北九州監禁殺人事件単語

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北九州監禁殺人事件(きたきゅうしゅうかんきんさつじんじけん)とは、2002年に発覚した連続殺人事件である。

※この記事には残酷な行為や胸糞な場面が含まれます。ご覧の際はそれを承知の上でお願いします。

※事件の性質上、記事の編集や掲示板が荒れる可性も高いとも思われますので、どうかその前に一度深呼吸してお願いいたします。

概要

日本犯罪史上において、最も悪かつ卑劣人間性の欠片も感じられない、まさに悪魔の所業と言うべき殺人事件のひとつと断言できる。

犯の男は自分の手を汚すことなく、内縁の妻とその家族小学生保育園児を含む)を精的支配下に置いて、虐待殺人バラバラにした遺体の処分などの命をくだした。その結果、妻の家族全滅する。だが監禁されていた少女が逃亡に成功し、戚のに駆けこんだことで遂に事件が発覚した。

繰り返すように非常に残酷な事件であるが、そのあまりにもむごい内容からかマスコミ報道規制が敷かれたとも噂されており、事件を知らない人も多いと思われる。なお後年、2012年にも尼崎事件という類似した事件が発生しており、引き合いに出されることも多い。

犯人

主犯・松永太

全ての根であり、吐き捨てるほどの邪悪1961年生まれ。小倉に生まれて柳川に移り住んで育つ。病気と言っていいほどに虚言癖がひどく、常に自分が優れた人間であると信じており、一見すると礼儀正しく想のよい好人物に見えるが、その中身は虚栄心と疑心と嫉妬心の塊であり異常に執念深い。一方、強い相手(例えば暴力団)相手には臆病な小心者。苛暴力マインドコントロールをもって他人を支配下に置く手法を取る。

容姿や話術に優れていた為、異性からの印が良く、純子と交際しているにも関わらず複数の女性と関係を持っていた。緒方一家女性たちに対しても肉体関係を迫っていたという。かつて別の女性結婚し1児をけていたが(松永はこの時点で既に純子を含む多数の女性と交際していた)、ここでも日常的にDVを起こしており、妻子が逃亡して離婚した。この元妻からも「口だけは大きい男」「自分を救世主だとするが、関係した人間は皆不幸になった」「で上塗りして、自分の中では真実思い込む」などと事件後にこき下ろされている。

多数の被害者から散々大をむしりとっているが、その使いに関してはよく分からない。

事件後、松永族は一切口を閉ざしているが、一、事件中に純子との間に生まれた長男が「松永太の息子」のアカウント名を称してYoutuberになっており、両の現状についてっている。

2022年現在福岡拘置所死刑囚として収監されている。長男によれば糖尿病で失明したという。

従属犯・緒方純子

1962年生まれ。松永とは高校同級生だった(生まれのため)。地元の名士のに生まれ、厳格に育てられ、だが従順的な性格に育った。成人後は幼稚園教諭を務めていた。松永と再会後、内縁の妻となり二人の男子を産む。松永から虐待を受け、精的な従属下に置かれ、実家絶縁していた。

期懲役判決を受け、長男によれば現在も収監されているという。

従属犯・少女A

1984年生まれ。不動産会社勤務のと暮らしていた。やがて松永彼女に接近して北九州市内に惨劇の舞台となるマンションを手に入れることになる。その後、弱みを握られた共々松永の住処に移され、一連の事件に関わることになる。そして後に隙を見て逃亡し、事件の全貌が明らかとなる。

事件後、児童養護施設に送られ、現在は静かにっ当な暮らしを送っているとされる。

松永のやり口

松永は非常に言葉巧みで信用させることが上手い。そうして信用を得るとの席に誘い、話術も交えて気分良くなっているところで何らかの「弱み」を引き出していた。すると以降は態度が変し、脅しや暴力をもって蔓とするようになる。この際も「お金を持って来い」とは言わず、「お金を持って来いと言っているんだな……」と相手に思わせる発言をして、松永自身が理強いした印を弱める。このやり方は後の殺人事件でも行われることになる。

家族に寄生した際も、話術や肉体関係で近づき「弱み」を握るが、それを家族の前で披露したりはせず、こっそりと一人一人に教えていく事で、家族関係を自壊させ共闘体制が不可能になったところで支配下に置くという、悪魔のような手段を用いている。

そしてそういった状況を口外しない者、例えば世間体を気にする人物をターゲットにする。それをざとく見つけるのも上手かった。弱みを握られて支配下に置かれた者は脅迫されるがままに犯罪を犯し、すると今度はその犯罪ネタ脅迫することで負のスパイラルへと陥らせていくのである。

また「事実確認書」といった文書を提出させるというやり口も立つ。文書を書かせたりサインさせたりすることで「それを守らなければいけない」という精状況に追い込む(破れば当然虐待)というものである。松永被害者がまるで対等の関係で「文書」を作ったかのように見せかけて、実際は脅しの材料でしかないのである。

こうして底的なマインドコントロール下に置き、奴隷以下の扱いをして、他者の不満を述べると序列が上がるという密室内での支配関係を構築していく。時には盗聴器の存在を匂わせ松永不在の際も被害者たちが何ら行動を起こせなくしていた。被害者は皆疲弊しきっており、かつ相互不信の状態を作らされ、下記に記すような劣悪な環境に置かれ続けていたことで諦めが生まれ、思考停止へと陥らせていった。

殺人遺体解体もそれらしき示を匂わせることで、純子被害者に実行させて己は一切手を汚さないという鬼畜である。後述するが、散々をむしり取っておきながら、裁判では「自分には殺する動機がい」「むしろ自分は被害者などとのたまい、上告審まで一貫して全面無罪することになる。

生活制限

衣食住その他に関しても底的に監視下に置いた。衣服でも半袖、懲罰のために下着姿にされることも多数。移動も会話も許可制。寝る時は台所に新聞紙を敷いて雑魚寝な上に逆転した生活トイレ許可制でまず使えず基本的に小便ペットボトル大便は1日1回で便座に掛けるのも禁止。外出も当然禁止でキー免許監禁の最初に収。ドアは多数の南錠で施錠されており、仮に外出した際は松永に逐一報告をめられる。銭も収され、買い出しの際に必要最低額が与えられるだけ。は一面カーテンで覆われ、ドアチェーンも極端に短くされ、仮にかが訪問してきてもの中がほとんど見えないようにするなど底していた。違反すれば当然虐待や通電が待っている。

純子逮捕された後、拘置所での暮らしについて「食事もできる、風呂にも入れる、トイレにも行けるし読書の時間もある」とっており、松永の支配下における虐待生活が如何に酷かったかを想像させる。

電気ショック(通電)

松永は気に入らない人物に対して虐待を行っていたが、特に電気ショックを与える「通電」という手法を好んで用いることになる。通電によるダメージ体的にも精的にも非常に大きく、再びそのようなに遭いたくない相手を屈させて支配下に置いていった。どれくらい痛いのかはwikipediaの本事件も参照。子供すらこの拷問ターゲットとなり、当時5歳純子の甥のみこれを逃れていたが、幼い実子に対してもこのような行動を取ったのは松永異常性を現わしていると言えよう。他にもここには書ききれないような様々な虐待が行われている。

事件前夜

1980年高校卒業アルバム松永は不純異性交遊を起こして別の男子校転校させられていたが、以前の同級生からアルバムを取り寄せていた)を眺めていた松永純子をつけ、連絡を取ると、男性との交友経験が浅い純子を言葉巧みに誘導して交際がスタートした。

1984年松永(この時点で既に最初の妻と結婚している)との不倫純子の両に知られることになった上、松永純子の両資産状況を調べていた事で大きな不信感を抱かれるが、両と直接対面した松永は温厚な好青年を演じた上、男子がいない緒方に将来婿養子として入ると言ったため、逆にの好意を得ている。だがその一方で純子への暴力は変わらず、遂に純子自殺未遂を起こすと「自殺されると警察に呼ばれて迷惑になる」という自分に都合の良い理由で暴力を悪化させ、純子幼稚園から辞めさせた上、実家との関係を絶たせるために分籍させた。

純子は一度は態度を軟化させたものの、「婿養子になる」と言いながら一向に離婚せず不倫関係を続ける松永に再び不信感を抱き始め、「純子と別れて欲しい」と松永に要した。が、逆に松永の話術で良いように言いくるめられて松永純子肉体関係を結ぶ(後に検察はこれを松永による強姦であるとしている)。これがきっかけで純子の関係は裂が入る事となる。

純子が分籍し、一向に松永婿養子にならないことから、1986年緒方純子お見合い結婚して元警察官男性婿に迎えた。だがこの際も松永純子に命して、純子実家に「財産当てだ」などと散々嫌がらせ電話をしている。なお夫婦は2人の子供をもうけ、両と同居して幸せな時間を過ごしていた。

松永屋を引き継ぐと布団販売業に転換した。が、その実態は詐欺会社であり、顧客を脅し粗悪品の布団を高額で販売していた。ここでも松永は意に沿わない社員に対して虐待を振るっている。またこの時期、幼稚園を辞めさせられた純子が社員となるが、かつての優等生的な姿は消え、詐欺行為への抗議逆ギレして罵を浴びせるといった姿が見られたという。この当時はまだ最初の妻と結婚していたが、その妻や子供の前で愛人純子虐待するなどの異常が繰り広げられた。一度は純子が入院するに至り、その暴行跡を見た医師警察通報し、松永が任意同行されたこともあったが、逮捕には至らず然と帰ってきた。最初の妻は、彼女の死をきっかけに虐待エキスパートしたため、子供を連れて警察に駆け込み、1992年にようやく離婚が成立した。また時を同じくして1992年、会社の詐欺脅迫が発覚して松永指名手配された(1999年時効)。

また同時に松永結婚詐欺も行っており、純子純子との長男を甥と紹介しながら詐欺で多額の現を稼いでいた。だが、この中でも女性に対する虐待を行っており、立件はされなかったものの極めて怪しい死亡事故が起こっている。

第一の殺人・A父殺害

指名手配された事で松永は土地勘のある北九州市小倉北区へと移り住んだ。この逃走中純子長男出産している。後に残虐な殺人事件の舞台となるマンションを借り受けたが、これを旋したのが不動産会社のとある男性(A)だった。そこで松永は会社設立の計画(という)をAり、舌先三寸で仲間に招き入れる。そしてそれまで同棲していた女性と別れさせた上に、松永が彼のである少女Aを養育するからと強引にを引き取られた。

に弱いAを酔わせて弱みを握った松永は、Aを更に脅し、事実根の犯罪強姦した、会社のを横領したなど)を「事実確認書」として書かせた末に退職に追い込み、社宅から松永マンションへ移住させた。

これ以降、Aに対する虐待しいものとなり、純子も命ぜられるがままに虐待に参加した。だがAはそれに耐え、まもなく次男を出産する純子ねぎらいの言葉をかけるなどしていた。また、松永少女Aにも自らの暴力を命し、噛みついての身体に形が残っている姿を写真に撮ることで、殺しの脅迫材料として使用した。更にろくに食事を与えないなどの行為を行った結果、1996年2月26日にA死亡した。

松永純子少女Aに命して遺体の解体作業を行わせ、バラバラ遺体に捨てられた。この時痛が訪れ、純子は次男を出産している。少女Aは自分のを殺したという「事実確認書」を書かされた。

また同時期、松永はやはり結婚詐欺を行って、女性に近づいてはをむしり取って虐待し、中には先に述べたように幼い共々死に至ったケースもあった(刑事告訴されず)。

緒方家の悲劇の始まり

1997年、新たな蔓を見つけられなかった松永純子の確保を命じ、家族電話して心をした。だが当然拒否されたため、松永に断りを入れずに湯布院に移りスナックで働き始めた。だが純子を通じて湯布院にいることが松永に伝わってしまう。

松永久留米市在住の緒方を呼び出すとA事実を告げ、身内に殺人者がいる事で世間体が悪くなるだろうとまたもや巧みな話術で3人をコントロールし、松永の死と葬儀をでっちあげて純子を呼び戻すことに成功する。こうして純子虐待はますますひどくなり、ペンチではがされたという。その後も純子は一度逃亡未遂を起こしている。

久留米緒方の3人はそれ以降たびたび小倉に呼び出されるようになった。その中で松永純子との離縁を切り出した。その条件は多額の手切れを両に与え、子供2人は松永が引き取るという内容であった。だが子煩悩の純子子供を手放すとは最初から思っておらず、松永の芝居であったと言える。これで純子が離縁しないと言うと、殺人お前のせいなのに何をほざいているのか)を匿う費用として心した。地元の名であり世間体を気にする3人は従わざるを得なかった。更にA同様、を飲ませて愚痴を吐かせることで弱みを握っていき、が用意できないと通電などの虐待を行って脅すようになる。また松永は、のみならず純子とも肉体関係を結んだ。毎日のように遅くに久留米小倉を往復する生活に3人は疲労していた。

どこかへと出かける家族に疑問を持った純子の義婿養子)は、(彼の妻)と共に小倉へと向かった。松永純子と血の繋がらない元警察官の義に対しては警しつつ、3人からで聞き出した様々な弱みを伝えた。特にがかつて中絶をしていたことや、が彼との結婚後も不倫していたという話に義ショックを受ける。このような話術で義緒方への不信を生み、松永への信頼を寄せるようになってしまう。遂には松永の誘導で義が3人に暴力ふるう事態に至った。その一方、今度は愚痴材料にして義を責め、夫婦の仲を引き裂くという工作を行っている。こうして義を支配下におくと、Aの殺遺体解体現場である浴槽タイルの交換を行わせた上で「殺人拠隠滅を行った」と言いがかりをつけ更なる弱みを握っていった。

こうして松永緒方の仲を引き裂いていく。小倉通いとの献上は連日続き、通電などの虐待が行われ、そうした仕事を欠勤するなど悪化していく。両は借を重ね、夫婦は退職当てで仕事を退職するに至る。

こうした異常事態に緒方類が察し、更にそれが当時指名手配中の松永純子によるものと知ると警察官松永宅付近にり込ませるなどした。更に純子の祖名義の土地をが売却しようとするが、これも類によって食い止められている。警察が動いている事や、緒方がこれ以上の蔓として期待できない事から、松永緒方自由にさせては危険と判断し、一家6人を小倉マンションに監禁する。久留米には一家が突如失踪したというだけが残った。

第2の事件・父死亡

1997年12月21日、土地売却に失敗したのは一家である責任であると松永が断定。通電が行われた結果、死亡した。死体の解体中にクリスマス松永長男誕生日を祝うという異様なが広がったとされる。なおこの事件に関しては殺人ではなく傷致死となっている。

第3の事件・母殺害

1998年1月20日、通電を繰り返した結果純子は奇をあげるようになったため、松永純子夫妻に処遇を考えさせた。そして精神病院への入院などが提案されるが松永はそれを悉く却下した。そして殺を提案すると「これは一家の決断である」とさせた(要は松永責任逃れ)。義が様子見を提案するも松永無視して殺方法を考えさせるなどした。最終的に電気コードでの絞殺が決まり、純子の2人が押さえつけて義が殺を行った。遺体は同様に解体処分された(以下すべて同じ)。

第4の事件・妹殺害

1998年2月10日、一行は別のマンションにいたが、松永の命について純子の解釈が食い違うという事態が起きた。すると松永純子に「おかしくなった」「みたいになったらどうする」「今から向こうのマンション(殺が行われていた場所)に行く。どういう意味か分かるな?」と明らかの殺を唆した。更に移動すると松永は「は今から寝る、一家で結論を出しておけ」「が起きるまでに終わっておけ」と再度の殺示唆と責任逃れな言動をする。純子、義、姪(夫婦)の3人は松永殺人の命をしていることを理解していたが、義は自分の妻を殺す事にしていた。しかし殺を拒否すればますます酷い虐待や通電が待っている事は明であった。松永の意見を聞こうとするがドアがかかっており入れなかった。遂に3人は殺を決意せざるを得なくなり、義が自ら妻の殺役に名乗り出る。まだ小学生の姪に対しては「お父さんが首を絞めるから、足を押さえて最後の挨拶をしなさい」と伝えた。浴室にいたのもとに義と姪が電気コードを持って入り、計画通りの首を絞めた。の「私、死ぬと?」という最期の問いかけに「すまんな」と答え、殺人が実行された。自らの手で妻を殺してしまった義はすすり泣いたという。殺人に加わざるを得なかった姪はまだ小学生であった。

このような残酷な悲劇が起こる一方で、松永は一切手を汚すことなく殺人を成功させた。

第5の事件・義弟殺害

も度重なる虐待、通電、食事制限で身を壊しており、嘔吐や下痢の症状が出ていた。それでも松永は彼を運転手役にして愛人に会いに行くなどの外道な行為をしていた。純子はやつれた義を見て病院に連れて行く必要性を感じたが、の際に松永に拒否されたため言い出せずにいた。

1998年4月13日、義松永から眠気防止ドリンク缶ビールを与えられ、それを飲みほした。その1時間後、義は衰弱死した。

第6の事件・甥殺害

こうして緒方大人純子以外全身死亡して、夫婦の子2人だけが残された。少女A松永の子2人の世話をしていたのでさほど酷いには遭っていなかったが、純子の甥と姪に対しては残酷な運命しか残されていなかった。

の死からしばらく経って、松永は「子供に情けをかけて殺さなかったばかりに、逆に大きくなって復讐された話もある」「そうならないためにはめに口封じをしなくてはいけない」と甥の殺意志を発言する。純子はもはや正常な思考を持ち合わせておらず、またこのまま生きていても松永虐待を繰り返されるだけと考え、この発言に同意した。

1998年5月17日、姪が松永に「にも言わないから」と久留米実家への帰宅を願い出るが、松永は「死体バラバラにしているから警察に捕まっちゃうよね?」「が何もしゃべらなければ良いけど、そうはいかないんじゃないかな?」「や君自身に不利益が生じるが、責任が持てるの?」と脅しで返した小学生を相手にこの対応、どこまでもクズである)。そして「甥は可哀想だから、お母さんのところに行かせてあげる?」と殺を示唆(甥はこれまで一通電されていなかった)。もはや逆らえない事を悟ったのか、姪はこれを承認した。この状況を見た純子は自分が殺すると発言するが、松永の命で姪と、これまで殺人に関与していなかった少女Aの3人で殺することになった。少女Aが足を押さえ、純子と姪がふたり掛かりで絞殺したとされる。甥はまだ保育園児であった。

第7の事件・姪殺害

残された姪は、相変わらず虐待、通電、食事制限といった扱いを受けていた。対する松永は「あいつは口を割りそうだから処分しなきゃいけない」「あいつは死ぬから食べさせなくていい」などと、姪を死に至らすことを示唆していた。

1998年6月7日、浴室で松永と姪がふたりきりで話し合いを行った結果「彼女死にたいと言っている」と死へ誘導した。純子少女Aが横たわる姪を絞殺したが、そのとき姪は首を絞めやすいように自ら首を持ち上げたとされる。

再びの詐欺

こうして約半年の間に何の罪もない緒方の6人を殺した松永は、純子に対しお前子供たちがいるからは迷惑なんだ」「AとふたりならはAの父親に成りすまして、ちゃんと生きていけるんだ」と、どこまでも自分勝手な理由で子供たちとの心中を命している。また松永子供達に母親悪人だと散々言い聞かせたり、幼い長男に「お前は本当の子供じゃない」「お前がいなければ純子と別れられる」などと日々罵っていたという。

そして松永はこの期に及んでまたも新たな蔓を探し出し、夫と不仲な主婦と出会うと、離婚して自分と結婚することを提案する。更に「夫の狙いは子供だから、子供だけでも私が預かった方が良い」とまたもや巧みに言いくるめて双子子供たちを預かり「養育費」を要した。相手がお金を出せなくなると風俗店で働かせ、最終的に2500万円を分捕っている。ただし被害届が出されなかったため、立件されていない。

こうして双子が加わり、純子が産んだ長男・次男と合わせて4人の子供純子少女Aが育てることになった。

少女A逃亡

2002年1月30日緒方への殺人事件から4年が経った頃、松永を盗んで少女Aマンションから逃亡することに成功した。その後祖に身を寄せたが、の死の事実については黙っていた。半月ほどそこで過ごし、アルバイト先を決めたりして新生活を送ろうとした矢先に、松永の魔の手が迫る。

松永少女A伯母とも交際しており、この人物から松永少女A行方が漏れてしまう。松永いつものように温厚な男性を演じながら「少女Aシンナーを吸うなど非行行為に走っており、このままではに叱られる」と舌先三寸の話術を展開し、祖全に信じ込ませてしまい、少女A松永に連れ戻されてしまった。その間際に「おじさんの話は全部、迎えに来て」と走り書きしたメモを祖に託した。

そして連れ戻された少女Aに対しては通電される、純子に首を絞められる、右足ペンチではがされるといったますますエスカレートした虐待が行われ、最後には彼女の血で「もう二度と逃げません」といった血判状を書かされた。

2002年3月6日少女Aは諦めていなかった。再び松永マンションから逃走して祖の下に助けをめた事で、遂に一連の事件が明らかになった。翌3月7日松永純子少女Aへの監禁致傷で逮捕されるが黙秘を貫いた。別のマンションに残されていた子供4人も発見された。

逮捕後

その後、少女Aが「松永純子の知り合いで、最初は4人で暮らしていたが、行方不明になった」と言し、数日後に「はふたりに殺された」と言したことから捜殺人事件に切り替えられていった。更に緒方6人の殺言したことで大量殺人として捜が進められた。だが、松永遺体解体場所のタイル配管を新調しており、遺体バラバラにされてなどに捨てられたとあって物的拠が全く得られず、少女A殺人の現場を撃していたケースとしていなかったケースがあったことも加わって、捜は難航を極めた。

だが逮捕から半年以上たった10月23日純子言を始めた事で、ようやく事件の全貌が見え始めた。一方捜においては、松永が弱みを握った家族たちに書かせた「事実確認書」や、死体解体に使われたであろうノコギリなどを購入したレシート、周辺住民の言といった間接的な拠が集められていった。

また、保護された子供たちについては、双子は本来の元に戻り、長男(当時9歳)と次男(当時6歳)は児童福施設に送られた(この二人は出生届すら出されていなかった)。

2003年7月遺体のないまま緒方一家6人の葬儀が営まれた。

裁判

松永純子の第一審は福岡地裁小倉支部にて2002年6月から始まった。純子少女Aと自分のについては傷致死をしたが、それ以外の殺人については刑事責任を認めた。一方の松永は全ての事件に対して全面無罪した。

松永は7人が死亡したのは「全て事故緒方一家が殺したことであり、むしろ自分は緒方の騒動から避けており何の責任もない」という極めて責任を行った。内容としては

……という有様である。おまけに「そもそも自分には彼らを殺する動機がい」「緒方一家はそれぞれを稼ぐを持っているので、その収入を断つ必要性がい」などと言い出す始末であった。姪に関しては「将来京都の舞はんにすればを稼げるから収入になる」等と発言している。そして「Aの純子以外は死亡の現場に立ち会っていない」「純子と自分が肉体関係を持っていたのに対して義一方的に恨んできたので自分はむしろ被害者」等と言い出す始末である。もはや返す言葉がいとはこのことであろう。そんな殺人罪を一切否定した。また、法廷でもその得意の話術でのらりくらりと追及をかわしていた。

少女Aは「松永純子悪魔に見えた」と言し、両者の死刑を取りたいとした。緒方族の怒りはらずとも明らかであり、松永への極刑を望んだ。最終的に検察は両名に死刑刑した。論告では「善悪のタガが外れた松永と、示にひたすら従う実行者の純子輪の両輪」「蔓として利用価値のなくなった被害者の口封じに7人も殺するという鬼畜の所業」と表現された。一方、純子の弁護人は死刑回避を、松永の弁護人は全面無罪した。

2005年9月28日小倉支部は両名に死刑を言い渡した。

松永の支配下に同じく置かれていた純子少女A言はほとんど一致しており、純子は自分が不利になる事も言した。一方の松永言は矛盾が多く一貫性がない。よって純子少女A言通り、両者が7人を死に至らしめたと認定された。ただし純子については傷致死止まりとし、残りの6人については殺人認定された。

裁判所はこの一連の事件に対し「甚だしい人命無視」「残酷非で血もも感じられない」「犯罪史上稀に見る悪事件」とし、松永については「事件の首謀者」「反省や謝罪がなく、犯罪性向は強固で根深く矯正の見通しは立たない」と厳しい言葉で断じた。

一方純子については「被害者に対して高圧的な態度で臨む」「体的で積極的に関与した」としつつも「犯行を摯に反省悔悟し、深く謝罪する気持ちを持つ」「(言が)相解明に関与した」「松永示なしに暴行・虐待は行っていない」「自ら松永との生活を選択したとはいえ、松永から度々暴行を受けたりして、決して安穏なものではなかった」「犯罪性向は矯正不可能とは言えない」といった同情すべき点が複数挙げられたが、結果としては死刑判決となった。

松永は即日控訴した。純子死刑を受け入れる姿勢を取っていたが、弁護団の説得で控訴した。

控訴審で純子の弁護団は、純子しいDVの状況にあり、心神喪失責任を認められないとした。

2007年9月26日福岡高裁は松永の控訴を棄却して死刑を支持する一方、純子は一審判決を破棄して期懲役とされた。警察官の義すら殺を行うなど、松永による虐待・通電は被害者の人格にまでを及ぼしたことを考慮すると、純子松永暴力支配下にあり従属的であったとされ、自した事や反省の態度も考慮された。ただし、犯行への体性を失っていたとは言えないとして無罪は退けられた。

松永は懲りずに上告。一方検察は純子の減刑に納得できず上告した。純子は上告しなかった。

松永の上告審でも相変わらず全面無罪した。一方検察は以前の審議では「松永純子軸の両輪」と評していたが、ここでは「松永純子が言いなりになるよう仕向けた」「(松永は)純子と違い悛の情は全くない」「純子より(松永の)罪が重いのは明らか」として、二人の違い、関係を認めた。

2011年12月12日最高裁死刑判決を支持。ここに松永太の死刑が確定した。

一方純子の上告審については同日上告が棄却され、緒方純子期懲役が確定した。裁判官たちの判断としては死刑も考えなければいけない犯罪であるが、長期間の異常虐待示に従わない事が難しい心理状態の中、松永に従属する形で犯行を行った事、自相解明につながった事などが考慮された末の判決だったとされる。しかし、抵抗するもない幼い子供2人を手にかけている汚点も裁判官摘されている。

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北九州監禁殺人事件

2 ななしのよっしん
2022/10/04(火) 17:26:53 ID: Do2lMk0RUj
wikipediaの記事ですら最後まで読む前に嫌になる
殺人以前から余りにも酷い。どんだけ刑事事件になってない余罪あるんだよ
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3 ななしのよっしん
2022/10/15(土) 11:02:04 ID: 9P+Co8K9WZ
これでも罰や暴露を受けないで逃げ切った角田美代子より立ということになる
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4 ななしのよっしん
2022/11/23(水) 02:51:37 ID: z/XCiOFj6X
下のwikiでさえ後半のほうはちょっと主観も入る言葉使いになるほど残虐な事件。
こんな胸糞事件は書いてて辛くなると思われますが、記事化してくださる方々には感謝です。
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5 ななしのよっしん
2022/11/29(火) 19:59:46 ID: nFiAC4vaeg
動画化されている物を用意しました。
東北きりたん事件談。10 前編
北九州監禁殺人事件
>>sm35050030exit_nicovideo

後編
>>sm35050224exit_nicovideo


あと、ブルータイプさんの日本事件簿の方にはかったかな?見つかりませんでした。
https://www.nicovideo.jp/series/12275?ref=pc_watch_description_seriesexit_list
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6 ななしのよっしん
2022/12/29(木) 11:12:10 ID: Ts4nltnObX
松永へ取材したことがあるライターの記事を以前読んだことことがあるけど、ライターく「こいつの喋りを聞いているうちに『こいつ本当はいい人なんじゃないか』とつい思ってしまうような悪魔トーク技術だった」という。
尼崎と同じで心理学である程度説明できるらしく、対処法もあるんだが、その方法が「周りのを気にしないでしく抵抗拒否する以外にない」という世間体をある程度気にしないといけない一般の人間には難しい方法。だから上位の暴力である警察支援が必要という話にもなる(民事かつ庭内というのが厄介だが)。
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7 ななしのよっしん
2022/12/29(木) 12:58:32 ID: LBjWfaMGVF
日本犯罪史に残る凄惨な事件なのに
今まで記事かったのが意外

監禁はないけど埼玉愛犬家連続殺人事件遺体処理が周到
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8 削除しました
削除しました ID: PfZSm0J8IM
削除しました
9 削除しました
削除しました ID: PfZSm0J8IM
削除しました
10 ななしのよっしん
2023/09/15(金) 01:34:11 ID: 2cLeXZpUta

消された一家を読むと体力が削られるので…
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11 ななしのよっしん
2023/10/08(日) 11:10:01 ID: Ts8yUTtY6Y
昨今サイコパスという言葉がかなり軽く扱われているけども、こういうこそがマジで正正銘のサイコパスなんだろうな
この世に産まれてはならなかった存在だよ。吐き気がするわ
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