占守とは
- 占守(しゅむしゅ)島 - 千島列島北東端にある島。本稿で詳述する。
- 占守(しむしゅ) - かつて大日本帝国海軍に所属した海防艦の艦名、またそれをネームシップとする艦級名。名前は1.の島名に由来する。占守型海防艦を参照。
- 占守(しむしゅ) - ブラウザゲーム『艦隊これくしょん~艦これ~』に登場する艦娘。2.の海防艦を擬人化したキャラクター。占守(艦これ)を参照。
概要
上記の通り千島列島に属し列島の北東端に位置する島。大きさは南西から北東へ約30km、幅最大20km程度。北東に千島海峡を隔てカムチャッカ半島と、西方に幌筵海峡を隔て千島列島で最大の面積(択捉島を含めた場合2位)の幌筵島と隣接する。
島名はアイヌ語に由来するとされているが、アイヌ語の中でも特に独自性の強かった絶滅言語「千島アイヌ語」由来故に意味はよくわかっていない。
気候は年間を通して寒冷であるが、比較的鳥や海獣類が多く生息し豊かな自然がある。
島内は一番高いところでも海抜200mに満たず、同じ千島列島にある阿頼度島(あらいどとう)が標高2,000mを超える火山島であることと比べると、非常になだらかな地形をしている。一方で、島の周囲は崖と岩礁に囲まれており、上陸できる場所は限られている。
自然が豊かであることからかなり昔から人が生活していたようだが、占守島が記録上に散見されるようになるのは江戸時代以降である。幕末になりロシアとの間で千島や樺太の帰属が問題になったが、最終的には明治時代に締結された樺太・千島交換条約により正式に占守島は日本領となった。その後は北洋漁業と共に発展し缶詰工場が作られるなどしたが、ソ連の成立や日米関係の悪化により昭和15年には要塞の築城が開始され、太平洋戦争中は軍が駐屯していた。
戦争中千島列島では戦闘はなかったが、終戦後の昭和20年8月18日、突如としてソ連軍が占守島に上陸、駐屯する第91師団などとの間で戦闘が発生した(占守島の戦い)。 戦闘自体は日本軍が上陸したソ連軍を上陸地点まで追い返し、死傷者数も日本軍のそれをソ連軍が上回るという日本軍優位の闘いであったが、ポツダム宣言受諾後でもあり最終的に91師団は降伏し戦闘は終結した。
占守島の戦い終結後、最終的に北方領土を含む千島列島はソ連の占領下におかれ、占守島は現在もロシアによる実効支配が続いている。
もっとも、サンフランシスコ講和条約で日本が領有権を放棄した千島列島は本来は今もって帰属未定の地域であるのだが、占守島を含む千島列島は現在もロシアによる実効支配が続いている(大事なこt(ry。
関連項目
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