- プロ野球選手一覧 > 古久保健二
概要
楽天モンキーズ ヘッドコーチ #87 | |
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古久保健二 | |
基本情報 | |
国籍 | ![]() |
出身地 | 大阪府豊中市 |
生年月日 | 1964年6月23日 |
身長 体重 |
177cm 82kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 捕手 |
プロ入り | 1982年 ドラフト6位 |
引退 | 2002年 |
経歴 | |
選手歴 監督・コーチ歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
太成高等学校へ進学。3年間で府大会ベスト4が最高成績であり、甲子園大会出場歴はなし。
1984年ドラフト会議にて、ドラフト6位で近鉄バファローズに入団。同期入団には加藤哲郎がいた。
1985年、一軍デビューを果たし、同年は14試合に出場。ただ、当時の近鉄は、梨田昌孝・有田修三という球界屈指の捕手が居たことから出場機会は限られ、3番手の捕手の座を山下和彦・光山英和らと争う立場が続いた。
1985年に有田が読売ジャイアンツへ移籍。その後、徐々に梨田に衰えが見られるようになったことから少しずつ出番を増やしていく。
1989年、梨田の引退に伴い、山下和彦と正捕手の座を争うようになる。同年は65試合に出場し、近鉄のパ・リーグ制覇に貢献。ただ、シーズン終盤に手首を骨折したことから日本シリーズに出場することはできなかった。
1990年以降は長らく光山と併用され、正捕手争いを繰り広げた。
1994年、88試合に出場し、キャリアハイとなる6本塁打を放った。盗塁阻止率もパ・リーグ最高の.468を記録している。
1995年、自己最多の113試合に出場。同年オールスターゲームにも初出場。
1997年、打数こそ少なかったが、キャリアハイとなる打率.287を記録。
以降は的山哲也・礒部公一らの台頭もあり、出場機会が激減。ただ、磯部が外野手に転向したことから再び出場機会を増やしていく。
2001年には53試合に出場。優勝が決まった試合でもスタメン出場し、日本シリーズにも初めて出場を果たした。
2002年、45試合に出場したが、体力の限界を感じ、同年限りで現役を引退。
引退後は、古巣の近鉄を始め、中日ドラゴンズ、東京ヤクルトスワローズ、オリックス・バファローズ東北楽天ゴールデンイーグルス、KBOのハンファ・イーグルス、台湾プロ野球の富邦ガーディアンズなどでバッテリーコーチを務めた。
人物・エピソード
強気なリードで近鉄投手陣を支え続けたいぶし銀。ブロッキング能力も高かった。
打撃は得意な方ではなかったが、ツボに入ると強烈な打球を放つことから「びっくり箱」と呼ばれた。
1989年・2001年の近鉄優勝を両方経験している唯一の選手でもある。現役生活晩年には、岩隈久志との親子ほど年の離れたバッテリーとしても話題となった。
通算成績
打撃成績
通算:18年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
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NPB | 943 | 2108 | 1854 | 168 | 378 | 38 | 186 | 8 | 117 | 13 | 112 | 12 | 541 | 30 | .204 | .352 |
関連動画
関連項目
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