10月6日の阪神タイガース戦で6回を投げ、最後の登板で規定投球回数に達したが、この試合も貫禄の援護点0で黒星。最終的に28試合に登板し、防御率3.66ながら3勝12敗。援護率は前年「俊介ちゃん」と呼ばれた渡辺俊介の2.55をさらに下回る2.47でぶっちぎりの両リーグ最下位、9度のQSを達成しながらQS勝利は僅か1と惨憺たるムエンゴっぷりであった。ちなみにこの年、セ・リーグで規定投球回数に達しながら2桁勝利を逃したのは加賀だけである。
シーズンオフにはインターコンチネンタルカップに日本代表として参加。二軍選手がメンバーの殆どである中、援護点を得て勝利投手になるなど活躍。
しかし準決勝のキューバ戦では敗戦投手になる。
【インターコンチネンタルカップのキューバ】
1デュべルゲル 2オリベラ 3ベル 4マジェタ 5ウルゲレス 6グリエル 7アブレウ 8ぺスタノ 9ボロット 投手 Yゴンザレス
【キューバ 北京五輪 (ダルビッシュ先発で負け)】
1デュべルゲル 2エンリケス 3グリエル 4マジェタ 5セぺダ 6ベル 7ロドリゲス 8ぺスタノ 9パレ
【キューバ WBC (岩隈→杉内で勝った試合)】
1オリベラ 2エンリケス 3グリエル 4セぺダ 5セスペデス 6デスパイネ 6アンデルソン 8ぺスタノ 9パレ Yゴンザレスが2番手で登板
この本気メンバーのキューバを相手に6回1/3を12安打4失点と好投(?)し、キューバ監督から褒められた。オフに横浜は先発候補の投手を大量に獲得。このため先発or中継ぎの状態でシーズンを過ごした。
2011年、シーズン開幕時点では牛田成樹が故障したことから、中継ぎで開幕を迎える。開幕戦ではチームがサヨナラ勝ちしたため、勝利投手になる。 しかしその後はマシンガン継投の犠牲者となり、阪神タイガース所属の久保田智之の持つ日本記録である90試合登板を越えるペースで登板させられる。無論、無茶な起用によりシーズン途中で故障により離脱。
復帰したのは9月になってからであり、しかも先発投手として復帰した。復帰後は信じられないことに去年の勝利数(4勝) を越えるが、去年の如くムエンゴに悩まされる試合もあった。
結局成績は防御率3.57で4勝3敗3ホールドであった。
2012年は牛田と江尻慎太郎の故障から再び中継ぎに周り、配置固定も首脳陣から明言された。
シーズン開幕後は中継ぎとして活躍。しかし元々弱かった対左被打率が悪化し、3割を越えるという完全な右打者専用機と化してしまう(左打者には篠原が主に当てられた)。
俺達スレ的においしいネタが殆どなかったが安定感のある投球によって2012年は61試合に登板し、防御率2.86で0勝2敗26ホールドという成績であった。
2013年、開幕前にまたしても「先発転向」というプランが出てくるも、結局中継ぎとして活躍。シーズンを通して対右打者用の中継ぎとして起用され続けた。
この年は本人が前半戦の時点(6月収録のインタビュー)で「開幕からスライダーの調子が悪い」とのことで、その影響から安定性を欠く投球になり、ビハインドでの起用が目立つ年であった。
しかし、選手層の薄いDeNAではビハインド要員すら不足していたため一軍で投げ続け、最終成績は48試合登板、防御率3.97で1勝4敗9ホールドとなった。
2014年、キャリア4回目の先発転向プランから本当に先発に転向。先発ローテーション入りを期待されるも開幕直前に肘痛から戦線を離脱。5月になり先発に戻ってくるも3試合(14回と3分の1)で自責16(防御率10.80)と大炎上。先発としては見切りをつけられて中継ぎに戻って以降のシーズンを過ごすことになった。
中継ぎとしては右キラーのみならず、後半戦ではイニング丸々左右に関係なく任されて抑える姿も度々見られ、中継ぎとしては安定感のある投球を見せた。数字も中継ぎに限定すれば34試合25回を5失点(防御率1.80)13ホールドという頼れる中継ぎとしての数字になっている。
先発中継ぎ合算した成績は37試合登板、防御率4.93で2勝1敗13ホールド1セーブ。防御率はキャリアワースト(当時)を記録するも、プロ入り初セーブも記録(7/25 対ヤクルト戦)。
2015年、中継ぎとして開幕メンバーに名を連ねたが、調子を落とし4月中旬に二軍落ち。6月の交流戦中に再昇格するも1回4失点と炎上し再び二軍落ち。
この年はそのまま昇格する事はなく、9試合(投球回8)の登板に終わった。防御率も7.88とキャリアワーストを2年連続で更新。
2016年は開幕から7月まで二軍で過ごしたが、7/11に一軍に昇格した後は右のワンポイントとして26試合に登板。しかし投球回16.2で防御率5.40とという結果で、キャリアワーストの更新は免れたものの、良いとは言えない成績で終わってしまった。
この年の特記事項は「番長」三浦大輔引退試合となった9月29日の対ヤクルト戦。6回と3分の1で降板する三浦から最後のボールを受け取ったのは加賀。しかし、代わった直後に西浦直亨からホームランを被弾。引退試合でやらかした因果は後に自身の引退試合で帰ってくることとなる(後述)。
2017年、開幕から5月までは二軍、その後5月6日のヤクルト戦に今季初登板。宿命のライバル(?)バレンティンをファーストゴロに切ってとり、対バレンティンの成績を20打数0安打にしたものの、翌日の5月7日、ついに右中間を抜ける安打(二塁打)を打たれ、対バレンティン無安打の記録が途切れた。
更に7月19日にはバレンティンから遂にホームランを被弾。結果として、この打席が加賀対バレンティン最後の対決となった。
この年は全体的に安定感に欠け、33試合26.1回で防御率は4.44と前年よりは改善されたものの、やはりどこか物足りない数字であった。
2018年、この年を以て現役の引退を発表。引退試合は9月21日の中日ドラゴンズ戦に決定した。
この試合では先頭打者限定のピンポイントだが4年ぶりに先発投手としてマウンドに立ち、中日の先頭打者の平田良介を三振に仕留めて降板。以後の投球を京山将弥に託した。
後を託された京山は、直後に京田陽太にソロホームランを被弾。2年前の因果がここに巡り、今度は加賀が打たれる側となってやらかしが再現された。
だがこれ以後は失点を許さず8回と2/3を投げきり実質完投、打線も奮起し9-1で快勝。加賀の引退に華を添えた。
引退セレモニーでは関係者からのビデオメッセージが流されたが、なんと長らく無安打に抑えられていたヤクルトのバレンティンからもメッセージを寄せられ、「加賀との戦いはすごく楽しかったよ。抑えられることが多かったけど、加賀の経歴には敬意を表するよ。」と惜別の想いを語った。
引退後
横浜DeNAベイスターズの球団職員を務め、野球振興部の一員として第二の人生を歩み始めた。
プレースタイル
右投げの独特なフォームのサイドスローから最高149km/h(2011/05/05 vs広島戦で記録した1球のみ)、常時130km台後半~140km(故障前は142,3km/h程度)のストレートとスライダー、シンカーを投げる。特に右打者に対するスライダーは生命線で、投球割合の半分ほどをスライダーが占める年が多かった。
その他の持ち味はコントロールの良さで、BB/9(9イニング投げた際に何個の四球を出すか、という指標)がリーグ平均を下回るなどコントロール系のセイバー指標に優れた。
弱点は右サイドの宿命とも言える対左打者との相性の悪さ。ルーキー時代から被打率が近い数字でも、被OPSが左右で.1以上異なっていたが、年々悪化の一途。対左打者用変化球としてシンカーはあるが、そのシンカーの被打率が高く1イニングを任せられずに対右用中継ぎに甘んじた。キャンプのたびに対左用変化球の強化に取り組むと報道されるも、その結果は中々数字に現れなかった。
2016,17は対右より対左の数字が良くなってはいたが、そもそも全体の数字が悪かったため、最後まで対右中心の戦力として数えられていた。
また、他球団の右打者の外国人選手に対して非常に相性が良く、ヤクルトのウラディミール・バレンティンとは2012年からの4年間で19打数無安打5奪三振、失点は犠飛の1のみ…だったが、前日にファーストゴロに抑えたあとの2017年5月7日、ついにライト方向へ安打(二塁打)を打たれた。打ったバレンティンはよほど嬉しかったのか、打った球を(記録時にするように)記念として貰おうとするなど、苦手とした加賀を打ったことがよっぽど嬉しいと思われる仕草を見せた。
特に2014年の対外国人右打者は22打数3被安打、被打率.136で本塁打も中日のエクトル・ルナに浴びた1本のみという驚異的な成績を残した(参考・2014年の全打者相手の被打率は.255、被本塁打6)。
トモダチ
加賀を語る際に外せないのがムエンゴ。2010年はルーキーながら好投。しかし打線の無援護、守備の『やらかし』、中継ぎや抑えの炎上などにより勝ち星が付かない、あるいは勝ち星を奪われる試合が多かった。
加えて2009年の渡辺俊介よりもムエンゴという結果でシーズンを終えた。
このためやる俺達スレでは引退した現在もトモダチ教の元総裁として確固たる地位を築いている。
_ (⌒Y´ ̄ヽ ● /( ̄)) ● ●
γ´ `ヽ_`と.__ )( ・ ∩( 《 ( ・∀・) ゴロン
)) ,、 , ) ●、_,.ノ ヽ、.__,ノ l つ つ
((_/し∪● .ヽ.__ノ!__)) ゴロン
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( ) [;-繁-] (・∀・ ) カロカロクン ゼッタイニガサナイヨー
( つ (U_U )つ (つ と)
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● ● . / ̄ヽ ̄
(・ ) __ ( )ヽ ゴロン
と ヽ ( ̄))● ● /´ `Y⌒) ●U●J_)
(__ト、__丿 〉 》∩ _) ( .__つ´
ヽ、.__,ノ ヽ、__,.●
成績
年度別投手成績
年度 | 球団 | 登板 | 先発 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2010年 | 横浜 DeNA |
27 | 24 | 0 | 0 | 3 | 12 | 0 | 1 | .200 | 145.0 | 28 | 83 | 67 | 59 | 3.66 |
2011年 | 29 | 9 | 0 | 0 | 4 | 3 | 0 | 3 | .571 | 70.2 | 11 | 51 | 28 | 28 | 3.57 | |
2012年 | 61 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 26 | .000 | 44.0 | 11 | 45 | 14 | 14 | 2.86 | |
2013年 | 48 | 0 | 0 | 0 | 1 | 4 | 0 | 9 | .200 | 34.0 | 10 | 33 | 16 | 15 | 3.97 | |
2014年 | 37 | 3 | 0 | 0 | 2 | 1 | 1 | 13 | .667 | 38.1 | 8 | 26 | 21 | 21 | 4.93 | |
2015年 | 9 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | .--- | 8.0 | 3 | 6 | 7 | 7 | 7.88 | |
2016年 | 26 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | .--- | 16.2 | 6 | 17 | 10 | 10 | 5.40 | |
2017年 | 33 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 10 | 1.000 | 26.1 | 7 | 20 | 15 | 13 | 4.44 | |
2018年 | 9 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | .--- | 10.0 | 0 | 9 | 9 | 9 | 8.10 | |
NPB:9年 | 279 | 36 | 0 | 0 | 12 | 22 | 1 | 72 | .353 | 393.0 | 84 | 290 | 187 | 176 | 4.03 |
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関連項目
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