南極点のピアピア動画とは野尻抱介の短編SF小説、およびそれを収録した短編連作。ハヤカワ文庫JA刊。
概要
表題作はS-Fマガジン2008年4~5月号に掲載。初音ミクとニコニコ動画にはまった著者が、今から10年後のニコニコ動画とVOCALOIDを想定し、ある意外な天文学的現象がネット文化に関わっていく様を描いた作品。
その後、続編となる「コンビニエンスなピアピア動画」(同2010年2月号掲載)と「歌う潜水艦とピアピア動画」(2011年8月号掲載)が発表され、2012年2月に書き下ろしの「星間文明とピアピア動画」を追加した4篇の短編連作としてハヤカワ文庫JAから刊行された。著者5年ぶりの新刊であり、表紙はもちろん初音ミクのキャラクターデザイン担当者であるKEIが担当。解説はドワンゴの代表取締役会長である川上量生が執筆した。
表題作は第40回星雲賞日本短編部門、「歌う潜水艦とピアピア動画」は第43回星雲賞日本短編部門を受賞。また文庫版は2013大学読書人大賞を受賞、「SFが読みたい!」2013年版で4位にランクインした。2015年には、読売新聞が主催する「SUGOI JAPAN AWARD 2016」の「エンタメ小説 SUGOI 20」にノミネートされた。
あらすじ
南極点のピアピア動画
日本の次期月探査計画に関わっていた大学院生の蓮見省一。だがクロムウェル・サドラー彗星が月に衝突し、計画は無期延期となってしまった。以来彼は愚痴っぽくなってしまい、しまいには同棲していた恋人の奈美にまで逃げられてしまう。彼女への愛を歌った曲をVOCALOID“小隅レイ”に歌わせた動画をピアピア動画にうpする省一。
ある日省一は親友であり、ピアピア技術部員の川瀬郁夫らのいるピアピア工場を訪れる。そこにあったのはいくつかの工作機械と小隅レイを模した“R・小隅レイ”というロボット。彼らはここでブートストラップの実験をしているという。簡単な工作機械がより複雑な工作機械を造り出し、工場自体が自身を拡張する。そして最終的には工場自体が自己増殖するという壮大な計画であった。
やがて、彗星の衝突により月から放出されたガスや塵が3ヶ月後の地球に降着円盤と双極ジェットを形成する事が判明する。このジェットを利用すれば弾道飛行のみで奈美を宇宙まで連れて行く事が出来る。ピアピア工場ならば宇宙船くらい作る事が可能かもしれない。省一が郁夫に相談すると、郁夫は既にXプライズがジェットを利用した有人宇宙飛行プロジェクトを募集している事を告げる。かくしてピアピア技術部が総力を結集して省一と奈美を宇宙に送り出すための“宇宙男プロジェクト”は開始された!
コンビニエンスなピアピア動画
物語は片田舎のコンビニ「ハミングマート(ハミマ)」でのアルバイト店員上田美穂とピアピア技術部出身の起業家桑野隆の出会いから始まる。以前からハミマ入店チャイムとそのシステムに興味を持っていた桑野はシステムを書き換えてチャイムから小隅レイの発売前の新曲が流れるようにした。全国規模で行われたこのプロモーションキャンペーンにより発売された新曲は大ヒットとなった。
そんなある日、美穂と桑野はハミマに備え付けの真空殺虫器から真空と強烈な紫外線照射に耐え、とてつもなく強靭な糸を出す突然変異の蜘蛛を発見する。この発見によりピアピア技術部と美穂自身の中からある野心がわき上がる。
歌う潜水艦とピアピア動画
海上自衛隊の潜水艦を用いた鯨観察プロジェクトを却下されたJAMSTECの中野は飲み友達の産総研の後藤から小隅レイを用いて鯨とのコミュニケーションをとるという代替案を提示される。早速中野は提案に従いプロジェクトのウェブサイトを作り、ピアピア動画にPR動画をうpした。すると動画を見たボカロマニアは計画に熱狂。海自と経産省内部のファンも巻き込んでプロジェクトは瞬く間に本決まりに。こうして海自から提供された退役潜水艦かざしおを用いた鯨観察プロジェクトは開始されたのだが…
星間文明とピアピア動画
かざしおが海底で遭遇し後藤のPCにあった小隅レイのデータをもとに(初音ミクそっくりの姿で)実体化した星間文明からの探査体あーやきゅあ。「彼女」の目的は自らを大量に複製して人類社会にとけ込み、得たものを星間文明に報告することであった。だがその存在を知った日本政府や中国があーやきゅあを危険な存在として隔離しようとする動きを見せたため、かざしおは海自や中国原潜の追跡をかわして密かに日本に上陸。後藤と中野はピアピア動画を運営する株式会社ピアンゴとハミングマートの協力を得てあーやきゅあの大量増殖作戦を敢行する。
知っておくとなお楽しめる用語集
「飽きた、去る」
これはもちろん亞北ネルのもじり。
小隅レイ
名前の由来は日本初のSF同人誌「宇宙塵」の主宰者、柴野拓美のペンネーム「小隅黎」であろうと思われる。
zmplib
ZMPとはおそらくZero Moment Pointのことであろう。これは地上を移動する物体の慣性力を込みにした重心を地面に投影した点のことである。二足歩行ロボットやセグウェイなどの地面をバランスを取りながら移動するモビリティにおいてはリアルタイムにZMPを演算、制御することがいまや必須となっている。ライブラリを表すlibが付いているので人間で言えば小脳に相当する姿勢制御用のオープンソースライブラリと考えればいいだろう。クラタスやPepperにおけるV-sidoのようなものである。
オープンソース・ハードウェア
オープンソース・ソフトウェアと同じ形態で設計された電子機器。基板パターンや回路図を公開し、誰でも生産・改造を可能にしたものと、論理回路をHDL(ハードウェア記述言語)のソースコードの形で公開し、利用者がコンパイルしFPGAに書き込む事で利用できるものがある。前者で日本で入手可能なものにワンボードマイコンArduinoがある。
自己増殖機械
現実にオープンソース・ハードウェアの自己増殖する3Dプリンタ"RepRap"なるものが存在する。
ガーンズバック連続体
ウイリアム・ギブスンの短編集「クローム襲撃」に収録されている作品。60年代の建築の撮影を頼まれたカメラマンが、次第にその頃の未来像の幻影を見るという話。たとえば小松崎茂の空想科学イラストにあるようなバラ色の未来感を夢想するようなこと。
トラ技
トランジスタ技術。電子技術系ニコニコ技術部員の必読雑誌。新人技術者からベテラン向けまでの様々な記事を掲載しているが、最大のコンテンツは全体の半分を超える広告にある。基板制作の会社はもちろんだが、秋月電子や若松通商のような一般向け電子部品小売店の通販広告なども掲載しているため、電子工作初心者も購入する事をお勧めする。
降着円盤と双極ジェット
これらは宇宙では比較的ありふれた現象である。主に生まれたばかりの恒星(ハービッグ・ハロー天体と呼ばれる。この場合、降着円盤はやがて惑星に進化する)や、銀河系やクエーサーの中心にあるような大質量ブラックホールでよく見られる。我々の天の川銀河にもあるらしい。
オービタル・サイエンス社とペガサスロケット
オービタル・サイエンス社(OSC)はアメリカの衛星打ち上げ企業。ペガサスロケットは小型衛星打ち上げ需要の増加を見込んで開発した、固体型4段式の空中発射型ロケット。ロッキード・トライスター改“スターゲイザー”から投下、発射される。水平姿勢から発射されるため、ロケットには飛行機のような主翼がある。空中発射型ロケットは空気の薄い成層圏から発射できるので、打ち上げコストを大幅に減らせる利点がある。だが、打ち上げ母機の維持費がバカにならないので日常的に打ち上げないと逆に赤字になってしまう。実際には小型衛星打ち上げの需要は当初の見込みより少なかったため、現在ではOSCはペガサスロケットの積極的運用はやめ、地上打ち上げ型ロケットに切り替えている。
スケールド・コンポジット社とバート・ルータン
独創的な航空機のデザインで有名な企業でバート・ルータンはその社長兼主任設計者。社名は航空機の素材となる複合材料からとられた。初の無着陸無給油世界一周をなしとげた“ボイジャー”やアンサリ・Xプライズを受賞した初の純民間宇宙船“スペースシップ・ワン”などが有名。ただし現在ルータンは航空機設計から退く事を表明しており、実用民間宇宙船“スペースシップ・トゥー”が彼の最後の“作品”となるようだ。
投げ銭システム
ピアピア動画にあって現在のニコニコ動画に無いもの。…の筈だったが、ニコニコ動画(く)でついに実装される。
Xプライズ
さまざまな未踏分野の達成者に送られるアメリカ・Xプライズ財団の懸賞。最初の純民間宇宙船に贈られたアンサリ・Xプライズの他、現在進行中のものとしては体を動かせない人の代わりに世界中のどこでも歩き回って、感覚を仮想体験できるアバター・ロボットを競う全日空・アバター・Xプライズ(日本企業初主催)や新型コロナウイルス対策に向けた「次世代マスクチャレンジ」などがある。
CAMUIロケット
NPO法人「北海道宇宙科学技術創成センター (HASTIC)」が中心となり、北海道の大学、民間企業が共同で開発中の小型ハイブリッドロケット。従来の小型ロケットよりも打ち上げ単価を1/10以下にする事を目標にしている。従来のハイブリッドロケットの固体燃料と酸化剤がうまく混ざらず、推力が弱くなってしまう弱点を克服し、固体ロケット並みの推力を実現している。作中では開発は既に終了し、設計がオープンソース・ハードウェアとして公開されている事になっているが、現実には2018年現在も開発中。
iPhone
作中のようにiPhoneのプロテクトを外して、任意のプログラムをインストールする事を俗に“Jailbreak(脱獄)”という。
アニューシャ・アンサリ
イラン生まれのアメリカの若き女性実業家。彼女がXプライズ財団に資金を提供した事から純民間宇宙船を競うXプライズはアンサリ・Xプライズとなった。宇宙観光に投資するだけでは飽き足らず、2006年には自らロシアのソユーズに乗って国際宇宙ステーションに滞在し、世界初の女性宇宙観光者となった。
埼玉の看板業者
これはニコニコではもうおなじみ、あの会社ですね。
アルテラか。わりと新しいな……
うん、出版当時アルテラはザイリンクスと市場を二分していた大手FPGAメーカーだったんだ。ところが2015年末にインテルに買収され、今やその一部門になってしまった。そう、アルテラという名前すら、もう残っていないんだ……
FPGA
パラメトリック・スピーカー
音声ではなく、音声信号で変調した超音波をを発するスピーカー。指向性が極めて高いので対象範囲を絞った音を流すことができる。超音波は本来耳には聞こえないが、音声信号で変調した超音波は空気や耳との相互作用により「聞く」事ができる。
エレクトロダイナミック・テザー
電離層の中を飛ぶ二つの衛星を導電性のケーブルでつなぎ、電離層とケーブルを通して電流を流すと、ケーブルの電流と地磁気の間にローレンツ力が働き、ケーブルが加速したり減速したりする。原理としてはレールガンと一緒である。2016年12月に打ち上げられたJAXAの宇宙ステーション補給機「こうのとり6号機(HTV-6)」にはスペースデブリの処理などへの応用に向けた実験機が搭載されている。
ベイジアン・ネットワーク
不確かな出来事における因果関係や相関関係を過去のデータの累積から確率的に推論する統計学モデルの一つ。隠れマルコフモデルと並び、ヒトの脳の論理にもっとも近いといわれる。身近なものではAmazonの“おすすめ”とか最近はあまり見かけなくなったMS Officeのイルカの『カイル君』などが実例。
ウェーブピアサー
高速船で海面下の船体を細く長くすることで造波抵抗を減らすことを狙ったもの。そのため形態は必然的に双胴・三胴船となる。ホバークラフトや水中翼船では浮上させられる重量に限度があるため、フェリーや貨物船などの大型の高速船は必然的にこの形態となる。欠点としては燃費が劣悪なこと。日本では長崎〜鹿児島間をIHI製の高速フェリー「オーシャンアロー」が運行している。また米海軍や海上自衛隊は次世代軍用船として開発を進めている。
『我が国の保有する潜水艦の数は決まっている』
日本の保有できる潜水艦の数は16隻。ただしここ最近は年に一隻というハイペースで更新されている。まだ動ける潜水艦が余ってしまう訳で、海自がJAMSTECにやすやすと潜水艦を貸与したのにはそんな事情もあるのである。
音響収束帯
海中の音は深い方に潜っていく性質があるが、水深5000m程まで達すると水圧で密度の高くなった水に反射されて海面近くまで戻っていき、この付近に“音の虚像”が出現する。これがCZ(音響収束帯)で。音源から半径約33海里、幅4~5海里の区域に出現する。
ループシーケンサー
デジタルサンプリングした音を切ったりつないだり音程を上げ下げしたりしてオリジナルの音楽に仕立て上げるDTMソフト。ACIDが代表格。ACIDの初版が1998年に発売されたので作中のセリフ通りなら作中の時間軸は2018年以降、おそらくは2020年ころと思われる。
分子アセンブラ
K·エリック·ドレクスラーによって提唱された汎用ナノマシン。材料とエネルギーさえ与えられれば原子をつなぎ合わせてあらゆる分子を作り出すことができる。(この場合の分子とは分子アセンブラ自身も含む)ただし、その実現性については疑問視する科学者の方が多い。
『技術水準が非線形の飛躍をする』
あーやが言っているのは技術的特異点のことだと思われる。日本ではカタカナの「シンギュラリティ」といえば数学の特異点やブラックホールの特異点よりもこれのことを指すことが多い。ぶっちゃけて単純に定義するなら「コンピュータの能力があらゆる意味で人間の脳を上回り、直感や創造性をも獲得したコンピュータが自身より優れたコンピューターを作ることで技術が加速度的に進むこと」。その時地球と人類に何が起こるのか、人類のさらなる進化を促すのか、それとも人間はする仕事がなくなり失業者が増加するのか、はたまた人間は肉体を捨て、自我をコンピュータに移植して生き長えるのか、あるいはコンピュータが反乱を起こし、機械と人間との最終戦争に突入するのか、いずれにしろ遅くとも2050年ごろには起こるだろうと考えられている。
ゾラック
ジェイムズ・P・ホーガンのSF小説『星を継ぐもの』の続編、『ガニメデの優しい巨人』に登場する、異星人ガニメアンのスーパーコンピュータ。地球人とはメンタリティから全く異なるガニメアンとのコミュニケーションを代行するため地球の言語や文化を高速かつ貪欲に学習していたが、「闘争」という概念を持たないガニメアンの作ったゾラックには地球人の戦争の歴史だけはどうしても理解できなかった。
SNS株式会社
北海道を拠点として液体ロケット開発を行う会社…は仮の姿で、その実態はあさりよしとおの漫画「なつのロケット」に登場する衛星打ち上げ可能な超小型液体ロケットを実現するために集まった集団「なつのロケット団」である。スタッフはSF作家笹本祐一氏、ジャーナリスト松浦晋也氏、「なつのロケット」の科学考証を担当した野田篤司氏など宇宙作家クラブのメンバーが中心となり、CAMUIロケットを開発している植松電気も加わっている。現在は堀江貴文氏が新たに設立した会社に吸収合併された。現在の名称はインターステラテクノロジス株式会社。ロケット開発の近況はハフィントンポスト
か、YouTubeのホリエモンチャンネル
を参照。
関連動画
関連項目
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