双葉山定次(ふたばやま さだじ)とは、大相撲の横綱である。大分県宇佐市出身。
概要
明治45年2月9日、大分県に生まれる。本名・龝吉定次(あきよし さだじ)
少年時代、友人が吹いた矢が当り、右目はほぼ失明状態だったと言われる。それにも関わらず、大相撲史上稀に見るほどの圧倒的強さを誇った事から「史上最強の横綱」「相撲の神様」「昭和の角聖」と讃えられている。
昭和11年から14年にかけて前人未到の69連勝を達成し、日中戦争の時代背景も手伝って日本中が彼の連勝に沸いた。彼の連勝記録は今もって最高記録であり、後の大横綱達をもってしても未だ破られていない。
「双葉関の生まれ変わり」を自称する白鵬でさえ63でストップされている。69連勝後に突如引退を表明し世間を騒がせたが、周囲の必死の説得に思いとどまり現役続行を表明する。連勝中はまだ身体が出来上がっておらずうっちゃりに頼る相撲も多かったが、昭和17年から19年にかけて4連覇、36連勝を記録している。右四つ、上手投げの型の完成もこの頃であり、好角家の間では双葉山の全盛期はむしろこの頃だという見方が強い。その実績から特例として現役中から弟子の育成が認められたため、昭和16年に立浪部屋から独立し「双葉山相撲道場」を設立。引退後に年寄・時津風を襲名し道場名を「時津風部屋」と改める。
現在でも時津風部屋の入り口には部屋名とともに「双葉山相撲道場」の看板が掲げられている。
取り口としては、相手より遅れて立ちながら相手の立ち方を見て捕まえる「後の先(ごのせん)を取る」立ち合いで、特に右四つになった時の強さは常識を超えていたと言われる。なんとか勝とうと1回目の仕切りで立った相手さえも難なくつかまえて勝利している。稽古場でも大関以下の他力士を圧倒しており、入門して間もない栃錦が稽古をつけてもらった際、その当日ちゃんこ番だった栃錦は「お前魚くさいな」と言われ片手で放り投げられたと言う。
現役中の偉大な実績から双葉山のしこ名は現在止め名(後の力士が名乗ることができない)となっている。
名言
「稽古は本場所の如く、本場所は稽古の如く」
「勝負師は寡黙であれ」
「相撲ほど怪我をしない競技は無い」
「我、未だ木鶏たりえず」(連勝ストップ後に言った言葉)
「相撲は身体で覚えて心で語れ」
「一日に十分間だけ精神を集中させることは誰にでも出来るはずだ」
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