概要
昭和50年代前半に圧倒的な強さを誇った稀代の大横綱である。にも関わらず、現役時代のふてぶてしい態度や、理事長時代の数々の不祥事から一般のイメージはあまり良くないと思われる。
テレビで大相撲中継が始まった昭和28年5月16日北海道で生まれる。少年時から体格が大きく、またあらゆるスポーツに秀でていたため「怪童」と呼ばれた。
中学在学中から本場所の土俵に上がり、それ以前の最年少記録を次々と塗り替えて昇進していく。彼以前にも中学在学中に本場所の土俵に上がる力士はいたが、彼があまりにも早く出世したため社会的に広く知れ渡り問題視されるようになったと言われる。それ以後相撲協会は入門条件に「義務教育修了者であること」を明記した。
史上最年少21歳2ヶ月で横綱に昇進。新十両、新入幕、最年少優勝、最年少大関は後に貴乃花に破られるが、史上最年少横綱昇進記録は今もって破られていない。
先輩横綱の輪島と昭和50年代の黄金時代を築き「輪湖(りんこ)時代」と呼ばれた。5連覇を達成した昭和53年前後が最強と見られており、他をよせつけない程の強さを誇りながら、大衆的人気は先輩横綱の大鵬、後輩横綱の千代の富士などには及ばなかったと言える。
子供の好きなものを並べた「巨人、大鵬、玉子焼き」に対して、子供の嫌いなものを並べた「江川、ピーマン、北の湖」という言葉まで生まれたほどである。
嫌われた理由としては容姿が強面だった事、倒した相手に決して手を貸さずさっさと勝ち名乗りを受けてしまう事、同時代に高い人気を誇った貴ノ花、高見山、蔵間、二代目若乃花などがいた事、またそれらをなぎ倒し常に壁として立ちはだかっていた事などが挙げられる。強いだけでなく休場がほとんど無く、出世を狙う若手力士にとってはいつも最大の障害であった。しかし相撲に対する真摯な態度は好角家からは高い評価を得ていた。
引退前に数回しか対戦していない者を除けば、現役時の彼に勝ち越した力士は非常に少ない。ほとんどの力士には大きく勝ち越し、栃光、蔵馬などには完封勝ちしている。
ただ一人大関朝潮には7勝13敗と負け越している。これは朝潮の仕切りが非常に遅く、それにイライラしていた(北の湖は仕切りが非常に早くて有名だった)ため自分の相撲が取りにくかったためと言われる。また千代の富士に対しても、千代の富士が横綱昇進した後は分が悪かった。
引退後は一代年寄北の湖を与えられ、後に理事長となる。が、その在職中に若手力士の暴行死事件、現役力士の大麻所持(自らの部屋の力士も発覚)、またそれらの問題に対する対応の祖末さなどから多くの批判を買い、理事長職を引責辞任。圧倒的な成績を残しながら、現役時も引退後も世間の不評を買う形となってしまっている。しかし2012年に行われた理事選で、放駒(元大関魁傑)の退任に伴い再び理事長に当選した。しかし2014年以降は体調を崩し、協会の行事も休むことが多くなった。そして九州場所中の2015年11月20日、直腸ガンによる多臓器不全により理事長在任中のまま死去した。62歳。
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