博多藤四郎とは、ブラウザゲーム『刀剣乱舞-ONLINE-』に登場する刀剣男士である。
概要、始めるばい
数多いお守りとしても、ステータスとしても人気で大名がこぞって手に入れようとした藤四郎の短刀は、時の商人たちも贈答用などに買い求めてたとよ。
そんな中、博多の商人が得た藤四郎が、俺! 博多藤四郎たい!(刀帳)
粟田口吉光作の短刀。藤四郎兄弟のひとり。
博多から出たため、博多藤四郎の異名がついたとされる。
筑前福岡城主・黒田忠之から小笠原忠真に贈られ、以降小笠原家に伝来した。
博多の豪商から受け継いだ商売人魂を持つ。
2015年6月~7月のイベント「地下に眠る千両箱」にて初登場、第一回は確定入手だった。
その後も不定期開催される同イベントのボスマスで稀にドロップ。長らく入手方法はイベント限定だったが、2018年7月3日からは鍛刀による入手が可能となり、入手難易度は下がった。
赤いセルフレームのスクエア型メガネをかけた、朗らかな金髪の少年。
薬研藤四郎(刀剣乱舞)、明石国行(刀剣乱舞)に続く三人目の眼鏡男士である。
戦装束、内番衣装ともに、刀派共通の洋装。わけても戦装束は太腿が大変眩しいと評判である。
元々の刀が博多出身ということもあり、コテコテの博多弁を用いる。
他に方言キャラは土佐弁の陸奥守吉行(刀剣乱舞)、上方言葉の明石国行(刀剣乱舞)、更にウチナーグチの千代金丸(刀剣乱舞)、豊前方言の豊前江(刀剣乱舞)……と、だいぶラインナップが増えてきた。
商売人魂を持つという設定に由来し、とかく商売に絡んだ台詞が多い。
戦闘では「24時間戦えます!」「ジャパニーズびじねすまん!」と、明らかに一定以上の年代の審神者ならあのCMを思い出すフレーズで攻撃する。
また、畑当番では「この菜(な)を売ったら、いくらになるん」「がんばらんと菜は売れん」と、本丸で作った野菜の販売を画策しているかのような台詞を口にする。更に、正月限定ボイスではお年玉での投資計画を企てていた。
二次創作では大方の予想通り守銭奴、小判に釣られる、商売を始めるなど、がめつい商人っぷりを披露することが多い。
また黒田家に由来する事、共に機動特化タイプである事から、へし切長谷部(刀剣乱舞)、日本号(刀剣乱舞)と共に「黒田組」と呼ばれる事が多い。修羅の国だからと言ってそういう意味での組ではない
日本号(刀剣乱舞)と共に博多に出陣すると、回想が発生。
時代が変わっても博多の海は変わらないと言いつつも、「人の暮らしは変わっていくもんやけん」としみじみ述懐した。
キャラ性能だが、一言で言えば機動特化タイプ。
全刀剣男士の中では堂々のトップで、特にランクアップすれば機動が64にまで跳ね上がり、文字通りの機動お化けとなる。また偵察も内番をきっちりこなせば最大58に成長、陣形によっては高速槍をも先制できる。
一方で、統率は全刀剣男士ワースト。更に必殺が低いので真剣必殺がなかなか出ないという、機動特化タイプ特有のピーキーな性能ゆえに注意。運が悪いと、刀装が紙のようにすっ飛ぶ。
また、パッシブスキルとして「地下に眠る千両箱」において彼を部隊に入れると、獲得小判が1.5倍になる。階層が下に行けば行くほど敵が強くなり、短刀にとっては戦いが厳しくなる為、大量に小判が入手できる特定階での運用が望ましい。いや、望ましかった。詳細は下にて。
極(きわめ)かぁ…嬉しか~!
2017年2月21日のアップデートにおいて、「極(きわめ)」が実装された。
レアリティが一段階上がり、装備スロットが2つに増え、ステータスが大幅に上昇。現時点の極11振りのなかでは機動がトップの145。しかし、統率はワーストの74。
極の特徴である「昼戦でも遠戦を回避」「ステータスの大幅な上昇」により、大阪城地下深部でも活躍できるようになった。
獲得小判が1.5倍なのは据え置き……だったのだが、2017年4月の期間限定イベント「地下に眠る千両箱」より2倍となった。やったぜ。
新たな戦装束では、従来の軍服風の洋装の上から羽織を着、首に襟巻を巻いている。
更に橙色の頭巾を被っており、端から小銭を下げているほか、籠手などの装飾が追加されている。
真剣必殺時には、よーく見ると刀身の周囲に銅銭を思わせる光のエフェクトが見られる。
修行先はやはり博多で、元主の1人である黒田忠之の元へ赴くことになる。
手紙で「黒田様は金遣いば荒い御仁ばい。そのせいで色々問題ば起こすことになる」と語り、出入りの商人について商売を学ぶと審神者に告げていた。
この黒田忠之について説明すると、黒田官兵衛(如水)の孫で、黒田長政の長男。父の死により22歳で筑前福岡藩の二代目藩主となった。だが優れた軍略で「今世の張良」と呼ばれた祖父や、関ヶ原第一功を挙げた父とは違い、豪遊を好み、性格も奔放で我侭だったと伝えられている。
これが原因で父・長政から廃嫡を検討されたが、筆頭家老・栗山大膳ら家臣の擁護もあって免れた。しかし素行が改まらず、36歳の時にいわゆる「黒田騒動」を引き起こす。
この黒田騒動は伊達騒動・加賀騒動と合わせて三大御家騒動とも呼ばれるものだが、何だかんだあって最悪の事態は回避できた。後に歌舞伎や小説の題材となり、多くは暴君を諫める忠臣の物語として描かれている。
一方で1641年より長崎聞番役(国内外交易船の監視や警備・貿易品の調達など)に任命されており、清・朝鮮・オランダなど、諸外国と貿易する多くの博多商人が屋敷を出入りしたとされる。
この忠之を反面教師にしつつ、博多の豪商から受け継いだ商売人魂はさらに磨かれた。
隊長に据えると「隊長は俺ばい!迅速なソリューションでビジネスに革命を起こすばい」と、やたら現代的な経済用語を発する。
更に「IT」「ホットマネー」「営業成績」なども口にするようになり、畑仕事では「菜を売るには迅速な輸送がいるけんね」「小銭にはなりそうばい」と、やはり野菜販売を画策している台詞を口にする。
戦闘においては技名(?)が付くようになり、「商売上手切り!」「商売人アタック!」「必殺!資本主義アタック!」と攻撃を繰り出す。さらに勝利時には「資本主義は勝つ!」とどこぞのプロパガンダムの如く高らかに宣言。いったいいつの時代の博多に修行にいったんですか。
このように、とにかく面白い台詞の多い博多だが、他の藤四郎の兄弟とは別の分野で役に立つと自負。主人である審神者の役に立ちたいという健気な姿勢を言葉にしてくれる。
史実拝見たい
鎌倉時代中期の刀工・粟田口吉光(あわたぐちよしみつ)作の短刀。
黒田領の博多から買い上げられた為にこの号がついたとされる。
小倉の海上にて、黒田忠之から豊前小倉藩藩主・小笠原忠真(おがさわらただざね)に贈られた。忠之の嫡子が忠真の長女を正室に迎えた礼に贈られたと推察される。
小笠原忠真は、信濃松本藩初代藩主・小笠原秀政の次男。
幼い頃から徳川家に仕えていたが、大阪夏の陣において父と兄が戦死した為に家督を継承。その後、肥後熊本に国替えとなった細川家の後を継いで豊前小倉に移封されており、これは徳川幕府にとっていまだ不安要素が残る九州への抑えとしての加増転封であったと見られている。
黒田家の他にも様々な有力大名と縁戚関係を結んでおり、肥後熊本藩初代藩主・細川忠利(歌仙兼定・小夜左文字の所有者)、阿波徳島藩初代藩主・蜂須賀至鎮(蜂須賀虎徹の所有者)とは義兄弟である。また剣豪として名高い宮本武蔵を厚遇し、その養子を家臣として召し抱えるなど、武芸をおおいに奨励した。
忠真はこの博多藤四郎を、同じく名刀である郷義弘と共に陣刀拵えとした。
これは本陣における印とする為の拵えであり、儀仗用として大変豪華に仕上げられる。勿論実戦で用いるという意味もあり、共に高価な二振を陣刀にするのは珍しい事だったようで、刀剣鑑定師・本阿弥光室がそれについて尋ねると、忠真は「亡き父も兄も大坂で討死している。武士は最期が大切である為、名刀でも陣刀にするのだ」と答えたという。
以後は小笠原家に伝来。同家に伝来し、かつゲームに実装された刀剣には他に不動行光、秋田藤四郎、豊前江がある。
昭和6年(1931年)に旧国宝(重要文化財)指定。 その後は刀剣博物館所蔵とされてきたが、途中で所有者が変わったようで、2015年の時点では個人蔵となっていた。
2017年5月、文化庁が8000万円で買い上げた事が官報で確認、国有化された事が明らかとなった。その後2017年7月15日~8月20日、岩手県の一関市博物館で開催された「新たな国民のたから -文化庁購入文化財展-」にて展示。
2018年9月29日~ 11月25日、京都国立博物館にて開催の「京のかたな 匠のわざと雅のこころ」に出展(前期のみ)。ニトロプラスが協力、ゲームとのコラボが発表され、好評を博した。
2019年9月、福岡市博物館にて開催の特別展「侍~もののふの美の系譜~」に出展。同展ではゲームとのコラボが実現し、立ち絵パネルおよびイラストの展示、グッズ販売が行われた。
関連動画も商売もそげん変わらん!
ここが一番の投資時たい!
関連項目は情報!
- 刀剣乱舞
- 粟田口吉光
- 鳴狐(刀剣乱舞) - 粟田口国吉の作
- 鬼丸国綱(刀剣乱舞) - 天下五剣・粟田口国綱の作
- 黒田家
- へし切長谷部(刀剣乱舞)
- 日本号(刀剣乱舞) - 回想が発生
- 眼鏡男士
- 薬研藤四郎(刀剣乱舞) - 内番時のみ
- 明石国行(刀剣乱舞)
- 亀甲貞宗(刀剣乱舞)
- 巴形薙刀(刀剣乱舞)
- 主命とあらば24時間戦えます
- 守銭奴
- リゲイン
- 1
- 0pt