北海道コンサドーレ札幌とは、札幌市を中心とした北海道全域を本拠地とするプロサッカークラブである。
概要
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前身は神奈川県川崎市を本拠地としていた東芝堀川町サッカー部。東芝本社直営だったが、東芝がプロチームへの協賛を認めない方針から北海道に移転。クラブリーグ昇格を決め、1998年にJリーグに参戦。
2016年よりホームタウンを拡大したことでチーム名を「北海道コンサドーレ札幌」に改名する。
本拠地は札幌ドーム(札幌市豊平区)と札幌厚別公園競技場(札幌市厚別区)。2011年のJ2最終節(vsFC東京)では札幌ドームにおいて39,243人の観客動員を記録している。1試合平均の観客動員は10,075人(2013年)でJ2では上位クラスの動員を誇る。2015年以降は登録上のホームスタジアムは札幌ドームのみとなっている。以前は室蘭、函館でも試合を行っていたが、Jリーグ側の基準に従う形で2012年以降は行われていない。なお、函館については北海道新幹線が開業した2016年のJ2リーグ戦で1試合が行われ、当該試合限定の新幹線カラーのユニフォームを着用した。
長年J1とJ2を行き来するエレベータークラブの代名詞的存在であったが、2017年からはJ1に定着。2018年にはリーグ4位、2019年にはルヴァンカップ決勝に進出、川崎フロンターレ相手にPK戦まで持ち込む(結果は6本目で外して準優勝)など、「J1昇格しても降格争い」から脱却し、徐々に力をつけてきている。
チーム名の由来は、道産子(北海道で生まれた人)を逆さま読みにして「コンサド」、そして語感をよくするためにラテン風の「オーレ」を足し合わせたもの。世界のプロスポーツチーム中でも抜群のセンスを誇るチーム名である。札幌誇らしい。
ユニフォームは赤と黒の縦縞。2009~2012年に監督としてチームを率いていた石崎信弘が、コンサドーレの前身である東芝サッカー部時代に選手として所属していたころ、ACミランにあやかって変更したもの。現在まで受け継がれている。サポーターによるチャント(応援歌)にも「俺たちの街の誇り、赤黒の勇者」と謳われているものがある。
チームのマスコットはシマフクロウをモチーフとした「ドーレくん」。ちなみにクラブのエンブレムもシマフクロウを模ったものである。
世界的な名選手の兄が在籍したり、サポーターが小惑星の名前にしたり、毛利衛さんがペナントを宇宙に持っていったり、南極観測隊員が南極に旗を持って行ったり、選手寮の元寮母さんが美人だったり…とサッカー以外でも豊富なネタを持つチームである。サハリンのコンスタンチンくんもコンサドーレサポーターである(きっと、今も)。
ニコニコ動画的には、毎試合ごとにハイライトを編集してくれる職人がいてくれて、特に道外在住のサポーターにはなまらありがたい状況である。
クラブの歴史
- 1996年に東芝サッカー部が北海道へ移転。チーム名を「コンサドーレ札幌」とし、Jリーグへの準加盟も承認される。初年度の旧JFLではヴェルディ川崎からペレイラとアルシンドを獲得するなど本気度を見せるが、期待のアルシンドは開幕直後に主審に暴言を吐いて長期の出場停止を食らったのちに退団。ペレイラもシーズン半ばに負傷で離脱したこともあり、5位で終わり初年度でのJリーグ昇格は果たせなかった。
- 前年度と大幅に選手を入れ替えた1997年、ナビスコカップではJリーグ勢を抑えての決勝トーナメント進出を果たす。リーグではバルデスとウーゴ・マラドーナ(ディエゴ・マラドーナの実弟)のホットラインが猛威を振るい、快進撃を続ける。結局ホームでは無敗という成績を残しJFLを優勝。晴れてJリーグ昇格を果たす。なお、バルデスは40ゴールを叩き出す活躍で得点王を獲得。
- 初のJリーグでの戦いとなった1998年は攻撃面ではバルデスと吉原宏太の2トップが揃って二桁得点を記録したが、守備が崩壊。年間14位に終わりJ1参入決定戦に回るとここで4連敗を喫しJ2降格が決定。Jリーグ史上初の降格チームとなった。
- 1年でのJ1復帰を目標に前日本代表監督である岡田武史を監督に招聘。しかし、総入れ替えという形となった新外国人がことごとく期待を裏切り、シーズン半ば以降は昇格争いにも加われず1999年はJ2で5位に終わる。少ない予算で戦うことを余儀なくされた2000年はほとんどがレンタル移籍の選手というメンバー構成だったが、サンパウロFCから獲得したエメルソンが31ゴールと大爆発。J2リーグ優勝を果たし、降格から2年でJ1リーグに復帰する。
- 2001年はエメルソンの慰留にこそ失敗したが、新たに大分トリニータから獲得したウィルが活躍。播戸竜二との相性も良く、24ゴールを決めてリーグ得点王に輝き、チームも11位でJ1残留を果たす。また、この年山瀬功治が最優秀新人賞を受賞し、高卒ルーキーの今野泰幸がレギュラーを獲得するなど実りの多いシーズンとなった。またこの年から札幌ドームをホームスタジアムとして使用するようになったことで観客動員もアップする。シーズン終了後、岡田監督が勇退。
- 岡田の後任として柱谷哲二が監督に就任した2002年だったが、残留の立役者となったウィルと播戸が揃って移籍したことで戦力が低下。補強の失敗もあって戦い方が定まらず、リーグ最下位に終わり二度目のJ2降格が決定する。
- J2に降格してからは経営の悪化によって人件費の削減を余儀なくされ山瀬や今野は退団、若手主体のチーム作りに舵を切ったこともあって2004年にはJ2最下位に終わるなど苦戦が続いていた。
- 三浦俊哉を監督に迎えた2007年は堅守速攻のスタイルが功を奏し、開幕から7連勝と好スタートを切り序盤は首位を独走する。シーズン中盤戦あたりから失速し熾烈な昇格争いに巻き込まれるが、終盤にダヴィの活躍もあって4連勝を飾り、首位を死守する形でJ2優勝。6年ぶりのJ1復帰を果たす。
- 久々のJ1となった2008年だったが、他チームとの戦力の差を埋めきれず、最下位に終わり1年でJ2へ降格となる。ちなみにJ2降格が決まったのはシーズン終了の2か月前だった。
- 降格した2009年からは石崎信弘が監督に就任。毎年のように選手の入れ替えが激しい厳しい経営を強いられていたこともあって浮き沈みが激しく、2009年と2010年は我慢のシーズンとなった。石崎体制3年目の2011年は徳島ヴォルティスとの3位争いを最終節で制し、J1昇格を決める。しかし、2012年のJ1リーグでは史上初の9月中でのJ2降格が決定。数々のワースト記録を生み出してしまう。
- 再びJ2に戻った2013年よりクラブOBの野々村芳和が代表取締役社長に就任。しかし、強化費が前年の半額に削減されるという厳しい状況にあったこともあり2013年、2014年、2015年はいずれも昇格プレーオフにすら入れない中位に終わる。なお、2015年は元日本代表の小野伸二、稲本潤一が加入し話題となる。
- クラブ創立20周年となった2016年にホームタウンを札幌市を中心とした北海道にへ変更し、チーム名を「北海道コンサドーレ札幌」に改める。
この年、守備では増川隆洋、攻撃では都倉賢が中心となって攻守がうまくかみ合い、5月の時点で首位に立つなどいいスタートを切る。終盤に差し掛かって足踏みが続いたものの最終節のツエーゲン金沢戦で引き分け、9年ぶり3回目のJ2優勝と5年ぶり5回目のJ1昇格を果たす。 - 2017年の前半戦は苦戦が続き、降格圏ギリギリに位置していたが、夏にジェイ、チャナティップ、石川直樹を補強したことで盛り返し、最終的に11位でシーズンを終え、2001年以来チーム史上2度目のJ1残留を果たす。
- 2018年より前浦和レッズ監督のミハイロ・ペトロヴィッチ(ミシャ)が監督に就任。前監督の四方田修平はヘッドコーチとしてチームに残る異例の人事となる。いわゆる「ミシャ式」と呼ばれる可変型システムを取り入れ、開幕当初こそ適用に苦戦するも戦術が浸透した中盤戦以降は順位を上げるようになる。9月6日の北海道地震によるブラックアウトの影響を受けながらも最終的に4位とクラブ史上最高成績を残す大躍進を遂げる。
- 2019年にはルヴァンカップで初の決勝進出を果たし、チーム初タイトルに期待がかかる。川崎フロンターレとの決勝では1点ビハインドの後半終了間際に劇的な同点ゴールを決め、延長前半には福森晃斗のFKでリードもする。しかし、延長後半に同点に追いつかれると、最後は6人目までもつれ込んだPK戦で敗れ、惜しくも準優勝に終わる。
- 2020年以降もミシャ式がチームに浸透し、J1に定着するなど進歩は見られるも、守備が崩壊するという戦術上の弱点をカバーしきれないため2022年までの3年間連続で中位にとどまっている。
主なタイトル
国内タイトル
個人タイトル
2023年の所属選手
背番号 | Pos. | 国籍 | 選手名 | 生年月日 | 加入年 | 前所属 |
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- | 監督 | ![]() |
ミハイロ・ペトロヴィッチ | 1957.10.18 | 2018 | 浦和レッズ監督 |
1 | GK | ![]() |
菅野孝憲 | 1984.5.3 | 2018 | 京都サンガF.C. |
2 | DF | ![]() |
田中駿汰 | 1997.5.27 | 2020 | 大阪体育大学 |
3 | DF | ![]() |
馬場晴也 | 2001.10.2 | 2023 | 東京ヴェルディ |
4 | FW | ![]() |
菅大輝 | 1998.9.10 | 2017 | 北海道コンサドーレ札幌U-18 |
5 | DF | ![]() |
福森晃斗 | 1992.12.16 | 2015 | 川崎フロンターレ |
6 | DF | ![]() |
中村桐那 | 2000.7.22 | 2015 | HONDA FC |
7 | MF | ![]() |
ルーカス・フェルナンデス | 1994.4.24 | 2019 | ECヴィットーリア |
8 | MF | ![]() |
深井一希 | 1995.3.11 | 2013 | 北海道コンサドーレ札幌U-18 |
9 | MF | ![]() |
金子拓郎 | 1997.7.30 | 2020 | 日本大学 |
10 | MF | ![]() |
宮澤裕樹(C) | 1989.6.28 | 2008 | 室蘭大谷高校 |
11 | MF | ![]() |
青木亮太 | 1996.3.6 | 2008 | 室蘭大谷高校 |
13 | FW | ![]() |
キム・ゴンヒ | 1995.2.22 | 2022 | 水原三星ブルーウィングス |
14 | MF | ![]() |
駒井善成 | 1992.6.6 | 2018 | 浦和レッズ |
18 | MF | ![]() |
浅野雄也 | 1997.2.17 | 2023 | サンフレッチェ広島 |
19 | FW | ![]() |
小柏剛 | 1998.7.9 | 2021 | 明治大学 |
21 | GK | ![]() |
松原修平 | 1992.8.11 | 2022 | 京都サンガF.C. |
22 | DF | ![]() |
西大伍 | 1987.8.28 | 2022 | 浦和レッズ |
23 | FW | ![]() |
大森真吾 | 2001.2.9 | 2023 | 順天堂大学 |
25 | GK | ![]() |
ク・ソンユン | 1994.6.27 | 2023 | 金泉尚武FC |
27 | MF | ![]() |
荒野拓馬 | 1993.4.20 | 2012 | コンサドーレ札幌U-18 |
28 | DF | ![]() |
岡田大和※1 | 2001.6.17 | 2023 | 福岡大学 |
30 | FW | ![]() |
田中宏武 | 1999.4.15 | 2022 | 立正大学 |
32 | FW | ![]() |
ミラン・トゥチッチ | 1996.8.15 | 2021 | OHルーヴェン |
40 | MF | ![]() |
菅谷脩人※2 | 2006.12.25 | 2023 | 北海道コンサドーレ旭川U-15 |
41 | MF | ![]() |
出間思努※2 | 2006.12.25 | 2023 | 北海道コンサドーレ札幌U-15 |
44 | MF | ![]() |
小野伸二 | 1979.9.27 | 2021 | FC琉球 |
45 | FW | ![]() |
中島大嘉 | 2004.5.28 | 2023 | 北海道コンサドーレ札幌U-18 |
47 | DF | ![]() |
西野奨太 | 2002.6.8 | 2021 | 国見高校 |
48 | GK | ![]() |
大谷幸輝 | 1989.4.8 | 2021 | アルビレックス新潟 |
49 | DF | ![]() |
スパチョーク | 1996.8.15 | 2022 | ブリーラム・ユナイテッドFC |
50 | DF | ![]() |
岡村大八 | 1997.2.15 | 2021 | ザスパクサツ群馬 |
99 | MF | ![]() |
小林佑希 | 1992.4.14 | 2023 | ヴィッセル神戸 |
過去に所属したおもな選手
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歴代監督
国籍 | 監督名 | 在任期間 | 備考 |
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高橋武夫 | 1996年 | 東芝時代の1987年から在任 |
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ウーゴ・フェルナンデス | 1997年~1998年10月 | JFL優勝&Jリーグ昇格(1997年) |
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石井肇 | 1998年10月~12月 | J2降格(1998年) |
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岡田武史 | 1999年~2001年 | J1昇格(2000年) |
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柱谷哲二 | 2002年~2002年6月 | |
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ラドミロ・イバンチェビッチ | 2002年6月~9月 | |
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張外龍 | 2002年9月~12月 | J2降格(2002年) |
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ジョアン・カルロス | 2003年~2003年8月 | |
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張外龍 | 2003年8月~12月 | |
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柳下正明 | 2004年~2006年 | |
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三浦俊也 | 2006年~2008年 | ・J2優勝&J1昇格(2007年) ・J2降格(2008年) |
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石崎信弘 | 2009年~2012年 | ・J1昇格(2011年) ・J2降格(2012年) |
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財前恵一 | 2013年~2014年8月 | |
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イヴィッツァ・バルバリッチ | 2014年8月~2015年7月 | |
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四方田修平 | 2015年7月~2017年 | J2優勝&J1昇格(2016年) |
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ミハイロ・ペトロヴィッチ | 2018年~ |
与太話
- サポーターの年齢層はかなり高めで、かなりご年配の方もいる。女性の割合が高いことが特徴(年齢層は上も下も)。そのためコンサドーレサポーターは購買力があるというのが定説になっている。室蘭や函館開催の試合ではJR北海道の「特急コンサドーレ号」が、道外アウェイ試合のときは、カードと開催場所によってJALのチャーター便が飛ぶことがある。鹿島戦で茨城空港、清水戦で静岡空港の宣伝イベントが開催されたこともある。
- サッポロビールがスポンサーについていることもあってか、コンサドーレ札幌のホームゲームで売られるビールは基本的にはサッポロビールである。なお、札幌ドームにおいては一部飲食売店で他社ビールの取り扱いがあり、アウェイエリア内の飲食売店だけでなく、ホームエリアの飲食売店でも実は他社ビールを購入できるが、熱狂的なサポーターがそれを購入することはない。厚別競技場については常設の飲食売店があるわけではないため、試合ごとの出店状況による。
- アウェイゲームを観戦するサポーターによって、スタジアム近傍のコンビニ等からサッポロビールだけ集中的に買われて売り切れることが(特に、スタジアムでサッポロビールが販売されないクラブとの対戦では)常態化しつつある。また、ホームスタジアムのトランスコスモススタジアムで通常はキリンビールとアサヒビールが販売されるV・ファーレン長崎においては札幌戦限定でサッポロビールを販売する飲食売店が存在するが、2020年は所属リーグが違い、YBCルヴァンカップに長崎が出場することもないため、天皇杯を除いて対戦が行われない。
- サッポロクラシックを飲むと、1缶1円がコンサドーレへの支援金としてサッポロビールからクラブに寄付される。この支援金は料飲店向けの樽生の売り上げからも拠出されている。
- 試合後の盛り場では、サッポロビールが飲める店を探して右往左往するコンサドーレサポーターの姿が良く見かけられる。
- 勝利した試合のあとは「すすきのに行こう~」「みんなで行こう~」。未成年はノルベサでも可(夜は風営法上入れません)。
- メインスポンサーは「白い恋人」で有名な石屋製菓。なお、ユニフォームの胸の表示は社名ではなく、商品名の「白い恋人」の方であったが、2018年の北海道命名150年記念ユニフォームからISHIYA表記が登場し、2019年以降は通常ユニフォーム(2019年は特別ユニフォームの設定なし)でもISHIYA表記に改められている。
- ユニフォームスポンサーとその表示位置はシーズンにより変動もあるが、基本的には胸に石屋製菓、左袖にサッポロビールを配する。2018年以降、背中の上側にあいプラン(北海道に本拠を置く冠婚葬祭業者)、下部にDiamond Head(Eコマース等のサイト運営支援等を行っている)、鎖骨部にトーホウリゾート(ホテル業)を配置することが通例になっている。サプライヤーはプーマ、アディダス、Kappaを経て2021年からミズノが採用されている。
- かつて(2008年から2009年)のメインスポンサーには、「お、ねだん以上」のフレーズで有名な家具量販店のニトリがあった。そして、Kappa……2つを組み合わせるとあるキャラクターが浮かぶのだが、きっとコンサドーレの中の人か神主のいたずらであろう。そう思っておいた方が幸せである。
- 同じ北海道どころか札幌ドームを本拠地を本拠地とするプロ野球チーム・北海道日本ハムファイターズとはきわめて仲が悪い。コンサドーレもファイターズも東京から移転してきたチームだが、ファイターズが移転当初横柄な態度をとったこと
、ファイターズ移転で事実上人気を取られたこと、札幌ドームの利用権問題から他のJリーグ・プロ野球チームと比べてもかなり険悪。これに関係して同じ日本ハム資本のセレッソ大阪ともサポーター同士の仲は良くない。最も、サポーター同士の仲の問題であり、コンサドーレ・ファイターズともフロント側は態度を改善し北海道のチームとして協業の可能性などを模索している。
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