助っ人外国人(すけっとがいこくじん)とは、主に日本プロ野球(NPB)において、日本国籍ではない(日本国内での教育を受けていない)が日本のプロ野球チームに来てプレーする選手のことである。
サッカー等でも外国人選手が契約を結ぶケースは多々あるが、野球以外のスポーツで助っ人と呼ばれることはあまりない。そのためこの項ではNPBに扱いを絞って説明する。
概要
毎年、各球団3~5人程度の外国人選手が入団するが、そのような選手を言う。主に東アジアやアメリカからやってくる事が多かったが近年は中南米や希にヨーロッパ(国外の自治領などを含む)出身の選手も見られる。各チームは任意の人数の外国人選手を支配下登録でき、さらに4人まで一軍に登録できる(外国人枠)。ここで良い選手を選ぶことができるかそうでないかがその年のチームの成績に響くこともあるため、当たりを引くかどうかがファンの関心事になることもある。
「助っ人」としては主に即戦力を期待されて入団する外国人選手を指して呼ぶ場合が多く、中長期の契約によって育成目的で入団する選手にはあまり用いられることはない。近年では支配下登録ではなく育成選手として契約し、のちに支配下登録になる選手も見られる。
大抵は過去に助っ人外国人をしていた人物などが海外スカウトに転身し、新たな助っ人候補を探してくるが、メジャーで活躍する日本人選手が日本向きだと勧めたり、日本プロ野球のレベルに興味を持ったりして、自ら売り込んでくるケースもある。
あまりにダメダメだったり、成績以上に印象に残った選手については懐かし外人の項目も参照のこと。
外国人枠
何度かルールに変遷があり、現在は一軍登録に対して「投手・野手合計4人まで」「投手のみ・野手のみ4人はNG」というものに落ち着いている。変遷は以下の通りで、※がついているものは「一軍は投手のみor野手のみで最大人数にすることはできない」。
- 1952年~1965年:支配下登録・一軍登録とも3人まで
- 1966年~1980年:支配下登録・一軍登録とも2人まで
- 1981年~1993年:支配下登録は3人まで、一軍は2人まで
- 1994年~1995年:支配下登録は3人まで、一軍は3人まで(※)
- 1996年~1997年:支配下登録の制限はなし、一軍は3人まで(※)
- 1998年~2001年:支配下登録の制限はなし、一軍は投手2人・野手2人まで
- 2002年~現在:支配下登録の制限はなし、一軍は4人まで(※)
あまり例はないが、期限内であれば助っ人外国人をトレードに出すことも可能である。エドウィン・エスコバー(日本ハム→DeNA)、ラルフ・ブライアント(中日→近鉄)などが移籍先で活躍した選手として挙げられる。
なお、外国人であっても日本の学校や社会人チームに規定年数所属していた人物をドラフトで指名した場合、日本人扱いされる。この場合は助っ人とは呼ばない。代表例としては大豊泰昭、林威助、陽岱鋼(3人とも台湾国籍)など。
更に、来日してから長年プレーしたことでFA(フリーエージェント)権を取得した場合、翌シーズンから日本人扱いされる。ただ助っ人外国人はその性質上、他国である程度の年数プレーして結果を残したところをスカウトされるパターンが多いので、日本でFA権を取得する頃には全盛期を過ぎて現役晩年になっているケースも多く、このパターンで外国人枠を外れてから活躍した選手はあまりいない。
著名な助っ人外国人
80年以上の日本プロ野球の歴史上、外国人選手はピンからキリまでいるが、その中でも特筆する選手を軽く紹介する。項目のある人物に関しては詳細は当人の項目を参照。選手の評価は様々だがあまりにも多いので、とりあえずここではこのページで紹介されている30人の選手プラスαを簡単に紹介しておく。
主な助っ人30人
- ランディ・バース
国籍:アメリカ。ポジション:一塁手
所属:阪神(1983~1988)
実働6年、743安打、202本塁打、486打点、通算打率.337
日本の野球ファンにナンバーワン助っ人は誰かと聞けば十中八九彼の名が返ってくるであろう名選手。
2年連続3冠王を達成しており、1986年の打率.389は2022年現在でも日本記録である。
そしてその後の阪神は「バースの再来」を願ってはハズレ外国人を引いてしまうのが風物詩となった。
2023年、野球殿堂入り。 - アレックス・カブレラ
国籍:ベネズエラ。ポジション:一塁手
所属:西武(2001~2007)オリックス(2008~2010)ソフトバンク(2011~2012)
実働12年、1368安打、357本塁打、949打点、通算打率.303
腕廻り58センチという女性のウエスト並のムキムキな身体を誇る。
初年度にいきなり49本塁打、翌2002年には55本塁打を放ち当時の最高記録タイをマークする。
NPBを代表するホームランバッターで打率・出塁率も高い。2009年にFA権を取得。 - オレステス・デストラーデ
国籍:(キューバ→)アメリカ。ポジション:一塁手
所属:西武(1989~1992、1995)
実働5年、476安打、160本塁打、389打点、通算打率.262
「カリブの怪人」の異名をとる。スイッチヒッターのホームランバッターという驚異の存在。
1990年からは3年連続本塁打王、2年連続打点王に輝いている。両打の本塁打王は彼が初めて。
秋山幸二・清原和博とのクリーンナップは「AKD砲」と恐れられて西武黄金時代を支えた。 - アレックス・ラミレス
国籍:ベネズエラ(→日本)。ポジション:外野手
所属:ヤクルト(2001~2007)巨人(2008~2011)DeNA(2012~2013)
実働13年、2017安打、380本塁打、1272打点、通算打率.301
右打者としてはNPB史上最高クラスの打撃力の持ち主で、NPBだけで2000本安打を達成した現状唯一の外国人選手。
大きなケガもなく10年以上に渡って3チームでクリーンナップを担った。通称ラミちゃん。
のちDeNAで監督を務めている。2008年にFA権を取得、引退後の2019年に日本に帰化。2023年、野球殿堂入り。 - ブーマー・ウェルズ
国籍:アメリカ。ポジション:一塁手
所属:阪急/オリックス(1983~1991)ダイエー(1992)
実働10年、1413安打、277本塁打、901打点、通算打率.317
「怪人」の異名をとった200センチ100キロの巨漢。だがその実の姿は選球眼に優れたアベレージヒッター。
4000打数以上の選手の通算打率は右打者としては最高で、あの落合博満をも上回る。三振も少ない。
1984年に三冠王を達成。なお一方でシーズン最多併殺打記録(34回)の持ち主。 - ウラディミール・バレンティン
国籍:オランダ。ポジション:外野手
所属:ヤクルト(2011~2019)ソフトバンク(2020~2021)
実働11年、1001安打、301本塁打、794打点、通算打率.266
2013年にNPBシーズン記録である60本塁打を放った長距離砲。2022年現在その記録は破られていない。
2017年にはWBCのオランダ代表として侍ジャパンの前に立ちはだかった。
怪我や好不調の波が激しく、打率最下位で本塁打王になったこともある。2019年にFA権を取得。 - レロン・リー、レオン・リー兄弟
国籍:アメリカ。ポジション:外野手(レロン)一塁手(レオン)
所属(レロン):ロッテ(1977~1987)
所属(レオン):ロッテ(1978~1982)大洋(1983~1985)ヤクルト(1986~1987)
(レロン)実働11年、1579安打、283本塁打、912打点、通算打率.320
(レオン)実働10年、1436安打、268本塁打、884打点、通算打率.308
兄・レロンは4000打数以上の選手では2022年現在でも最高の通算打率を誇る名打者。
最後の1年以外の9年間で打率3割以上を記録している。
弟・レオンは兄に誘われ来日。1980年には打率のTOP2をレロン(.358)とレオン(.340)が占めた。
首位打者を獲得していない選手の中では通算打率が第1位。引退後、オリックスの監督を務めた。
兄弟でのアベックホームランを10度記録している。 - 郭泰源(かく・たいげん)
国籍:中華民国(台湾)。ポジション:投手
所属:西武(1985~1997)
実働13年、117勝18セーブ、1069奪三振、防御率3.16
最速158キロの剛速球が武器でオリエンタル・エクスプレスの異名を取る。
所属1年目からノーヒットノーランを達成するなど活躍した。1996年に外国人初のFA権を取得。
通算117勝に対し負けは68敗とかなり勝率が高く、西武黄金時代の一角を支えた名投手である。 - タフィ・ローズ
国籍:アメリカ。ポジション:外野手
所属:近鉄(1996~2003)巨人(2004~2005)オリックス(2007~2009)
実働13年、1792安打、464本塁打、1269打点、通算打率.286
中村紀洋らとともに近鉄のいてまえ打線を形成した長距離砲。2001年に55本塁打を記録。
2022年時点で、外国人選手の中での通算本塁打数は最多であり、400本を超えているのは彼ひとり。
2004年にFA権を取得。なお退場回数14回もNPB最多記録だったりする。 - ロベルト・ペタジーニ
国籍:ベネズエラ。ポジション:一塁手
所属:ヤクルト(1999~2002)巨人(2003~2004)ソフトバンク(2010)
実働7年、882安打、223本塁打、635打点、通算打率.312
来日1年目から本塁打王と最高出塁率を記録した名打者。通算打率は3割を超えている。
その上毎年30本以上の本塁打を放ち、2001年のヤクルト日本一にも大きく貢献した。
友人の母(25歳年上)と結婚した事でも知られる。夫婦愛は非常に良い。 - ラルフ・ブライアント
国籍:アメリカ。ポジション:外野手
所属:中日(1988)近鉄(1988~1995)
実働8年、778安打、259本塁打、641打点、通算打率.261
中日では全く出番がなかったがシーズン途中にトレードされると覚醒。本塁打を量産した。
特に1989年終盤のダブルヘッダーでは奇跡の4打数連続本塁打を放ち優勝のキーマンとなる。
一方三振が非常に多いことでも有名で、シーズン三振数記録のTOP5のうち4つを彼が占めている。
- ロバート・ローズ
国籍:アメリカ。ポジション:二塁手
所属:横浜(1993~2000)ロッテ(2003)
実働8年、1275安打、167本塁打、808打点、通算打率.325
横浜マシンガン打線の中核として活躍したアベレージヒッター。
4000打数にあと71届いていないが、届いていれば通算打率は1位のレロン・リーに匹敵する。
サイクルヒットを3度記録しており、これはNPB最多記録である。 - トーマス・オマリー
国籍:アメリカ。ポジション:一塁手
所属:阪神(1991~1994)ヤクルト(1995~1996)
実働6年、820安打、123本塁打、488打点、通算打率.315
選球眼に長けた名打者で、阪神所属の4年間すべてで最高出塁率を記録している。
1995年の日本シリーズでの小林宏相手に14球粘った勝負は語り草(結果はオマリーの三振)
日本でプレーした6年間連続で打率3割を超えており、これは外国人選手としては最高の数字である。 - 郭源治(かく・げんじ)
国籍:中華民国→日本。ポジション:投手
所属:中日(1981~1996)
実働16年、106勝116セーブ、1415奪三振、防御率2.67
長きに渡り中日の投手陣を支えた名投手。台湾出身選手の先駆け的存在。
チーム事情で先発や抑えに何度か配置転換されたが活躍し、100勝100セーブを達成している。
抑えにも関わらず7回から投げるなど優れたスタミナの持ち主。1989年に日本に帰化。 - マーク・クルーン
国籍:アメリカ。ポジション:投手
所属:横浜(2005~2007)巨人(2008~2010)
実働6年、14勝19ホールド177セーブ、417奪三振、防御率2.68
当時の日本記録だった162キロの剛速球を武器にした抑え投手。
横浜では引退直前だった大魔神・佐々木主浩の跡を継ぐ形でリリーフに定着した。
荒れ球気味の速球と150キロ台のスプリットで三振の山を築いた。 - タイロン・ウッズ
国籍:アメリカ。ポジション:一塁手
所属:横浜(2003~2004)中日(2005~2008)
実働6年、851安打、240本塁打、616打点、通算打率.289
日本でプレーした6年すべてで35本以上の本塁打を放ったスラッガー。
来日前は韓国でプレーしており、韓国での評価も高い。李承燁とは当時からのライバル。
本塁打王には3度輝き場外本塁打も量産したが、かなりの守備難でもあった。 - ホセ・ロペス
国籍:ベネズエラ。ポジション:一塁手
所属:巨人(2013~2014)DeNA(2015~2020)
実働8年、1001安打、198本塁打、588打点、通算打率.274
2017年には最多安打・打点王に輝くなど打撃もさることながら
守備が非常に巧く、一塁手としてはNPB最高の1632回連続無失策を記録している。
2020年にFA権を取得したが、翌年以降は契約するチームが現れず引退した。 - 宣銅烈(ソン・ヨンドル)
国籍:韓国。ポジション:投手
所属:中日(1996~1999)
実働4年、10勝98セーブ、228奪三振、防御率2.70
祖国韓国では初め先発、のち抑えを務め、様々な記録を有する「韓国の至宝」。
150キロ台の速球と横・縦の2種類のスライダーを使い分ける実力者。
その後韓国プロ野球から初のNPB入りを果たし、2年目以降は実力を発揮して38セーブを記録した。
(※それ以前に日本でプレーした韓国人に白仁天がいるが、彼は来日前はアマチュアだった)
引退後は祖国で監督を務めるようになり、一時期は韓国代表の監督にも就任した。 - ウォーレン・クロマティ
国籍:アメリカ。ポジション:外野手
所属:巨人(1984~1990)
実働7年、951安打、171本塁打、558打点、通算打率.321
明るく陽気なキャラクターで人気を博した名打者。見ての通り打率が非常に高い。
1989年には年間規定打席を満たした状態でシーズン中に打率4割を達成したこともあるが
その後も出場を続けて成績を落としたため4割は幻となった。 - カルロス・ポンセ
国籍:アメリカ。ポジション:外野手
所属:大洋(1986~1990)
実働5年、601安打、119本塁打、389打点、通算打率.296
トレードマークの口ひげから「マリオ」の愛称で呼ばれた選手。
俊足自慢のスーパーカートリオに続く4番打者を務め、2年連続打点王を記録するなど活躍した。
引退後の現在は日本向けのYoutube動画を配信している。 - デニス・サファテ
国籍:アメリカ。ポジション:投手
所属:広島(2011~2012)西武(2013)ソフトバンク(2014~2021)
実働8年、27勝48ホールド234セーブ、574奪三振、防御率1.55
当初はチームを転々としたが、ソフトバンクの抑え投手となってから完全に覚醒。
2017年にはNPB記録となる1シーズン54セーブを挙げる。
この年の救援失敗は1回だけで、サファテが出てきたらもう勝てないという次元であった。
2018年~2021年はケガに悩まされ、事実上2018年で引退となった。 - ジム・パチョレック
国籍:アメリカ。ポジション:一塁手・外野手
所属:大洋(1988~1991)阪神(1992~1993)
実働6年、842安打、86本塁打、431打点、打率.315
右打のアベレージヒッターで最多安打を3回、首位打者を1回記録した。
本塁打は少ない方だが、阪神に移籍した1992年には22本塁打を放っている。 - ブライアン・シコースキー
国籍:アメリカ。ポジション:投手
所属:ロッテ(2001~2003、2008~2009)巨人(2004~2005)ヤクルト(2007)西武(2010~2011、2013)
実働10年、37勝54ホールド58セーブ、598奪三振、防御率3.10
米球団も含めて様々なチームで活動したリリーフ投手。速球と連投のきくスタミナが武器。
マウンド上で準備運動として腕をぐるぐる回すパフォーマンスが特徴的であった。
登板数438試合は外国人選手の中では郭源治の496試合に次ぐ2位。2010年にFA権を獲得。 - ホセ・フェルナンデス
国籍:ドミニカ共和国。ポジション:一塁手・三塁手
所属:ロッテ(2003)西武(2004~2005、2010~2011)楽天(2006~2008、2012)オリックス(2009、2013)
実働11年、1286安打、206本塁打、772打点、通算打率.282
こちらも様々なチームを渡り歩いたパワーヒッター。とにかく守備が致命的に下手で
2007年には一塁手と三塁手の両方で12失策(共にリーグワースト)を記録しているほど。
その為、指名打者が使えるパ・リーグのチームを流浪することになる。
日本野球に早くから定着しており、実績もあったので、なんやかんやで2003年から2013年まで
どこかのチームに所属して活動していた。2011年にFA権を取得。 - 李承燁(イ・スンヨプ)
国籍:韓国。ポジション:一塁手
所属:ロッテ(2004~2005)巨人(2006~2010)オリックス(2011)
実働8年、686安打、159本塁打、439打点、通算打率.257
「ヨプ」は火へんに華、でおなじみ。
韓国プロ野球ではシーズン56本塁打を放つなど「国民的打者」の異名を取っていた名選手。
2000年シドニー五輪や2008年北京五輪などでは韓国代表として侍ジャパンと対戦している。
米メジャー挑戦を断念して来日したが、なかなか日本の変化球に対応できず苦戦。
だが巨人移籍後の2006年に打率.323、41本塁打を記録するなど次第に順応した。
2011年オフ限りで日本球界を去ったが、2017年まで韓国で現役を続け、引退後は監督に就任している。 - アンドリュー・ジョーンズ
国籍:オランダ。ポジション:一塁手
所属:楽天(2013~2014)
実働2年、215安打、50本塁打、165打点、通算打率.232
メジャーリーグで17年に渡りプレーし、シーズン51本塁打を記録したこともあるマジモンのメジャーリーガー。
通称「AJ」。来日した時には30代中盤であったが4番DHで固定され、楽天の初優勝の原動力となる。
選球眼が良く、プレーした2シーズンともに100四球を記録した。 - 李大浩(イ・デホ)
国籍:韓国。ポジション:一塁手
所属:オリックス(2012~2013)ソフトバンク(2014~2015)
実働4年、622安打、98本塁打、348打点、通算打率.293
韓国球界で三冠王を達成した優秀な打者で、FAを行使して来日した。
194センチの恵まれた体格と広角打法の技術を持ち合わせた器用な人物。
韓国人初の日本シリーズMVPを受賞するなど活躍し、メジャーリーグへ挑戦するため日本を去った。
なおメジャーは1年で断念し、その後は韓国球界に復帰。2022年に引退している。 - ゲーリー・レーシッチ
国籍:アメリカ。ポジション:一塁手
所属:中日(1986~1988)
実働3年、332安打、76本塁打、189打点、通算打率.283
登録名はゲーリー。初年度から36本塁打を放つが三振はリーグワーストの105を記録した。
翌年からはスタイルを変え、三振は半減したが本塁打も減った。だが打率は3割前後に上昇した。 - フェルナンド・セギノール
国籍:パナマ。ポジション:一塁手
所属:オリックス(2002)日本ハム(2004~2007)楽天(2008~2009)オリックス(2010)
実働8年、724安打、172本塁打、483打点、通算打率.273
両打のホームランバッターで、初年度に1試合左右両打席本塁打を3度、通算で9度も記録している。
2007年には左右両打席で合計3本塁打した試合もあった。
ただ好不調の波が激しく、度々ひどい不振に陥ったため所属チームを転々としている。 - ドミンゴ・マルティネス
国籍:ドミニカ共和国。ポジション:一塁手
所属:西武(1997~1998)巨人(1999~2001)
実働5年、497安打、104本塁打、350打点、通算打率.293
愛称はマルちゃん。どっしりとした鈍足体型で守備にもかなり不安が残るが
打てば豪快なホームランというタイプのパワーヒッター。
初年度から3割30本100打点を達成するなど活躍した。
巨人時代は清原和博とのレギュラー争いの結果左翼手に置かれて、ファンの胃を痛くした。
FA権を取得した選手
上記30人以外で、長きに渡って活躍してFA権を取得して日本人扱いになった外国人選手。
- 許銘傑(シュウ・ミンチェ)
国籍:中華民国(台湾)。ポジション:投手
所属:西武(2000~2011)オリックス(2012~2013)
実働14年、49勝39ホールド2セーブ、476奪三振、防御率4.20
先発と中継ぎを行き来しながら西武投手陣を長らく支えたピッチャー。
成績に突出したものはないが、様々な変化球を操って長年登板を重ね2011年にFA権を取得。
外国人としては初めてFAを行使してオリックスへ移籍したが、結果を残せず台湾へと帰国。
なんJなどでは「許さん」と呼ばれていた。 - ジェイソン・スタンリッジ
国籍:アメリカ。ポジション:投手
所属:ソフトバンク(2007~2008、2014~2015)阪神(2010~2013)ロッテ(2016~2017)
実働10年、75勝1ホールド、844奪三振、防御率3.31
メジャーも含め様々な球団を渡り歩いた投手(メジャーでは80試合に登板)。
ソフトバンク(1回目)の時の登録名は「スタンドリッジ」。阪神時代は先発ローテの一角として活躍。
ソフトバンク復帰後もしっかり先発ローテを守り2年連続2桁勝利をあげたが、契約満了で退団。
その後ロッテが獲得し、2017年にFA権を取得したがオフに自由契約となり、そのまま引退した。 - ランディ・メッセンジャー
国籍:アメリカ。ポジション:投手
所属:阪神(2010~2019)
実働10年、98勝1ホールド、1475奪三振、防御率3.13
長年に渡り阪神の先発ローテーションの一角として活躍した選手。
毎年規定投球回を満たし、時には中4日で先発するなど優れたスタミナの持ち主。
2022年現在、通算奪三振数1475はスタルヒンを除く助っ人外国人としては1位である。
2018年にFA権を取得。
その他の外国人選手
もっと古い時代に活躍した選手や、特殊な事情を持った選手などを紹介。
- ヴィクトル・スタルヒン
国籍:(ロシア帝国→)無国籍。ポジション:投手
所属:巨人(1934~1944)パシフィック/太陽(1946~1947)金星/大映(1948~1953)高橋/トンボ(1954~1955)
実働19年、303勝、1960奪三振、防御率2.09
助っ人外国人ではないが便宜上記載。プロ野球黎明期を支えた亡国生まれの名投手。
シーズン42勝、通算完封83回はNPB最高記録。191センチの長身から速球と縦のカーブを使い分けて活躍した。
ノーヒットノーラン達成者。1960奪三振は外国人としては最多である。
1957年、交通事故のため40歳没。1960年、野球殿堂入り。 - 呉昌征(ご・しょうせい)
国籍:日本→中華民国(→日本)。ポジション:外野手
所属:巨人(1937~1943)阪神(1944、1946~1949)毎日(1950~1957)
実働20年、1326安打、21本塁打、389打点、通算打率.272
こちらも助っ人外国人とは言い難いが便宜上記載。日本統治時代の台湾出身で、戦前・戦後ともに活躍した。
俊足・強肩の外野手で「人間機関車」の異名を取る。
1946年には選手不足のために投手も兼ねて、ノーヒットノーランを達成した。
引退後、日本に帰化。1987年、70歳没。1995年、野球殿堂入り。 - 与那嶺要(よなみね・かなめ)
国籍:アメリカ。ポジション:外野手
所属:巨人(1951~1960)中日(1961~1962)
実働12年、1337安打、82本塁打、482打点、通算打率.311
日系ハワイ人二世。愛称は「ウォーリー」。戦後初の外国人選手で、助っ人外国人の先駆け的存在。
戦後間もない時期における日系アメリカ人に対する日本人の目は厳しかったが、結果を出した。
当時の日本野球は上品なプレーが目立っていたが、与那嶺は本場アメリカ仕込みの強烈なスライディングやタックルといったプレーや効率的な走塁技術、守備でのダイビングキャッチ披露といった大旋風を巻き起こした。一方自分も日本の進んだ変化球への対応を熱心に研究していた。
日本の野球を一歩進めた人物のひとりとして高く評価されている。引退後は監督も務めた。
1994年、野球殿堂入り。2011年、85歳没。 - ロベルト・バルボン
国籍:キューバ。ポジション:二塁手
所属:阪急(1955~1964)近鉄(1965)
実働11年、1123安打、33本塁打、260打点、通算打率.241
俊足巧打の内野手で、初年度からリーグ1位の三塁打13本を放ち、49盗塁も記録。
1958年から3年連続盗塁王に輝く。外国人選手では初の1000本安打を達成した。愛称は「チコ」。
ところが1958年、祖国でキューバ革命が起こった為に帰国できなくなってしまった。
以降は日本で暮らし日本人女性と結婚、引退後はコーチや球団通訳を務めた。
1988年に広島カープの計らいで通訳として30年ぶりに祖国の土を踏んだ。
2022年時点では89歳で存命だが半世紀も日本に住み続けたため、関西人以上に流暢な関西弁を喋る。 - ジーン・バッキー
国籍:アメリカ。ポジション:投手
所属:阪神(1962~1968)近鉄(1969)
実働8年、100勝、825奪三振、防御率2.34
60年代の阪神を支えたエースピッチャー。ナックルボーラーでもある。
特に1964年には29勝を挙げ最多勝と最優秀防御率、そして外国人初の沢村賞を受賞した。
1965年にはノーヒットノーランを記録した。2019年、82歳没。 - 白仁天(はく・じんてん/ペク・インチョン)
国籍:(日本→)韓国。ポジション:捕手→外野手
所属:東映/日拓/日本ハム(1962~1974)太平洋(1975~1976)ロッテ(1977~1980)近鉄(1981)
実働19年、1831安打、209本塁打、776打点、通算打率.278
まだ日韓基本条約(1965年)が結ばれていない時代から日本でプレーした韓国人選手。
色々と複雑な事情により外国人枠の対象外とされ、日本人扱いとされた。
首位打者になったこともあるが、キャリアハイはなんと18年目の1979年で打率.340を記録している。
韓国に帰国した1982年、韓国プロ野球が発足すると選手兼監督となり打率.412を記録。この記録は未だ破られていない。 - ダリル・スペンサー
国籍:アメリカ。ポジション:二塁手
所属:阪急(1964~1968、1971~1972)
実働7年、615安打、152本塁打、391打点、通算打率.275
「野球博士(ドクター・ベースボール)」の異名を取る名選手。
日本に「サイクルヒット」の概念を初めて教えた人物。走攻守に優れた実力を持っていた。
相手投手や打者のクセや傾向を研究してメモを取るという発想も彼によって伝わったものであり、野村克也は生前日本プロ野球を変えた人物のひとりとして挙げていた(もうひとりはブレイザー)。
2017年、88歳没。 - ドン・ブレイザー
国籍:アメリカ。ポジション:二塁手
所属:南海(1967~1969)
実働3年、371安打、15本塁打、86打点、生涯打率.274
本名がドン・ブラッシンゲームと長くスコアボードに入りきらなかった為、ブレイザーを登録名とした。
1950年代後半にオールスターに出場するなどバリバリの実績を持つメジャーリーガー。
来日時には35歳と全盛期は過ぎていたが、素早く正確な守備、芸術的なセーフティバントは健在。
決して派手ではないが、基本の技術をとことん極めた上での「考えたプレー」は日本プロ野球に大きな影響を与えた。
南海、広島のコーチを経て阪神、南海の監督を務めた。2005年、73歳没。 - ボビー・マルカーノ
国籍:ベネズエラ。ポジション:二塁手
所属:阪急(1975~1982)ヤクルト(1983~1985)
実働11年、1418安打、232本塁打、817打点、生涯打率.287
アメリカ時代は3A止まりの選手だったが、来日すると強肩の二塁手として大活躍。
1978年には打点王を獲得し、阪急黄金時代を支えた名選手。
肺がんのため、1990年に若くして死去、39歳没。 - グレン・ブラッグス
国籍:アメリカ。ポジション:外野手
所属:横浜(1993~1996)
実働4年、443安打、91本塁打、260打点、通算打率.300
ホエールズからベイスターズに名前を改めた横浜に入団し、ロバート・ローズと強力クリーンナップを結成した。
1994年には35本塁打を放つなど、ベイスターズ初代4番らしい活躍をした。
……が、彼の現役時代を知る人は「乱闘」のイメージが強いだろう。
そのためシーズンオフの珍プレー好プレー大賞でたびたびネタにされた。しかしブラッグスが実際に乱闘したのは2回だけである。 - ジェフ・ウィリアムス
国籍:オーストラリア。ポジション:投手
所属:阪神(2003~2009)
実働7年、16勝141ホールド47セーブ、418奪三振、防御率2.20
藤川球児、久保田智之と共に「JFK」と呼ばれる強力リリーフ陣を形成した速球派サイドスロー。
アテネオリンピックでは準決勝で日本代表を見事に抑えた。
ホールド導入後、100ホールドを達成した最初の人物。
なお打席には6回しか入っていないが、珍しい左投右打の選手。 - アーロン・ガイエル
国籍:カナダ。ポジション:外野手
所属:ヤクルト(2007~2011)
実働5年、330安打、90本塁打、239打点、通算打率.234
助っ人外国人としてはそこまで突出した成績は残していないが、プルヒッターで選球眼も良い。
数々の迷(?)エピソードから「魔将ガイエル」の異名を取ることに。
空間を歪める程度の能力の数々は当人の項目を参照していただきたい。 - マット・マートン
国籍:アメリカ。ポジション:外野手
所属:阪神(2010~2015)
実働6年、1020安打、77本塁打、417打点、通算打率.310
大怪我で引退した赤星憲広の後釜として入団。非常に優れた打撃フォームの持ち主で、
初年度から当時のプロ野球記録を塗り替えるシーズン214安打を達成した。
「ノウミサン」こと能見篤史との関係も有名。 - アーロム・バルディリス
国籍:ベネズエラ。ポジション:三塁手
所属:阪神(2008~2009)オリックス(2010~2013)DeNA(2014~2015)
実働8年、793安打、93本塁打、387打点、通算打率.268
テスト生を経て外国人の育成選手として入団し、その年に支配下登録を勝ち取った。
外国人の育成選手はそこそこ見られるが、その中でも長きに渡って一軍で活躍できた選手は少ない。
助っ人外国人としては珍しい守備の人で、強肩を武器とした。打力も決して低くはない。 - チェン・ウェイン(陳偉殷)
国籍:中華民国(台湾)。ポジション:投手
所属:中日(2004~2011)ロッテ(2020)阪神(2021~2022)
(2022年時点)実働7年、37勝14ホールド1セーブ、541奪三振、防御率2.60
大学時代にスカウトされ来日。その為助っ人外国人としてはかなり珍しく、
他国のプロ野球、独立リーグなどに所属した経験がない。
150キロ台の伸びのある直球が武器。元々メジャー志望だったため2012年より渡米。
メジャーでは8年間で59勝を挙げ活躍した。2020年より日本に戻る。
余談だがスイッチヒッターでもある。 - アルフレド・デスパイネ
国籍:キューバ。ポジション:外野手
所属:ロッテ(2014~2016)ソフトバンク(2017~現在)
(2022年時点)実働9年、786安打、184本塁打、545打点、通算打率.263
2013年、スポーツ選手に対して鎖国体制を取っていたキューバが、条件付きでプロ選手を派遣することを許可した。
フレデリク・セペダ(巨人)、ユリエスキ・グリエル(DeNA)に続き来日したのがデスパイネだった。
キューバ時代はシーズン最多本塁打記録を持つパワーヒッターで、日本でもその実力をいかんなく発揮。
セペダやグリエルが1~2年で日本を去ったのに対し、現在に至るまで長期に渡り活躍している。
2017年のWBCでは侍ジャパンと対戦。同年、本塁打王と打点王を獲得した。
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