概要
大分県出身。明治学院大学中退。(ほとんど通っていなかったらしい)
1970年に森進一郎、大島三平らとフォークソンググループ「かぐや姫」を結成。「酔いどれかぐや姫」などがヒットし知名度が上がるがグループは一旦解散。メンバーが変わってから1973年に「神田川」が大ヒットし70年代を代表するフォークシンガーになる。その後も「なごり雪」や「赤ちょうちん」といったヒット曲を生み出すが、アーティストの意見を無視してレコード会社が一方的にレコード制作を決めたりすることがかぐや姫解散の原因になり1975年に解散。以降はソロで活動している。
地元・大分の明豊高校の校歌を作曲している。明豊は近年高校野球の強豪校になっており、甲子園の中継で校歌っぽくない軽やかなイントロが流れてきたと思ったら「作曲:南こうせつ」と表示されて驚いた人も多いのでは(春のセンバツではこうせつ自身が歌った音源が流れる)。高校野球では試合後、勝利チームの選手が並んで校歌を1番歌った後走り出すのがおなじみだが、当初こうせつの書いた曲はアウトロがかなり長く、「アウトロが終わらないので走り出せない」という問題が発生した。実際の試合を見てこれに気づいたこうせつは短縮したバージョンを急ぎ録音して学校に送り、次の試合からはそちらが流れることになった。なお作詞の「南育代」はこうせつの妻であり、学校名や地元の地名などが歌詞に登場しない点も印象深い。
作詞・作曲ともにこなすが、詞が先にあった方が良い曲が書けるらしく、作曲に比べると作詞の例は少ない。かぐや姫時代によく詞を提供していたのが喜多條忠で、喜多條・南コンビの代表曲「神田川」のエピソードは喜多條自身の体験が元になっている。喜多條は早稲田大学中退であるが、在学中に付き合っていた彼女がおり、銭湯「安兵衛」に一緒に行くと喜多條はいつもそこで飼われていた鯉に見とれて彼女を待たせてしまったという、学生時代の思い出を歌にした曲である。なお、銭湯「安兵衛」は早稲田大学の西門付近にあったが、現在は廃業して現存していない。また、喜多條が作詞したヒット曲の一つに柏原芳恵の「ハロー・グッバイ」があるが、この曲で「紅茶のおいしい喫茶店」と歌われたのはこうせつの兄が大分で営んでいた店である。店を訪ねた喜多條が、「Hello」「Good Bye」と書かれた店オリジナルのカップ・ソーサーを見て着想したという。こうせつはヒットを記念して柏原にマグカップをプレゼントしたらしい。
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関連項目
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