卍丸(プロレスラー)とは、みちのくプロレスを中心に活動するプロレスラーである。
身長176cm体重85kg。1984年8月21日生まれ。本名は村上学(むらかみ まなぶ)。
南野タケシとチーム"舎人一家"で活動している。2012年にデビュー10周年を迎えた。
概要
ウルティモ・ドラゴンが主催していた闘龍門出身。最初は本名でデビューしたが、みちのくプロレス参戦時には「大間まぐ狼」のリングネーム、プロレスリング・エルドラドでは卍丸のリングネームで活動していた。現在のリングネームは卍丸に統一されている。もちろん、卍丸という名前は魁!男塾に由来したものである。
2015年現在はフジタ“Jr”ハヤト、Ken45°、南野タケシらとのユニット「バッドボーイ」として活動中。
来歴
- 2002年、メキシコの闘龍門Xで9期生としてタッグマッチでデビュー。このときのパートナー、は現在も相方である山本武志(のちの南野タケシ)。
- 2004年12月、青森県大間町出身のマグロ一本釣り漁師の「大間まぐ狼」としてリングに登場するようになった。
- 2005年10月、菅原拓也、Gammaと組んでヒールターンを果たす。後に景虎(KAGETORA→ジミー・カゲトラ)、佐藤秀(バラモン・シュウ)、佐藤恵(バラモン・ケイ)らと「STONED」を結成。それを機にふんどしからロングパンタロンを着用した海賊キャラに変身する。
- 2006年、エルドラド設立。卍丸として2年間、解散まで所属となる。
- 2007年、古傷である肩の故障で長期欠場を余儀なくされる。
- 2008年3月、みちのくプロレス復帰。
- 2009年2月、南野タケシとタッグ“舎人一家”を結成。
- 2009年11月、南野と組み気仙沼二郎と大柳欣也の持つ東北タッグのベルトに挑戦。見事勝利し第14代東北タッグ王者となる。
- 2011年1月、足の負傷で長期欠場。8ヶ月の欠場の後みちのくで復帰すると、10月に開催された“みちのくふたり旅”にてリングネームを卍丸に統一。フジタ"Jr"ハヤトらとユニット「バッドボーイ」を組んで、拳王属するヒールユニット“阿修羅”と抗争を繰り広げる。
- 2013年9月、拳王の持つ東北ジュニアヘビー級王座に挑戦。試合は高く評価されるが惜しくも敗戦。
得意技
- 卍落とし:当初はクロスアーム式ファイヤーサンダーだったが、今は通常の形式となっている
- 垂直落下式ブレーンバスター:卍落としでフォールを奪えなかったときに使う
- SHINJO:竹刀などの棒状の凶器をスイングする反則攻撃
- けつ:大間まぐ狼時代によく使っていたヒップアタック。現在は使用していない
エピソード
- 入場曲はオリジナルの「舎人一家のテーマ」。
- 生まれは足立区。南野とのユニット「舎人一家」の由来でもある舎人公園近くで生まれ育った。
- 初めてのプロレス体験は小学三年生のときにテレビで見たワールドプロレスリング。藤波辰爾のドラゴンロケットに心奪われたと本人は語っている。
- 小学生時代はG1やドームの生観戦もするくらいのプロレス少年だったが、同時に野球にもどっぷりとハマる(皿沼マイティーという、地域の野球チームに入っていた)。中学生時代は「5が野球、2.5がプロレス、残り2.5はエロいことばかり考えていた」と本人は語る。
- 技の名前にもあるように、新庄剛志選手の大ファンである。
- 中学生まではプロ野球選手を目指していたが、進路相談で教師に「ムリ」と言われてドロップアウト。親の頼みで高校に入り、アマレスを始めるも三ヶ月で中退する。
- その後、闘龍門9期生としてプロレス入門するが、履歴書の写真はピンク色のモヒカン+上半身裸というインパクトの強いものだった。
- とはいえ、合宿所で新井健一郎に坊主にしろ! と一喝されると素直に持参したバリカンで丸刈りになっている。
- 闘龍門分裂騒動の際は周囲が不安に陥る中、卍丸はマイペースで「なんとかなるだろう」というスタンスだったという。
- 東京での試合には両親も応援に来てくれる。もっとも、母親はよく「アンタはホントに覇気がない」と手厳しい檄を飛ばしているらしいが。
- 将来の不安は感じつつも、両親が生きているうちはプロレスを続けていきたいと考えているようである。
関連項目
- 0
- 0pt