卞皇后とは、三国時代、曹魏に3人存在した皇后である。全て同族。
- 武宣卞皇后 - 161~230、曹操の妻。子の曹丕が皇帝になった時、皇后を追贈された。
- 卞皇后 - 魏の4代皇帝、高貴郷公曹髦の皇后。1の弟である卞秉の曾孫。
- 卞皇后 - 魏の5代皇帝、元帝曹奐の皇后。1の弟である卞秉の孫。
ここでは1について説明。本項目では「卞夫人」で統一する。
曹操を支えた妻
徐州琅邪郡開陽県(山東省臨沂市蘭山区)の出身。祖父は卞広、祖母は周氏、父は卞遠。弟に卞秉がいる。
中国の高貴な人物が生まれた時にお決まりの霊異が彼女の誕生時にも見られたと記録にある。
歌妓出身だったところを曹操に迎え入れられた。曹丕、曹彰、曹植、曹熊の実子だけでなくその異母兄弟も養育した。
曹操の正妻は元々丁夫人だったが、実子同然に可愛がっていた曹昴の死をめぐって仲がこじれ離縁してしまう。丁夫人は身分の卑しい卞夫人に辛く当たっていたが、離縁後も挨拶を欠かさず礼をもって付き合おうとする卞夫人に感謝するようになったという。
また、病に臥せった時、子の曹丕の妻である甄氏が自分を気がかり泣き続けたと聞くと、彼女に「何と親孝行な娘でしょう」と感嘆した話がある。
曹操自身は帝位にはつかなかったが、子の曹丕が魏を建国すると皇太后、孫の曹叡の代には太皇太后を追贈される。230年(太和4年)に70歳で没、曹操の墓(高陵)に葬られた。曹操の追諡の武、自身の諡の宣を取って武宣卞皇后と呼ばれる。
逸話
- 董卓が洛陽に乗り込み朝廷を牛耳った時、曹操は難を逃れ東方に出奔した。袁術が曹操が死んだという知らせを届けた時、動揺し故郷に帰りたがった曹操配下を前に「夫の正死はまだ分かりません、もし生きていたら会わす顔がありませんし、災禍に遭っていたら一緒に死ぬのに何の差し障りがありますか」と言い、その場に留まらせた。
なお袁術の妹は楊彪(楊修の父)に嫁いだが、卞夫人と彼女がやり取りした書簡が『古文苑』に収録されている。 - 華美を好まず倹約家で、曹操が宝物を与えると中くらいのものを選んだ。理由を聞くと「上を取れば貪欲と取られ、下を取れば偽りの倹約と取られます。だから中くらいのを選んだのです」と答えた。
- 217年(建安22年)、実子の曹丕が太子(曹操の実質後継者)となる。卞夫人に左右の者が天下が慶賀しているので貯蔵品を分け与えますように、と言うと卞夫人は「王(曹操)は曹丕が年長だから太子にしただけです。私の教育の責任が無かったことから逃れられるだけでも幸せと思わねば、なぜそんな贈り物をする必要があるのです」と言った。これを聞いた曹操は「腹を立てた時に顔色を変えず、喜んだ時にも節度を忘れない。これこそ最も難しいことなのだ」と言った。
- 家族に対しても特別扱いせず倹約を通した反面、弟の卞秉にもっと褒美をやって欲しいと曹操にねだったという話が残っている。曹操は「奴はわしの妻の弟になれただけでも幸せじゃないか」「お前が盗んでる分ではまだ足りないのか」と相手にせず、卞秉が昇進し将軍に取り立てられたのは曹操死後のことだった。
子供達との関係
実子達の中でも、卞夫人は曹植をもっとも愛していた。曹丕の代、曹植がある罪を犯したので卞蘭(卞夫人の弟である卞秉の子)が報告しに来ると卞夫人は「私に構わず曹植を特別扱いしないように、国法を曲げてはいけない」と言った。曹丕は結局卞夫人に気兼ねして俸禄を下げ転封に留めた。
曹丕と曹植の不仲は(事実かは別として)「七歩の詩」などに見られる場面で色々語り継がれている。曹丕の真意は今となっては分からないが、当時から曹植を妬みこれを害しようとするも卞夫人を慮って出来ずしまいだったという話は次の夢占いの逸話にも現れている。
曹丕がある日夢を見て、周宣という占い師に言った。
「夢の中で銅銭をこすって模様を消そうとしているがかえってそれが鮮明になる、なぜか」
「これは陛下のお家のことで、そうしたいという気持ちがあっても太后様がそれをお許しにならないのです」
各メディアにおける卞皇后
蒼天航路
三国志大戦
Ver3.0で再登場する舞い要員。
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関連項目
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