台湾高速鉄道とは、台湾の台北と高雄を結ぶ高速鉄道で、略称は台湾高鉄、高鉄、THSRである。日本製車両を使用しているため日本では、「台湾新幹線」とも呼称される。
なお、経営は台湾鉄路管理局(中華民国の国鉄)ではなく、台湾高速鉄路股份有限公司(台湾高鉄)が行っている。
概要
台湾の西部にある各都市圏を結ぶ交通手段は、従来の在来線鉄道(台鉄)と高速自動車国道、航空便などに頼られていたが、慢性的な渋滞や混雑を抜本的に問題を解決するため、台湾高鉄の建設プロジェクトを立ち上げ、様々な経緯を経過し、最終的に日本の新幹線システムを基本に採用し、2007年1月に開業した。
但し、後述する経緯から、車輌は日本製・分岐器はドイツ製・列車無線はフランス製と、色々ごちゃ混ぜになっている。
台湾北部の首都台北駅と、台湾第二の都市高雄にほど近い新左営駅の2駅間約345kmを最高速度300km/h、最速1時間36分で結ぶ。
この路線の開業により、最盛期には一日100便以上を誇り世界有数の便数で運行されていた航空便の台北高雄便は2012年に全廃に追い込まれている。
主な新幹線のシステム、車両設計(700T型)を採用したため、「台湾新幹線」という愛称もよく聞こえるが、実際に日欧混合システムの形で行い、日本の新幹線と比べると若干違うところがある。それでも、主な車両、700T型電車は東海道・山陽新幹線の700系電車から改良した車両なので、「やっぱり新幹線だ」というコメントが多い。
日本でいう普通車とグリーン車(台湾では商務車と呼称される)はそのままあるが、デッキに近い部分に荷物置き場があったり、車輌中央部には緊急時にガラスを割る用の非常用ハンマーがあるなど日本との違いも見られる。
自動改札機は日本と異なり、切符の表裏と向きを揃えないと突っ掛かるという台湾式自動改札機が採用されている。
歴史
台湾高速鉄道の計画は1989年に浮上した。台湾の大都市は、四都市の台北・台中・台南・高雄など、西側に一直線上に集中していることから都市間を線で結ぶ鉄道向きの都市配置となっており、既に日本やヨーロッパなどで普及している高速鉄道でこれらの都市を結ぼうという計画である。
台湾はこの四大都市(正確には台北市郊外の新北市を含めて五大都市)だけで人口の約50%を占めているほど西側に人口が集中している。
計画浮上から4年後の1993年に立法院(日本でいう国会)を建設案が通過。民間で建設することとなり、台湾高鉄(欧州連合)と中華高鉄(日本連合)が受注に名乗りを上げた。
当初は建設費の安さなどから欧州連合(フランス・ドイツ)の受注が決定されたが、その欧州側のドイツで1998年に高速列車ICEが「エシェデ脱線事故」という101人の死者を出す高速鉄道史上最悪の大事故を起こしてしまい、更に1999年には「台湾大地震」が発生し、欧州側には地震対策に不安が残るのに対し、日本側の新幹線では地震対策に「ユレダス」が実用化されてことから、なんと日本側が同年、逆転受注に成功。
しかし、欧州側はこれに対して違約金を求めて事態は紛糾。結局、前述の通り、車輌は日本製・分岐器はドイツ製・列車無線はフランス製というごちゃ混ぜ方式となってしまった。その結果、逆転受注の理由の一つになったユレダスは結局導入されなかった。実は政治的要因も紛糾した原因に関わっているのだが、めんどくさいのでウィキペディアを見てください。
また、運転士養成も当初はJR東海が担当することになっていたが日欧混在システムになってしまったことを理由に難色を示し、結局フランス・ドイツが運転士養成を担当することになるなど妥協策がとられた結果、何もかもいろいろとごちゃ混ぜな残念なシステムになってしまった。
そのせいなのか開業も当初は2005年10月を予定していたものの、数回の延期を続けて2007年2月にようやく開業にこぎつけた。
開業後は順調に利用客を伸ばし続け、当初は指定席(對號座)と商務車のみだったが、同年12月には自由席(自由座)も導入。開業から5年経った2012年には年間利用者数が4000万人を突破した。
だが、開業以来利用者数を日30万人と過大予測(現状日13万)しており、財政赤字が累積、2015年初頭には破綻の危機に陥った。
のち、政府が増資を行い「公有民営方式」での再建を目指すことが決定している。
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