南雲忠一(なぐも ちゅういち)(1887年(明治20年)3月25日~1944年(昭和19年)7月8日)とは、大日本帝国海軍の長官である。
概要
昭和16年、日米関係の悪化により、日米戦争が避けられなくなると、連合艦隊司令長官、山本五十六は敵戦力の殲滅を目的とし、ハワイ・真珠湾に向け、航空母艦6隻を中心とした奇襲部隊を出撃させる事を決意した。その総大将として任命されたのが南雲忠一中将である。
真珠湾攻撃は敵戦艦5隻を沈没させるなどして成功に終わったが、大目標であった敵空母は真珠湾にいなかった・・・。その後もセイロン沖海戦ではイギリス空母『ハーミズ(ハーミーズ)』を撃沈するなど大戦果を収めた。
山本のハワイ攻略の思惑やドーリットル空襲により帝都(東京)が空襲に遭った影響でミッドウェー作戦が命じられたが、南雲には敵空母の殲滅とミッドウェー島攻略の2つの目的を与えられて混乱する。そこで虎の子の空母4隻を失ってミッドウェー作戦は失敗に終わった・・・。(アメリカ側は空母1隻を失う)
その後も機動部隊の指揮官を務め、南太平洋海戦では敵空母『ホーネット』を撃沈する戦果をあげるなどそこそこの結果を出している。
大東亜戦争(太平洋戦争)時の大日本帝国海軍において、最も戦果をあげた提督だが、ミッドウェー敗北の印象が強く、辛辣な評価が多い。
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