千葉ジェッツふなばしとは、千葉県船橋市を本拠地とするバスケットボールクラブ、及びBリーグに所属するプロバスケットボールチームである。呼称は『千葉ジェッツ』である。
概要
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bjリーグ(日本プロバスケットボールリーグ)参入を機に誕生したバスケットボールクラブである。
愛称の「ジェッツ(Jets)」はジェット機が由来である。これは、千葉県には日本の国際窓口でもある成田国際空港があり、その象徴とも言えるジェット機に、子供たちの夢、引いては千葉県民の希望を乗せて、日本のみならず世界に飛び立てるチームを目指すという想いが込められている。
また、チームカラーであるプラチナとジェットレッドも愛称に因んでおり、プラチナは「ジェット機の無機質さ、強さ、唯一無二の存在であることを表現する色」であり、ジェットレッドは「ジェット機の炎、熱さ、選手の志、ブースターの情熱、歓喜を表現する色」であるとしている。そしてこの2色を組み合わせることによって、ジェット機の強さと人間の温かさを兼ねそろえたチームとして表現しているという。
2017年7月からクラブ正式名称及びチーム正式名称を現在の名称とする。これは前年の9月8日に決まっていた事項である。
トップチーム略歴
bjリーグ時代
NBL時代
- 2013-2014シーズン。経営方針によりNBLに転籍(後述)。イースタンカンファレンスで6チーム中最下位でシーズンを終える。
- 2014-2015シーズン。イースタンカンファレンスで7チーム中5位ながら、両カンファレンスの4位以下全体において2位であったため、ワイルドカードでプレーオフに進出。
- プレーオフでは1回戦で日立サンロッカーズ東京に2タテされてシーズン終戦を迎える。
- HCはレジー・ゲーリーが続投。大きな入れ替わりもなかったが、4選手を補強(内3選手は外国人選手)。
- トヨタ自動車アルバルク東京や東芝ブレイブサンダース神奈川などに初勝利を挙げるなど、シーズン通した勝ち越しに成功する(※34勝20敗)。
- 第90回オールジャパンの結果はベスト8。
- 2015-2016シーズン。NBL最後のシーズン。カンファレンス制が廃止されたため参加チーム計12チームによる総当たり戦となる。8位でプレーオフに進出。
B1リーグ時代
クラブの歴史
夢と現実の間
創設者は新日鉄都市開発(現在の新日鉄興和不動産の前身の一つ)の社員であった梶原健(かじわら たけし)。
彼自身は高校時代までいちプレイヤーであったが、高校から大学へ進学する最中、ふと国内のバスケットボール界について調べた所、国内にプロチームが無いことを知り、プロになるには海外に行かざるをえないことから、「自分にはそこまで出来る力がない」と悟り、幼い頃からの夢だったプロバスケットボールプレイヤーを諦めたという。
しかし、自分と同じ境遇の子どもたちはたくさんいるので、いつか彼らの夢を叶える場所を提供すべく作ろうと決意する。1997年の夏のことであった。
それから数年経ち、踏ん切りが付いた梶原は動く。それに対して様々な人達が協力し、梶原と共に奔走した。結果、2011年に千葉県初のプロチーム『千葉ジェッツ』が誕生、bjリーグに参入した。そして、社長である梶原を始めとしたクラブ首脳陣はbjリーグを戦い抜きながら創設1年目からの黒字を目指した。(※因みに、ホームタウンが千葉県船橋市であるのは、梶原が大学時代まで生まれ育った場所だからである)
しかし、人生は思い描いた程上手くいくわけではないということか、首脳陣の思惑とは裏腹に経営不振に陥ってしまう。このままいけば、梶原の願いは儚いもので終わろうとしていた。
経営不振からの回復
bjリーグ参入2年目、経営不振という危機から脱出すべく、社長交代。抜擢されてしまったのが、道永幸治取締役会長(※船橋整形外科グループの偉い人でもある)からの依頼で経営コンサルタントとして千葉ジェッツに関わっていた島田慎二(しまだ しんじ)であった。
彼は大学卒業後旅行業界に足を踏み入れたあと独立し、旅行業やコンサルタント業を営んでいた。だがスポーツクラブ経営に関しては彼にとって未知の世界であり茨の道であった。しかし・・・
道永会長にはかつて別の事業でお世話になっていましたし、他の支援者の方からも島田が引き受けないなら手を引くとまで言われて、これはもう腹をくくってやるしかないと社長を引き受けることにしました。
その後、スポンサーや寄付のおかげで、クラブは危機的な経営状況からひとまず脱出する。しかし、島田の主導による本格的な経営再建はここからであった。
経営再建始動 - 手始めに・・・
クラブ誕生から3年目を迎える辺り、島田はある決断をする。それがbjリーグからNBLへの転籍だった。
最大の理由は「経費削減」であった。日本全国にチームが点在しているbjリーグに対し、NBLは関東近郊を拠点とするチームが多かったためである。しかし、NBLはノンプロリーグながらプロリーグのbjリーグよりも遥かにレベルが高いチームばかりが居るというデメリットもあった。その為、"転籍したら絶対に勝てない。全敗してファンも離れてスポンサーもつかない。自殺行為だよ"との忠告も当然受けたという。
だけど発想を変えれば、アリがゾウに立ち向かう構図は挑戦意欲をかきたてます。これは資金獲得の大きな旗印になると考えたんです。
そこで「打倒トヨタ」を掲げて、夢を共有、共闘するシチュエーションをリーグ移籍によって意図的に作り、地元の経営者のベンチャーイズムに火をつけてスポンサー獲得を目指しました。
一方、社員についてだが、改革前は「負け癖が付いていた」という。
それ故か・・・
『お客さんが入らない、チケットも売れない、スポンサーもつかない、だから儲からないという、ないない尽くし。薄給で昼夜休みなく働いて、しかも人が雇えないから1人で何役もこなす、結果として何をしているかわからない、疲れる、さらに発想も乏しくなって自信も失う、成果は出ない』
・・・という悪循環に陥っていた。
このような状況に対して島田はまず、はっきりと活動理念とミッションを掲げようとした。それは「まず自分たちが何のために活動し、何を拠り所とするか」を明確にする必要があったからだ。当然、社員の意見も踏まえた上で、活動理念とミッションの内容を決めていった。
こうして、自分たちが目指す道筋を明らかにすることで、資金調達に弾みをつけると同時に社内の風土改革も狙ったのだった。苦しい経営ながらも成果を確実に挙げていく仕組みを作っていく為、敢えてスタッフを補充し、チーム体制を組んで効率よく動けるようにしたりして、「稼げる体制」を着々と築いていった。
スポンサー獲得と地域密着
さて、千葉ジェッツの試練は続く。まだまだスポンサーを獲得していかないと行けないわけだが、こういった面は他競技の著名なプロスポーツチーム(千葉ロッテマリーンズ、ジェフユナイテッド市原・千葉、柏レイソル・・・など)とも競合するので、知名度・認知度共に低いジェッツにとって、経営面における強豪であると言える。
そこで打開策となったのが、島田が社長に就任する前から地道に行ってきた「地域密着活動」であった。とはいえ、ただ単に「地域密着活動」しただけで、地元の人々が千葉ジェッツを好きになるわけでもないし、観客やスポンサーが増えるわけでもない。
ここで島田はある点に目をつけた。それは、千葉県自体がスポーツを通じた青少年育成や地域創成に積極的に取り組んでいることだった。
ジェッツとしては草の根活動で子供たちと触れ合う機会が多いだけに、この活動の存在は「渡りに船」である。そして、"こういった県の理念と合致しているクラブは他に無いですよ!!!(迫真)"と自治体に訴求した結果、ホームタウンの船橋市、そして県都・千葉市と各々協定を結ぶという「大きな力」を獲ることに成功する。
この「大きな力」によって、ジェッツの認知度は上がっていき、観客やスポンサーの更なる増加に繋がっていった。
勝ち癖を付ける
前述した通り活動理念やミッションを具体的に決めてビジョンとして示し、それらを実現するために長期だったり短期だったりの計画へと分類していった。
ミッションを果たすためには当然、具体的な目標を設定するが、さらにその計画を担当する責任者を決めて、月単位、週単位でプロセス管理を徹底していった。
以下、島田はこのように説明する。
「日本一の球団を目指す」というような大きな目標をいきなり掲げても、資金繰りもおぼつかない状況では到底信用されません。でもビジョンを示して、段階的に1つ1つ実績を作っていくと組織は変わってきます。(例えば)"2年後に5億円の売上を立てると決めたら必達させる。3年後に7億といえば必達させる。(※大事なことなので二回色付けしました)"・・・これを2年、3年と続けると勝ちグセがつきます。その先にさらに高い目標を掲げても、何とかなるだろうと受け入れられる土壌ができてくるんです。
そして「成果に対するリターンを享受できる組織になる」とビジョンに掲げているわけですから、業績が良くなれば必ずスタッフに配給します。すると信頼関係が生まれ、さらに頑張ろうと奮起して、組織はいっそう成長していく。プラスのスパイラルでどんどん成果を出し続けていける組織に生まれ変わるんです。
そんな社員たちに対し社長は、突き詰めれば、叱咤したり鼓舞したり、悩んでいるときはじっくり話を聞いたりしながらプロセス管理を徹底して勝ち組の意識を植えつけていくことに尽きると述べてる。但し、組織の規模がまだ小さいうちは社長が全て見ていくくらいの気構えがなければ成長は望めないとも指摘している。
一時は燃料切れになるなど紆余曲折が有ったことは確か。そんな中でジェッツは2015-2016シーズン、日本のバスケットボールチームとして初めてホームゲーム観客動員数が10万人を超えた初のチームとなり、そして2017年にはトーナメント大会日本一という栄冠も手に出来た。
次なる目標に向けて、今日もジェッツは子どもたちの夢と千葉県民の希望を乗せて飛び続けていく・・・。
千葉ジェッツネクスト
クラブが所有するサテライトチームである。(⇒クラブ公式サイトのページ)
前身は千葉エクスドリームというチームで、2001年に創設(※創設時は『ピアスアローバジャーズ』というチーム名であり誕生の地は旧安房郡富浦町(現:南房総市)である)。その為、チームとしての歴史はトップチームよりも長い。また、JBL2にも加盟し、更にはジェッツ誕生以前にbjリーグ加盟を申請していたこともあって、ジェッツよりも先に全国的に名が知られていたチームであった。
2011年にジェッツのサテライトチームとなったことまでは公にされているが、2015年から現名称となったことについては公式で言及されていない。そこまで知らない人は多分消滅したと思い込んでいる可能性がある。
現在は関東実業団リーグに参加しておらず、千葉県内や関東地方内の様々なトーナメント制大会に参加している。
関連動画
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関連コミュニティ
関連項目
クラブ公式サイト
参考文献
- 読売新聞 Wednesdayちば『千葉ジェッツ始動!』(2010年12月8日付)[PDFファイル]
- makusta THE☆アスリート
- onionworld『千葉ジェッツを取り巻く全ての人たちと共にハッピーになる』(2014年3月8日付)
- WORKSIGHT『経営不振から人気No.1バスケットチームへの勝因とは?』(2016年3月29日付)
- WORKSIGHT『社長の仕事は社員に勝ちグセを植えつけること』(2016年3月29日付)
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