千葉ジェッツふなばし単語

チバジェッツフナバシ
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千葉ジェッツふなばしとは、千葉県船橋市を本拠地とするバスケットボールクラブ、及びBリーグに所属するプロバスケットボールチームである。呼称は『千葉ジェッツ』である。

概要

日本バスケットボールクラブ/B1リーグ・東地区
千葉ジェッツふなばし
基本情報
創設年 2011年
運営法人
(所在地)
株式会社千葉ジェッツふなばし
(千葉県船橋市)
クラブカラー
(チームカラー)
プラチナ/ジェットレッド
ホームアリーナ 船橋アリーナ(船橋市合体育館)[船橋市]
ホームタウン 千葉県船橋市
前身
備考 千葉市フレンドリータウンと位置付けている。(※2015年12月から同フレンドリータウン協定を結んでいる)
運営法人名は2017年7月1日から「株式会社ASPE」から変更。
要獲得タイトル
オールジャパン(※天皇杯):1回
バスケットボールクラブチームテンプレート

bjリーグ日本プロバスケットボールリーグ)参入を機に誕生したバスケットボールクラブである。

称の「ジェッツ(Jets)」はジェット機が由来である。これは、千葉県には日本窓口でもある成田国際空港があり、その徴とも言えるジェット機に、子供たちの、引いては千葉県民希望を乗せて、日本のみならず世界に飛び立てるチームすという想いが込められている。

また、チームカラーであるプラチナジェットレッド称に因んでおり、プラチナは「ジェット機の機質さ、強さ、二の存在であることを表現する色」であり、ジェットレッドは「ジェット機の炎、熱さ、選手の志、ブースターの情熱、歓喜を表現する色」であるとしている。そしてこの2色を組み合わせることによって、ジェット機の強さと人間の温かさを兼ねそろえたチームとして表現しているという。

2017年7月からクラブ正式名称及びチーム正式名称を現在の名称とする。これは前年の9月8日に決まっていた事項exitである。

トップチーム略歴

bjリーグ時代

NBL時代

B1リーグ時代

クラブの歴史

夢と現実の間

創設者は新日鉄都市開発現在新日鉄不動産の前身の一つ)の社員であった梶原健(かじわら たけし)。

彼自身は高校時代までいちプレイヤーであったが、高校から大学へ進学する最中、ふと内のバスケットボール界について調べた所、内にプロチームいことを知り、プロになるには海外に行かざるをえないことから、「自分にはそこまで出来るがない」と悟り、幼い頃からのだったプロバスケットボールプレイヤーを諦めたという。

しかし、自分と同じ遇の子どもたちはたくさんいるので、いつか彼らのえる場所を提供すべく作ろうと決意する。1997年のことであった。

それから数年経ち、踏ん切りが付いた梶原は動く。それに対して様々な人達が協し、梶原と共に奔走した。結果、2011年千葉県初のプロチーム『千葉ジェッツ』が誕生、bjリーグに参入した。そして、社長である梶原を始めとしたクラブはbjリーグを戦い抜きながら創設1年からの黒字した。(※因みに、ホームタウン千葉県船橋市であるのは、梶原大学時代まで生まれ育った場所だからである)

しかし、人生は思い描いた程上手くいくわけではないということか、首の思惑とは裏に経営不振に陥ってしまう。このままいけば、梶原の願いはいもので終わろうとしていた。

経営不振からの回復

bjリーグ参入2年、経営不振という危機から脱出すべく、社長交代。抜されてしまったのが、永幸治取締役会長(※船橋整形外科グループの偉い人でもある)からの依頼で経営コンサルタントとして千葉ジェッツに関わっていた島田慎二(しまだ しんじ)であった。

彼は大学卒業旅行業界に足を踏み入れたあと独立し、旅行業やコンサルタント業を営んでいた。だがスポーツクラブ経営に関しては彼にとって未知の世界であり茨のであった。しかし・・・

会長にはかつて別の事業でお世話になっていましたし、他の支援者の方からも島田が引き受けないなら手を引くとまで言われて、これはもうをくくってやるしかない社長を引き受けることにしました。

WORKSIGHTexit
『経営不振から人気No.1バスケットチームへの勝因とは?』exit2016年3月29日)より

その後、スポンサーや寄付のおかげで、クラブ危機的な経営状況からひとまず脱出する。しかし、島田導による本格的な経営再建はここからであった。

経営再建始動 - 手始めに・・・

クラブ誕生から3年を迎える辺り、島田はある決断をする。それがbjリーグからNBLへの転籍だった。

最大の理由は「経費削減」であった。日本チームが点在しているbjリーグに対し、NBLは関東近郊を拠点とするチームが多かったためである。しかし、NBLはノンプロリーグながらプロリーグのbjリーグよりもかにレベルが高いチームばかりが居るというデメリットもあった。その為、"転籍したら絶対に勝てない。全敗してファンも離れてスポンサーもつかない。自殺行為だよ"との忠告も当然受けたという。

だが島田は『逆に考えるんだ』と言わんばかりにこう説いた。

だけど発想を変えれば、アリゾウに立ち向かう構図は挑戦意欲をかきたてます。これは資獲得の大きな旗印になると考えたんです。

そこで「打倒トヨタ」を掲げて、を共有、共闘するシチュエーションリーグ移籍によって意図的に作り、地元の経営者のベンチャーイズムに火をつけてスポンサー獲得をしました。

WORKSIGHTexit
『社長の仕事は社員に勝ちグセを植えつけること』exit2016年3月29日)より

一方、社員についてだが、革前は「負けが付いていた」という。

当時の日本バスケットボール界はマイナーな存在であった。

それ故か・・・

『お客さんが入らない、チケットも売れない、スポンサーもつかない、だからからないという、ないない尽くし。薄給で休みなく働いて、しかも人が雇えないから1人で何役もこなす、結果として何をしているかわからない、疲れる、さらに発想も乏しくなって自信も失う、成果は出ない』

・・・という悪循環に陥っていた。

このような状況に対して島田はまず、はっきりと活動理念ミッションを掲げようとした。それは「まず自分たちが何のために活動し、何を拠り所とするか」を明確にする必要があったからだ。当然、社員の意見も踏まえた上で、活動理念ミッションの内容を決めていった。

こうして、自分たちが筋を明らかにすることで、資調達に弾みをつけると同時に社内の革も狙ったのだった。苦しい経営ながらも成果を確実に挙げていく仕組みを作っていく為、敢えてスタッフを補充し、チーム体制を組んで効率よく動けるようにしたりして、「稼げる体制」を着々と築いていった。

スポンサー獲得と地域密着

さて、千葉ジェッツの試練は続く。まだまだスポンサーを獲得していかないと行けないわけだが、こういった面は他競技の著名なプロスポーツチーム千葉ロッテマリーンズジェフユナイテッド市原・千葉柏レイソル・・・など)とも競合するので、知名度・認知度共に低いジェッツにとって、経営面における強であると言える。

そこで打開策となったのが、島田社長に就任する前から地に行ってきた「地域密着活動」であった。とはいえ、ただ単に「地域密着活動」しただけで、地元の人々が千葉ジェッツを好きになるわけでもないし、観客やスポンサーが増えるわけでもない。

ここで島田はある点にをつけた。それは、千葉県自体がスポーツを通じた少年育成や地域創成に積極的に取り組んでいることだった。

ジェッツとしてはの根活動で子供たちと触れ合う機会が多いだけに、この活動の存在は「渡りに」である。そして、"こういった県の理念と合致しているクラブは他にいですよ!!!(迫真)"自治体に訴した結果、ホームタウン船橋市、そして県都・千葉市と各々協定を結ぶという「大きな」を獲ることに成功する。

この「大きな」によって、ジェッツの認知度は上がっていき、観客やスポンサーの更なる増加に繋がっていった。

勝ち癖を付ける

前述した通り活動理念ミッションを具体的に決めてビジョンとして示し、それらを実現するために長期だったり短期だったりの計画へと分類していった。

ミッションを果たすためには当然、具体的な標を設定するが、さらにその計画を担当する責任者を決めて、単位、週単位でプロセス管理を底していった。

以下、島田はこのように説明する。

日本一の球団をす」というような大きな標をいきなり掲げても、資繰りもおぼつかない状況では到底信用されません。でもビジョンを示して、段階的に1つ1つ実績を作っていくと組織は変わってきます。(例えば)"2年後に5億円の売上を立てると決めたら必達させる。3年後に7億といえば必達させる(※大事なことなので二回色付けしました"・・・これを2年、3年と続けると勝ちグセがつきます。その先にさらに高い標を掲げても、何とかなるだろうと受け入れられる土壌ができてくるんです。

そして「成果に対するリターンを享受できる組織になる」とビジョンに掲げているわけですから、業績が良くなれば必ずスタッフ配給します。すると信頼関係が生まれ、さらに頑ろうと奮起して、組織はいっそう成長していく。プラススパイラルでどんどん成果を出し続けていける組織に生まれ変わるんです。

WORKSIGHTexit
『社長の仕事は社員に勝ちグセを植えつけること』exit2016年3月29日)より

そんな社員たちに対し社長は、突き詰めれば、叱したり鼓舞したり、悩んでいるときはじっくり話を聞いたりしながらプロセス管理を底して勝ち組の意識を植えつけていくことに尽きると述べてる。但し、組織の規模がまだ小さいうちは社長が全て見ていくくらいの気構えがなければ成長は望めないとも摘している。


一時は燃料切れになるなど紆余曲折が有ったことは確か。そんな中でジェッツは2015-2016シーズン日本バスケットボールチームとして初めてホームゲーム観客動員数が10万人をえた初のチームとなり、そして2017年にはトーナメント大会日本一という栄冠も手に出来た。

次なる標に向けて、今日もジェッツは子どもたちの千葉県民希望を乗せて飛び続けていく・・・。

千葉ジェッツネクスト

クラブが所有するサテライトチームである。(⇒クラブ公式サイトのページexit

前身は千葉エクスドリームというチームで、2001年に創設(※創設時は『ピアスアロージャーズ』というチーム名であり誕生の地は旧安房町(現:南房総市)である)。その為、チームとしての歴史トップチームよりも長い。また、JBL2にも加盟し、更にはジェッツ誕生以前にbjリーグ加盟を申請していたこともあって、ジェッツよりも先に全的に名が知られていたチームであった。

2011年にジェッツのサテライトチームとなったことまではにされているが、2015年から現名称となったことについては公式で言及されていない。そこまで知らない人は多分消滅したと思い込んでいる性がある。

現在関東実業団リーグに参加しておらず、千葉県内や関東地方内の様々なトーナメント制大会に参加している。

関連動画

・・・ニコニコ動画動画は、スポーツナビexit動画一覧exitを観て、どうぞ。

関連商品

・・・その他は公式オンラインショップexitゲット!!!

関連コミュニティ

関連項目

クラブ公式サイト

千葉ジェッツふなばし 公式サイトexit

参考文献

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千葉ジェッツふなばし

1 ななしのよっしん
2017/09/01(金) 03:44:17 ID: bC06tyPUG8
幕張近辺のセレブ客見込めるポートアリーナでの試合増やしてほしい・・・
と思ったら「ふなばし」って付いちまったなチーム名。

こりゃ常磐線沿線民は応援しないな
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