北海道ちほく高原鉄道とは、かつて北海道に存在した鉄道事業者。
また、沿線自治体などの出資による第三セクターの一つでもあった。
なおここでは、同社保有路線であった「ふるさと銀河線」、及び同路線の転換元になった国鉄(日本国有鉄道)及びJR北海道の「池北線」についても説明する。
概要
JR北海道根室本線池田駅から分岐し、池北峠を越えてJR北海道石北本線北見駅に接続していた路線。
元々は、道央と網走を結ぶ幹線鉄道として網走線の名で建設が開始され、網走まで開業したことにより網走本線となった。しかし、石北線が北見まで開業すると、状況は一変。1961年に、距離の短い石北線が石北本線となり、池田駅~北見駅間は池北線となった。
その後池北線は、国鉄再建法施行に伴い廃止対象となったが、特定地方交通線の中でも人口希薄地帯で営業キロが100km以上あった池北線は、他の標津線・天北線・名寄本線とともに「長大四線」と呼ばれ、冬季の代替輸送に問題があるとして一度保留となったが、結局追加承認され、1987年にJR北海道に承継された後、1989年に北海道ちほく高原鉄道に転換された。
なお、他の「長大四線」は廃止となったのに、池北線のみ第三セクターに転換された背景には、「長大四線」の中では一番輸送密度が高かったこと、転換時が第二次ベビーブーム世代がちょうど高校生くらいで通学に利用してもらえたことなどが挙げられているが、足寄町出身の鈴木宗男衆議院議員(当時)が存続に尽力したための政治的な配慮による第三セクター転換という見解を挙げる方もいる。
しかし、少子化時代を迎えたことにより、頼みの綱であった通学生が大幅に減少したことや、沿線人口の流出・過疎化が進み、利用者は年々減少し続けた。さらに、ゼロ金利政策による低金利状態が続き、経営安定基金の運用益による赤字補填が困難になったことも経営状態の悪化に追い討ちをかけた。結果、2006年4月20日限りで廃止となった。
運行形態
全線運転列車のほか、置戸駅~北見駅間の区間運転列車や池田駅~足寄駅・陸別駅の区間運転列車が設定されていた。
従って、結果的に陸別駅~置戸駅間は列車本数がかなり少なくなっていた。
一部列車はJR北海道根室本線帯広駅まで乗り入れていたり、快速「銀河」という快速列車が設定されていたりと、より利用しやすくなるように運転が設定されていた。
使用車両
駅一覧
快速:快速「銀河」
○:停車 |:通過 ◇:列車交換可能 △:交換設備撤去
駅名 | 快速 | 接続路線・備考 | 交換 | 所在地 |
---|---|---|---|---|
池田駅 | ○ | JR北海道:根室本線 | 中川郡 池田町 |
|
様舞駅 | | | |||
高島駅 | ○ | ◇ | ||
大森駅 | | | |||
勇足駅 | ○ | △ | 中川郡 本別町 |
|
南本別駅 | | | |||
岡女堂駅 | | | |||
本別駅 | ○ | ◇ | ||
仙美里駅 | | | △ | ||
足寄駅 | ○ | ◇ | 足寄郡 足寄町 |
|
愛冠駅 | | | △ | ||
西一線駅 | | | |||
塩幌駅 | | | |||
上利別駅 | ○ | ◇ | ||
笹森駅 | | | |||
大誉地駅 | ○ | △ | ||
薫別駅 | | | 足寄郡 陸別町 |
||
陸別駅 | ○ | ◇ | ||
分線駅 | | | |||
川上駅 | | | △ | ||
小利別駅 | ○ | △ | ||
置戸駅 | ○ | ◇ | 常呂郡 置戸町 |
|
豊住駅 | | | |||
境野駅 | ○ | △ | ||
西訓子府駅 | | | 常呂郡 訓子府町 |
||
西富駅 | | | |||
訓子府駅 | ○ | ◇ | ||
穂波駅 | | | |||
日ノ出駅 | | | △ | ||
広郷駅 | | | 北見市 | ||
上常呂駅 | ○ | ◇ | ||
北光社駅 | | | |||
北見駅 | ○ | JR北海道:石北本線 |
廃線後の動向
陸別駅跡地及び陸別駅~分線駅間の廃線跡は、2008年4月20日に鉄道保存展示施設「ふるさと銀河線りくべつ鉄道」となった。
ここでは、ふるさと銀河線で実際に使用されていた気動車の乗車体験及び運転体験、トロッコの乗車体験ができたり、国鉄時代からふるさと銀河線時代までの各種資料が閲覧できる。
本別駅・足寄駅は道の駅に転用され、駅名標やレールなど設備の一部が残されている。その他の駅についても、主要駅を中心に設備が保存・転用されている駅がある。
関連動画
関連項目
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