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北島三郎(きたじまさぶろう、1936年10月4日 - )とは、日本の演歌歌手である。
概要
1936年10月4日生まれ、北海道知内町出身。通称「サブちゃん」。
1962年にデビュー。デビュー前には、舞台度胸をつける目的で漫才をやらされたこともある。
1965年頃から、一部世代には♪キャラメル拾ったら箱だけ の替え歌でも知られるようになった「函館の女」などがヒットし、徐々に頭角を現す。
1974年に、当時所属していた事務所から独立し、北島音楽事務所を設立。この頃から弟子を持つようになり、北島ファミリーと呼ばれるブランドへと成長する。
1978年には、ヘイヘイホーの合いの手で有名な「与作」が大ヒット。もともとNHKの企画で公募された曲であり、複数の歌手が音源を製品化したが、北島が歌ったバージョンが1番売れた。
1980年代から、原譲二のペンネームを使って自ら曲制作を開始。
(余談だが、1番弟子の山本譲二は本名であり、ペンネームは腹が丈夫なことに引っかけたものと言われている)
2010年1月に発表したシングル「夫婦一生」がオリコン総合10位にランクイン、アルバムチャートを合わせても、当時73歳3ヶ月でのトップ10入り最高齢記録を打ち立てた。
NHK紅白歌合戦へは、1963年に初出場。連続出場回数は、1985年まででいったん途絶えているため、1987年以降の27回が自身の最長記録となる。通算50回目の出演が決まった2013年に、後進へ道を譲るのもひとつの役目と、紅白卒業を表明。
また、「暴れん坊将軍」では、主人公の素性を知る、消防団「め組」の頭役として出演。終盤は頭役の座を堺正章へ譲り、自身は現場から身を退いて消防団の総元締へ就任したが、準レギュラーとして全シーズンに出演した。
「キタサン」の冠名でJRAに馬主登録をしており、主な所有馬としては2001年にニュージーランドトロフィー(GⅡ)を勝ったキタサンチャンネルや同年にファンタジーステークス(GⅢ)を勝ち阪神ジュベナイルフィリーズ(GⅠ)で1番人気(4着)となったキタサンヒボタンがいる。GⅠには長らく手が届かずにいたが、2015年の菊花賞にてキタサンブラックが勝利したことで晴れてGⅠ馬主の仲間入りを果たした。
後に「ウマ娘 プリティーダービー」にて当馬を基にしたキャラが登場。そのキタサンブラックが主役となったアニメシリーズ三期放送中の最中その思い入れの強さを発し、アニメ最終回には彼を意識したかのような人物が登場している。(その後、CMにも本人出演をしている)
関連動画
ニコニコ的には1番有名な曲。
関連項目
関連リンク
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