南極とは、めちゃくちゃ寒い場所である。北極よりもだいぶ寒い。
概要
南の果て。南極大陸というでっかい大陸がある氷山地帯。南極条約により、南緯60度以南の領有権主張は凍結されており、実質どこの国の領土でも無い。
寒い時は内陸部ではマイナス50度を超える極寒の地だが、海岸部にはこんな場所にも生物は生息している。有名なのはペンギンで、アデリーペンギンやコウテイペンギンなど、8種類のペンギンが生息している。他、海にはクジラの仲間やアザラシ、オットセイなどの哺乳類が生息しており、それらの生物の重要な餌となっているのが、ナンキョクオキアミである。
南極大陸にたどり着くには「吠える40度、狂う50度、叫ぶ60度」と呼ばれる荒れる海を越えることになる。 現在は地学・生物学研究のための基地が設けられている一方、南極条約により資源の採掘は行われていない。後述するタロとジロの話はよく知られているが、現在は南極の生物へ感染症を広めないようにするため犬などの動物は南極へは持ち込み禁止になっている。南半球の冬至(北半球では夏至)には各基地では士気の維持も兼ねてミッドウィンター祭というお祭り騒ぎが行われる。
南極点
アムンゼン隊、スコット隊が相次いで到達し、現在はアメリカのアムンゼン・スコット基地がある。
南磁極
南極点とは一致しない。現在は南極大陸外、オーストラリア側にある。
到達困難極
南極大陸でどの海岸からも最も離れている地点。ソ連の探検隊が到達済みで、現在はロシアのヴォストーク基地がある。
昭和基地
東オングル島にある日本の基地。郵便局(昭和基地内郵便局)もある。
第1次の越冬から帰還する際にどうしても犬を全て連れ帰る余裕がなく、隊員達は泣く泣く犬を15匹置き去りにしたため激しく非難された。再び昭和基地へ行くとタロとジロが生存しているのが見つかり思わぬ吉報となった(逆に言えば他の13匹は死亡か行方不明)※。
オゾンホールを最初に発見したのは日本隊である。実は他国の機関もオゾンの低下を観測していたのだが、観測ミスと思い込んで深入りしていなかったのだった。 日本の観測隊は隕石が大陸氷の動き・氷下地形によって集まりやすい場所を押さえているため隕石の発見量が多い。 基地には超伝導重力計とかいう大層なもんまであったりする。 南磁極から近すぎず遠すぎず程よく離れているためオーロラ観測も行われている。
※タロとジロにまつわる不思議な話
これより前、南極へ置いていった犬達の慰霊式の際、犬の世話をしていた菊池徹は一匹一匹の名を挙げたが、なぜかどうしても2匹の名前だけ思い出せず「安らかに眠れ」として済ませた。その2匹はタロとジロだったという。
他の南極基地
- みずほ基地(日本)
- あすか観測拠点(日本)
- ドームふじ観測拠点(日本) - 映画「南極料理人」の舞台はここ。
- アムンゼン・スコット基地(米国) - 先述の通り南極点。
- ヴォストーク基地(ロシア) - 先述の通り到達困難極。
日本の歴代南極観測船
太字は個別記事あり。
- 宗谷 第1~6次(1957~1962年) - 氷に囲まれ、ソ連の「オビ」号に助けられたことがあった。
- ふじ 第7~24次(1965~1982年)
- (初代)しらせ 第25次~49次(1983~2008年) - オーストラリアの「オーロラ・オーストラリス」号を救助したことがある。
- (2代目)しらせ 第50次(2008年)~
南極関係者
- ロアール・アムンゼン - 南極点初到達者。
- 小堺秀男 - 料理人として観測隊員に参加。南極で流し素麺を試みたという逸話を持つ。タレント・小堺一機の父。
- アーネスト・シャクルトン - 南極横断を試みたが上陸前に船が氷に閉じ込められ航行不能のち沈没、しかしそこから隊員全員生還を成し遂げた。
- ロバート・ファルコン・スコット - アムンセンと同時に南極点を目指すがアムンセン隊に約一ヶ月先を越され、さらに帰途で隊員5名全員が帰らぬ人となった。
- 白瀬矗(のぶ) - 日本人で初めて南極を旅した。砕氷船「しらせ」の由来となった「白瀬氷河」のさらに由来。
- ジロ - 第1次越冬隊で置き去りにされたにもかかわらず生き残った犬。第4次越冬隊で死亡。
- タロ - 第1次越冬隊で置き去りにされたにもかかわらず生き残った犬。1970年に北海道で老衰。
- 西堀栄三郎 - 第1次越冬隊隊長。
- 福島紳 - 日本の南極観測隊史上唯一の殉職者。
関連動画
南極を舞台にした作品
関連商品
関連項目
- 10
- 0pt