南野拓実(みなみの たくみ、1995年1月16日 - )とは、日本のプロサッカー選手である。
フランス・リーグ・アンのASモナコ所属。サッカー日本代表。
概要
ASモナコ #18 | |
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南野拓実 | |
基本情報 | |
出身地 | 大阪府泉佐野市 |
生年月日 | 1995年1月16日 |
身長 体重 |
175cm 67kg |
選手情報 | |
利き足 | 右足 |
ポジション | FW |
学歴 | |
選手経歴 | |
サッカー選手テンプレート |
セレッソ大阪の下部組織で育ち、レッドブル・ザルツブルクでのプレーが認められ、2020年よりイングランドの名門クラブであり、世界最強のチームとも言わているリヴァプールFCに所属。
ユルゲン・クロップ監督からの指導を受け、モハメド・サラーやサディオ・マネといったワールドクラスのプレイヤーとの厳しいポジション争いに身を置いていた。
2021-22シーズンには限られた出場機会ながらも公式戦10得点を記録。カップ戦のタイトル獲得に貢献している。
2022年7月よりASモナコに移籍。加入2年目となった2023-24シーズンには9ゴール6アシストの活躍を見せ、リーグ・アン公式のシーズンベストイレブンに選出されている。
日本代表としては森保一監督が就任した2018年8月以降に主力に定着しており、背番号10を背負い、チームの得点源となっている。
適性ポジションはトップ下であるが、1トップや左右のウイングでもプレーできる。セカンドトップないしシャドーストライカーというタイプであり、ディフェンスラインの裏へ飛び出しゴールを狙う。
風貌は王子様的なイケメンだが、勝ち気で負けず嫌いな性格として知られ、プレーぶりは闘志を剥きだしにしたゴツゴツしたものである。
何度か不遇を受け、もうお終いかと思われる状況が訪れるが、そのたびに復活してくることから一部では「不死鳥」と呼ばれている。
また、2023-24シーズンでのモナコでの活躍ぶりから「モナ王」と呼ばれるようになった。
経歴
プロ入り前
大阪府泉佐野市で生まれ、兄と2人兄弟のスポーツ家族に育つ。
父親はコーチのような存在であり、幼い頃からサッカーに触れる環境で育っている。幼少期は練習メニューを父が考え、自宅の駐車場で兄と一緒に技術を磨いていた。母は車の送迎や栄養管理で子供たちをサポートしていた。
幼稚園の頃からすでに本格的にサッカーを始め、通っていた熊取幼稚園を母体としたゼッセル熊取に所属。小学校時代もゼッセル熊取FCでプレー。当時のチームメイトに後に日本代表で共にプレーする室屋成がいた。
当時から負けず嫌いで、反骨精神とコミュニケーション能力に長けていた。周囲からの評価は「努力する天才」。小学3年生の頃からはクーバー・コーチング・サッカースクールにも通い、1vs1の技術を学んでいる。
中学校入学と同時に複数のJリーグアカデミーからオファーを受けたが、セレッソ大阪U-15に入団。
2009年の第24回日本クラブユースサッカー選手権(U-15)大会でベスト8に勝ち進み、得点王に輝く。
この頃にはU-15日本代表の主力としても活躍しており、将来有望なプレイヤーとして期待される存在となっていた。
高校生になった2010年にU-18へと昇格し、ゴールを量産する活躍を見せる。
2011年の第19回Jリーグユース選手権大会では8試合で13得点を挙げるゴール量産を見せ、得点王となる。
2012年8月にはトップチームの2種登録選手となり、J1リーグ第32節大宮アルディージャ戦で公式戦初出場を果たす。チームのJ1残留がかかったJ1最終節の川崎フロンターレ戦でスタメンに抜擢される。
また、同年12月の天皇杯4回戦清水エスパルス戦において17歳にして公式戦初ゴールを決めている。
セレッソ大阪
2013年にトップチームへ昇格し、前年まで柿谷曜一朗が背負っていた背番号13を引き継ぐ。
高卒ルーキーとしてはクラブ史上初の開幕スタメンを果たすと、7月7日のJ1第14節ジュビロ磐田戦でJリーグでの初ゴールを記録。大久保嘉人が保持していたクラブのJ1最年少得点記録を更新する。
7月26日には、マンチェスター・ユナイテッドとの親善試合に出場し、1ゴール1アシストとチームの全得点に絡む大活躍を見せる。
実質ルーキーイヤーならもチームの主力として29試合出場5得点、公式戦38試合8得点という記録を残し、この年のJリーグベストヤングプレイヤー賞を受賞。
もっともユース時代からゴールハンターとして名を馳せた南野本人は5得点という自分の記録に不満を持っていた。
2014年は世界的なスター選手であるディエゴ・フォルランはチームメイトになる。前年の躍進から大きな期待を背負ったが、チームの不振とともに自身も2ゴールに終わるなど期待に応えることができず。勝気な性格が裏目に出てしまいシーズン中に二度一発退場を受けて批判をされたこともあり、チームも度重なる監督交代もあって17位に終わりJ2に降格。不本意なシーズンに終わる。
レッドブル・ザルツブルク
2015年1月6日、オーストリア・ブンデスリーガのFCレッドブル・ザルツブルクへ完全移籍することが発表される。背番号は18。
2月14日のリーグ戦第20節ノイシュタット戦で右MFとしてスタメンデビューを飾り、3月4日の第23節で2ゴールを決め、移籍後初ゴールを記録。
リーグ優勝がかかった5月24日のヴォルフスベルガー戦ではアシストを記録。
シーズン途中からの加入という形になったが、左MFなど二列目で起用されることが多く、14試合3得点という成績を残してチームのリーグ優勝に貢献。
移籍2年目となった2015-16シーズンは初戦となったオーストリアカップの1回戦で2ゴールを記録。
UEFAヨーロッパリーグプレーオフのディナモ・ミンクス戦でもゴールを決めるなどいい形でシーズンをスタートさせる。
その後は主力として定着し、シーズン10ゴールを決める活躍によってリーグ戦連覇に貢献。
2016-17シーズン、2017年2月19日に行われた第22節のSVリート戦でプロ入り初のハットトリックを含む、3得点1アシストの活躍をみせる。
4月2日、第27節のSCラインドルフ・アルタッハ戦では2得点1アシストをマークして2年連続二桁得点に到達。
2017-18シーズンには、後にボルシア・ドルトムントの監督となるマルコ・ローゼが監督に就任。
UEFAチャンピオンズリーグ予選2回戦のヒバーニアンズFC戦でジーズン初得点を決める。
7月22日、リーグ戦開幕戦のヴォルフスベルガーAC戦でも得点を決める。
11月には負傷で離脱をしていたが第14節のSKNザンクト・ペルテン戦でスタメンに復帰すると2得点をあげた。
2018年2月14日、UEFAヨーロッパリーグ・ラウンド32の1stレグ、レアル・ソシエダ戦でEL初得点を決める。
連続二桁ゴールは途絶えたものの、リーグ戦最終節ではフル出場して優勝に貢献、チームは5連覇を達成。
2018-19シーズン、2018年9月2日に行われた第6節のFCアドミラ・ヴァッカー・メードリング戦でリーグ戦初得点を決める。
11月8日、UEFAヨーロッパリーグ・GS第4節のローゼンボリBK戦でハットトリックを決める活躍を見せる。
公式戦31試合9得点とまずまずの成績を残し、チームの6連覇に貢献。
2019-20シーズンは怪物アーリング・ハーランド、ファン・ヒチャンと強力なトリオを結成し、開幕から4試合3得点と好調ぶりを見せる。
また、この年に悲願のUEFAチャンピオンズリーグ本大会初出場を果たすと、デビュー戦となったゲンク戦で2アシストの活躍を見せ、続く昨シーズンの王者リヴァプールFC戦では、1ゴール1アシストの大活躍。
チームはグループステージ敗退となったが、リヴァプール戦でのセンセーショナルな活躍をきっかけに各国の強豪チームのスカウトからも注目され、さらなるステップアップが期待されるようになる。
リヴァプール
2020年1月にイングランド・プレミアリーグの名門リヴァプールFCへ移籍。背番号はザルツブルク時代と同じ18となる。
この移籍は、チャンピオンズリーグで戦った際にユルゲン・クロップ監督が南野の才能に惚れ込んで獲得を熱望したとされ、ファン・ダイクやヘンダーソンといった主力選手も監督を進言したとされている。(という報道があったが、当人達が否定している上に、代理人がDAZNの番組内で逆オファーをあっさり話してしまった。移籍の舞台裏をベラベラと喋ってしまう代理人ってのはどうなんだ。)
2020年1月23日のプレミアリーグ第24節ウォルバーハンプトン戦で負傷したサディオ・マネとの交代で出場し、プレミアリーグデビューを果たす。当初から予想された通り、リヴァプールの強力な前線の中でレギュラー入りは難しく、メディアから酷評されることもあった。
2020-2021シーズンは、プレシーズンの段階で好調が伝えられ、2020年8月29日のFAコミュニティシールドでは、途中出場しアーセナルを相手に後半28分に移籍後の公式戦初ゴールを決めている。
しかし、新加入のジオゴ・ジョタが結果を残したことで序列が下がってしまい、スタメンで起用されたCLミジュランド戦での低調なプレーで批判が続出。公式戦3試合連続で出場機会が得られなくなるなど、厳しい立場に立たされてしまう。
戦力外という声も出始めた中、スタメンで起用された12月9日の第14節クリスタル・パレス戦で待望のプレミアリーグ初ゴールを決める。しかし、その後の試合で出場機会が激減してしまい、リーグ戦7試合でわずか6分の出場時間しか与えられなかった。
サウサンプトン
移籍市場最終日の2021年2月2日サウサンプトンFCへのシーズン終了後までのレンタル移籍が決定。背番号は19。
2月6日のプレミアリーグ第23節ニューカッスル戦にスタメンで新天地でのデビューを飾ると、前半30分に早速移籍後初ゴールを決めている。
2月20日の第25節チェルシー戦では先制ゴールを決め、6連敗中だったチームの連敗ストップに貢献している。
しかし、3月の代表戦に出場して以降は公式戦5試合連続で出場機会が与えられず、その後は前線からの守備以外でファンが満足する活躍を見せられなかった。
リヴァプール復帰
2021-22シーズンはプレシーズンで好調だったこともありリヴァプールに残留。
公式戦初出場となった2021年9月21日のEFLカップ3回戦ノリッジ戦では、2ゴールの活躍を見せ、勝利に貢献する。
11月20日、プレミアリーグ第12節アーセナル戦で後半31分に投入されると、直後にリーグ戦でのシーズン初ゴールを決める。だが、リーグ戦やCLでの出場機会は増えず、巡ってきたチャンスで結果を残せなかったことでクラブOBからも痛烈な批判を受ける。冬の移籍期間にリーズへの移籍話が浮上するが実現せず。
2022年1月16日の第22節ブレントフォード戦でバースデーゴールを決めるが、その後ルイス・ディアスが加入したことでベンチにも入れない試合が増えるなどさらに厳しい状況に立たされる。
EFLカップでは4得点、FAカップでは3得点とカップ戦で結果を残すが、3月20日以降2か月近く公式戦出場が無い状態が続く。
それでも5月17日の第37節サウサンプトン戦でリーグ戦初スタメンを掴むと、チームの優勝の望みを繋ぐ同点ゴールを決め、少ない出場時間ながらも公式戦10得点という結果を残す。
モナコ
2022年6月28日、フランス・リーグ・アンのASモナコへの完全移籍が発表される。契約期間は2026年夏までの4年契約。背番号はザルツブルク、リヴァプール時代と同じ「18」となる。
8月2日のUEFAチャンピオンズリーグ予選3回戦1st leg PSVアイントホーフェン戦で公式戦デビューを果たす。
8月9日の2nd legでも右MFとしてスタメンで出場するが、2試合ともに目立った活躍ができないまま早い時間帯で交代となり、チームも予選敗退となったことで酷評を受ける。
直後のリーグ・アン第2節ではスタメン落ちのうえ出場機会が与えられず、苦難のスタートとなる。その後も精彩を欠いたプレーが続いたことでチーム内での序列が下がり、メディアからは失敗移籍の1位に挙げられてしまう。
9月18日第8節スタッド・ランス戦で途中出場から移籍後初ゴールを含む1ゴール1アシストの活躍で勝利に貢献する。
ワールドカップ後も苦境は続き、2023年1月のリーグ戦では出場時間0分という屈辱的な扱いを受ける。シーズン後半戦の出場はわずか8試合のみとなり、最後までチーム内での信頼を得ることはできなかった。大きな怪我が無かったにも関わらず、シーズン半分の18試合のみの出場に留まり、メディアからはシーズンのワースト選手に選出されてしまう。
2023-24シーズンはザルツブルク時代の恩師であるアディ・ヒュッターが監督に就任。本来のポジションであるセカンドトップで起用されたことでプレシーズンから好調を維持。開幕からスタメンの座を掴む。
2023年8月20日のリーグ・アン第2節RCストラスブール戦では2ゴール1アシストの大活躍を見せ、復活をアピールする。8月25日には、第3節FCナント戦でも2試合連続となるゴールを決め、開幕3試合で早くも前年のゴール数を超えてしまう。この活躍によりレキップ誌選定のベストイレブンに2試合連続で選出され、8月のリーグ・アン月間最優秀選手に選出される。
9月以降は勢いが失速し、スタメンから外れる試合も見られるようになるが、11月24日の第13節パリ・サンジェルマン戦で試合に敗れたものの1ゴール1アシストの活躍を披露。さらに12月3日、第14節モンペリエ戦で2試合連続でのゴールを決める。
2024年2月25日のリーグ・アン第23節RCランス戦では、試合終了間際に決勝ゴールとなるスーペル・ゴラッソを含めた3ゴール全てに絡む大活躍を見せる(ちなみに1点目のオウンゴールは南野のゴールと言ってもいいレベルだった)。
シーズン終盤戦に入っても好調を維持し、最終的にリーグ戦9ゴール6アシストという成績を残し、チームの2位でのフィニッシュとCL出場権獲得に貢献。レキップ紙選出による週間ベストイレブンに7回選出され、シーズンのベストイレブンにも選出。さらにはリーグ・アンの公式ベストイレブンにも選出。酷評された前年から見事に這い上がることとなった。
2024-25シーズンのリーグ・アン開幕戦となった2024年8月17日のASサンテティエンヌ戦では華麗なループシュートからの決勝ゴールを決め、サポーターが選ぶ開幕節のベストイレブンに選出される。
10月22日、CLリーグフェーズ第3節レッドスター戦では2ゴール1アシストの大活躍を見せ、勝利に貢献。自身にとってザルツブルク時代以来5年ぶりのCLでのゴールとなり、この試合のPOMに選出される。
日本代表
14歳の頃から年代別の代表に選出される。2009年に吉武博文監督率いるU-15日本代表に選出されると、2010年のAFC U-16選手権2010ではベスト4まで勝ち進み、5得点を挙げて大会得点王の座を手にする。
翌年6月に開催されたFIFA U-17ワールドカップに出場。チームはベスト8進出と躍進を果たすものの、自身は1得点に終わるなど調子が上がらず、エースとしては物足りない内容となった。
2014 FIFAワールドカップでは、代表には選出されなかったが予備登録メンバーとして選出された。
同年10月に開催されたAFC U-19選手権では4試合4得点の活躍を見せるものの、PK戦までもつれこんだ準々決勝の北朝鮮戦で5人目のキッカーを務めるもPKを外してしまい、敗退。世界への切符を逃すことに。
2015年10月2018 FIFAワールドカップアジア2次予選を戦うヴァビド・ハリルホジッチ監督率いる日本代表に初選出されると、イランとの親善試合においてA代表デビューを果たす。
2016年はリオ・デジャネイロ・オリンピックが目標となるU-23代表での活動がメインとなり、AFC U-23選手権2016に出場。チームはベスト4まで勝ち進み、本大会出場を決めたものの、自身は所属するザルツブルクから帰還命令が出たことから決勝を前にチームを離脱。
リオ五輪本大会では初戦のU-23ナイジェリア戦で1ゴールを決め、グループリーグ3試合全てに出場したが、チームとしてはグループリーグで敗退。
A代表が森保一体制に移行してチームが世代交代を進めることもあり、久々に選出されると、初戦の対コスタリカ戦(本来はその前に対チリ戦が予定されていたが、北海道胆振東部地震の影響で中止になった)で代表初ゴール。その後2試合連続ゴールを決めるなど、コンスタントに結果を残し主力として定着。
メディアからは中島翔哉、堂安律と共に「三銃士」と呼ばれ、期待が集まるようになる。
2019年1月に開催されたAFCアジアカップ2019の代表メンバーに選出。
主力を温存したグループリーグ第3戦を除く全試合でスタメンとして起用され準決勝のイラン戦では倒されながらすぐに起き上がり、左サイドからのクロスで大迫勇也のゴールをアシスト。
決勝のカタール戦では2点ビハインドの中、大会初ゴールを奪うが、チームは1-3で敗れ優勝を逃す。
また、同年スタートしたカタール・ワールドカップアジア2次予選では、開幕から4試合連続ゴールを記録するなど、2019年の代表戦ではチーム最多の7ゴールをあげている。
新型コロナの影響で2020年10月に1年ぶりに集まった日本代表では、初めて背番号「10」を付けることになる。
2021年5月28日、2002 FIFAワールドカップアジア2次予選ミャンマー戦でゴールを決め、日本代表史上初となるW杯アジア予選開幕からの6試合連続ゴールを記録すると、6月7日のタジキスタン戦でもゴールを決め、記録を7試合連続に伸ばす。
しかし、2021年9月からスタートしたアジア最終予選では左ウイングでの起用されたことで適応に苦しんだことで不発に終わる試合が続き、批判も浴びるようになる。それでも、2022年2月1日のホームでのサウジアラビア戦で先制ゴールを決めて勝利に貢献している。
移籍したモナコや代表でのパフォーマンスが低調だったことから本大会のメンバーからの落選を予想する声が多かったが、2022 FIFAワールドカップ・カタール大会に背番号10を背負って出場することになる。
本大会では控えとなったが、グループリーグ初戦のドイツ戦では途中出場から流れを変える役割に一役買うと、自ら放ったシュートが堂安律の同点ゴールに結びつく。
その後もグループリーグ第2戦のコスタリカ戦、ラウンド16のクロアチア戦と1点が欲しい場面で投入されるが決定的な仕事はできず。クロアチア戦のPK戦では1番手としてキッカーを務めたが、GKドミニク・リバコビッチに防がれてしまう。その後二人のキッカーが決められず、日本代表のワールドカップはここで終了する。
ワールドカップ後は所属クラブでの不調もあってしばらく代表から外れるが、新シーズンになって完全復活したことで待望論が起こるようになり、2023年10月におよそ1年ぶりに復帰。2024年1月1日のタイ戦では代表ではおよそ1年ぶりとなるゴールを決めている。
2024年1月にカタールで開催されたAFCアジアカップ2023にも出場。初戦のベトナム戦ではスタメンで起用されると2ゴール1アシストの大活躍によって勝利に貢献。各メディアからこの試合のMOMに選出されるなど絶賛を受ける。第2戦のイラク戦では久保建英が復帰したことで不得意な左ウイングで起用されたこともあって不発に終わる。その後は3試合連続で途中出場し、全試合に出場。チームは準々決勝のイラン戦に敗れ敗退となる。なお、イラン戦から24時間経たないうちにクラブに戻り、リーグ・アンの試合に出場している。
2024年9月5日、2026 FIFAワールドカップ アジア最終予選初戦の中国戦では2ゴールを決め、この試合のMOMを獲得。
個人成績
シーズン | 国 | クラブ | リーグ | 試合 | 得点 |
---|---|---|---|---|---|
2012 | セレッソ大阪 | J1リーグ | 3 | 0 | |
2013 | セレッソ大阪 | J1リーグ | 29 | 5 | |
2014 | セレッソ大阪 | J1リーグ | 30 | 2 | |
2014-15 | ザルツブルク | Aブンデスリーガ | 14 | 3 | |
2015-16 | ザルツブルク | Aブンデスリーガ | 32 | 10 | |
2016-17 | ザルツブルク | Aブンデスリーガ | 21 | 11 | |
2017-18 | ザルツブルク | Aブンデスリーガ | 28 | 7 | |
2018-19 | ザルツブルク | Aブンデスリーガ | 27 | 6 | |
2019-20 | ザルツブルク | Aブンデスリーガ | 14 | 5 | |
リヴァプール | プレミアリーグ | 10 | 0 | ||
2020-21 | リヴァプール | プレミアリーグ | 9 | 1 | |
サウサンプトン(loan) | プレミアリーグ | 10 | 2 | ||
2021-22 | リヴァプール | プレミアリーグ | 11 | 3 | |
2022-23 | モナコ | リーグ・アン | 18 | 2 | |
2023-24 | モナコ | リーグ・アン | 30 | 9 | |
2024-25 | モナコ | リーグ・アン |
おもな個人タイトル
プレースタイル
いわゆるセカンドストライカータイプで、セレッソ大阪でプレーしていた頃はFWとしてプレーすることが多かったが、ザルツブルクに移籍してからは2列目やサイドアタッカーとして起用されプレーの幅を広げている。
森保JAPANでは、3人並んだ2列目の中央、いわゆるトップ下の位置で定着。役割としては、シャドーストライカー。
Jリーグでプレーしていた頃から、スピードとテクニックを活かしたドリブルで強引に仕掛けてシュートに持ち込んだり、高速ターンで前を向いてそこからDFラインと駆け引きをしながら裏へ抜けるプレーを得意としていた。前への意識が強く、気持ちを前面に出してゴールを奪いに行くタイプ。
欧州へ渡ってからは、オフ・ザ・ボールの精度が飛躍的に向上し、シンプルにボールを捌いて動き直すプレーを選択肢に入っている。
本人も「常に得点を取り、取らせるポジションにいることを心掛けている」と語るほど、常に準備ができているのは大きな武器で、これをピッチ全体で体現できるプレイヤーである。
また、守備面での貢献度も高く、ボールを失ってもすぐに守備へと意識を切り替え相手にプレッシャーをかけることができる。
南野を初めてフル代表に選出した際、ハリルホジッチ監督もボールを持っていないときの動きを評価し、「常に得点を取る、取らせるポジションにいる。現代フットボールに適応するアタッカーである。」と称している。
人物・エピソード
- 3歳年上の兄もセレッソ大阪のジュニアユースに在籍していた。
- 憧れの選手として元スペイン代表のストライカーであるダビド・ビジャとフェルナンド・トーレスの名前を挙げている。
- 古橋亨梧は、興國高校時代の同級生である。もっとも当時、南野は高校の部活ではなくC大阪のユースに所属していたのに対し、古橋は高校のサッカー部でプレーしており、クラスも違ったためほぼ接点は無かった。2021年6月7日に行われたW杯アジア2次予選、タジキスタン戦では古橋のアシストからゴールを決めており、高校同級生の活躍が話題になる。
- イケメンでクールっぽい外見をしているが、実際は感情豊かで負けず嫌いな性格として知られる。C大阪時代はラフプレーでシーズンに二度退場したことがあるなど、気性の激しさがマイナスに左右することもある。
- 2014年1月13日、大阪市東住吉区の駒川商店街で行われた「東住吉区成人の日記念のつどい」に出席し、「1分間連続ハイタッチ」のギネス世界記録に挑戦。安田大サーカスの団長安田が保持していた世界記録171人を上回る182人とのハイタッチに成功し、その場で世界記録に認定された。
- リヴァプールのチームメイトで仲の良い選手としてサディオ・マネ、ジョエル・マティプ、ナビー・ケイタ、ディボック・オリギの名前を挙げている。
- 女優でグラビアアイドルの柳ゆり菜との交際が2020年に報じられ、双方の所属事務所も交際の事実を認めている。
- 2022年3月24日のワールドカップアジア最終予選敵地でのオーストラリア戦で、日本代表のユニフォームを着たオーストラリア人の美女が観客席から「TAKI MARRIAGE OR SHIRT?(タキ、結婚? それともユニフォーム?)」と書いたバナーを掲げていたことが話題となる。イケメンのタキらしい、何とも羨ましいエピソードである。ちなみに、この女性は家族全員がリヴァプールのファンとのこと。
- 2023-24シーズンにASモナコで開幕からセンセーショナルな活躍を見せたことでネットではアイスクリームの「モナ王」にちなんで「モナ王」と呼ばれるようになる。また、日本代表のチームメイトである伊東純也がどこで知ったのか南野のことを「モナ王」と呼び、話題になる。
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