三代目古今亭志ん朝とは、20世紀最後の名人とも言われる落語家である。
古今亭志ん朝を名乗った落語家は3人いるが、初代はのちの十代目金原亭馬生、すなわち三代目の実兄で、志ん朝と名乗ったのは4年間。二代目は生没年さえ不詳の無名の落語家で、名乗っていたのも1年だけである。
そういったわけで、「三代目」をつけるまでもなく、古今亭志ん朝といえば、99.9%、三代目古今亭志ん朝のことである。
概要
三代目古今亭志ん朝(本名 美濃部強次 1938~2001)は、昭和の名人として名高い「五代目古今亭志ん生」の次男として生まれた。兄は十代目金原亭馬生。親子三人がいずれも名人クラスの落語家、という例は他にほとんどない。
若い頃は喜劇俳優としても活躍し、テレビにひんぱんに出演する人気者であった。世間での知名度も高いうえ、早い時期から父・志ん生をはじめとする落語界の重鎮たちにその才能を認められ、いわゆる通人からも絶大な評価を得、そして関東にも関西にも強力な人脈を持っていた。血統、人気、実力、全てが揃った落語界のプリンスであり、大名人・桂文楽をして「落語界最高の大名跡<三遊亭圓朝>を継ぐのは彼しかいない」と言わしめるほどであった。尋常でない自尊心を持つ同年代のライバル的存在、七代目立川談志も、かなり屈折した表現ながら志ん朝の落語を認める発言をしている。
では、志ん朝の芸とはどのようなものであるか…というと、それはニコニコに上がっている動画を見てもらうのが一番だろう。おそらく落語カテゴリで、動く姿が見られる動画が、もっとも多くアップされている落語家ではないかと思われる。動画の中の高座の質も、きわめて高い。
円熟のきわみに達しようとしていた63歳の秋、肝臓癌でこの世を去った。父も兄も本人も大酒飲みであり、兄は食道癌で、志ん朝より先に逝去している。その死は大きな衝撃をもって受け止められ、落語好きの多くがひたすら悲嘆にくれた。
志ん朝自身は自分をかなりクールに見ており、名人というものと自分を結びつけて考えることはほとんどなかったようだが、死後、志ん朝が名人であったという評はまたたくまに定着し、「志ん朝以降出ていない名人は、いつ出るのか」「現代の誰が、志ん朝の域に達するのか」というような語られ方をすることも多い。
また、「新必殺からくり人」にて旗本出身の噺家兼催眠術師のからくり人"塩八"役で出演したが、志ん朝本人も徳川直参旗本の血筋であった。
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