吉田正単語

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吉田正(1921年1月20日1998年6月10日)とは、茨城県日立市出身の作曲である。

概要

1939年に地元・日立市にある専修学校卒業後、東京にあるタービン等を製作する会社に入社をするが、その傍ら作曲の基礎を学ぶ。

1942年に招集がかかり軍隊に入隊。その後中国兵をされたが、戦後シベリア拘留となる。拘留中に曲を作曲をする。これが後にデビュー作となる『異の丘』である。

1948年に復員をし日本へ帰。当時NHKラジオ番組『のどじまん素人演芸大会』で、シベリア拘留となった人物がこの歌を次々と披露していたために、NHK作曲者を探していたのを吉田本人が届けを出して、吉田正作曲となった。1949年日本ビクターに入社をすると、次々とヒットを飛ばすヒットメーカーとしての地位を確立する。また、歌手も多く育て、幸夫、フランク永井和田マヒナスターズ等の歌手を育てた。

代表作には『潮来』、『いつでもを』、『有楽町であいましょう』、『よりも君をす』等の他にも数々のヒット作があり、現在でも歌い継がれる曲が多い。

1998年炎のために死去。享年77歳であった。

死去後は出身地の茨城県日立市2004年に『吉田正記念館』が開設され、2005年には日立市内を通る常磐線には吉田の作品が発車メロディとして起用される。

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吉田正

1 ななしのよっしん
2013/03/27(水) 03:52:49 ID: Yv89H4r3L3
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タイトル:いつでも夢を

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