南芳一(みなみよしかず)とは、将棋棋士である。棋士番号147。大阪府岸和田市出身。九段。
いわゆる谷川浩司が活躍した世代に現れた黄金世代、55年組の一人。その中で高橋道雄を上回る最多タイトルホルダーであり、通算タイトル獲得7期という実力者である。
更に、棋王2期、棋聖2期、王将3期であり、更に他の全7大タイトル全てに挑戦したことがある数少ない棋士である。
概要
将棋を始めたのは10歳と遅い方だが、そこからめきめき実力をつけ、11歳で奨励会に入会する。だが、その後は浮き沈みを繰り返し、それでも17歳にプロ入りを果たした。そこからわずか5年でA級(加藤一二三、羽生善治らと並ぶスピード昇級)、25歳で九段まで上り詰めており、東の精鋭、塚田泰明と並び、西の精鋭として持て囃された。大阪では阪田三吉以来の名人誕生も目の前と囁かれた時期もあったという。ただ、その頃は関西の雄、谷川浩司全盛期であり、そこに往年の大名人中原誠、そして天才羽生善治が台頭したため、その夢は幻となった。彼もまた羽生善治犠牲者の一人である)。
また、若い頃と比較すると衰えも早く、40代にはB2級の中堅棋士となっており、現在はC2級となっている。
なお、同じ55年組で、同時期に活躍した東京都出身の塚田泰明と比較されることが多かったが、当時棋界きってのイケメンであり、オシャレでもあった彼と比較すると、とにかく地味な性質で、「おまえ本当に大阪生まれ?」と突っ込まれることもあったという。そして、全く無口なことで知られ、対局中はひたすら正座を保ち、更に棋風もどっしりとした堅実な棋風であったため、南の帝王地蔵流と名付けられ、まるで塚田とは対照的な存在だった。
だが、寡黙ながら笑い上戸でもあったらしく、ツボにはまればガハハと笑うことがあったという。そして、朴訥で飾らない性質から女流棋士の間でもファンが多かったらしく、時の女流名人、林葉直子が敬愛していた人物でもあった。
尚、第1回叡王戦の記念すべき初対局で森内俊之九段と対局した相手でもあり、そのときに初めて彼を知ったという視聴者も少なからずいるようだ。そして、粘り腰の健在さを見せ善戦を演じるなど、存在感を見せつけた。
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