吉田麻也単語

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吉田麻也Maya Yoshida,1988年8月24日 - )とは、日本の有名ブロガーサッカー選手である。
ドイツブンデスリーガシャルケ04所属。サッカー日本代表

189cm78kg。サッカーをするときのポジションはDF(センターバック)。利き足は右足。

概要

アルベルト・ザッケローニ監督に抜されて以降、日本代表センターバックとして定着し、2014年2018年2022年FIFAワールドカップ三度出場し、いずれも全試合にフル出場している。2018 FIFAワールドカップ終了後には、代表を引退した長谷部誠の後を継いでキャプテンに就任。2022 FIFAワールドカップではキャプテンとしてチームを牽引した。2019年11月には、国際Aマッチ100試合出場を達成している。

オリンピックには日本人選手として一3度出場しており、オーバーエイで出場したロンドン五輪東京五輪ではキャプテンを務め、いずれもベスト4に進出している。

クラブレベルでは長年海外プレーしており、イングランドプレミアリーグイタリアセリエAといったトップリーグで活躍。サウサンプトン時代には、後にリヴァプールチャンピオンズリーグを成し遂げたサディオ・マネフィルジル・ファン・ダイクチームメイトだった。

若い頃は致命的なミス立ち、ファンメディアから批判されることが多かったが、経験を重ねていくにつれて安定したプレイヤーと成長しており、日本の中でも歴代トップクラスのDFと評されている。

経歴

生い立ち

長崎県長崎市出身。3人兄弟の末っ子として誕生し、2人のとは年が離れていることもあり常に可がられながら育っていた。父親が活発で社交的な性格であり自宅に自分の知人を招待することを好み、友達もたびたび招かれて食事をしていたため、幼少期から年上と接することが多かった。ちなみに吉田ルールでは、外泊は禁止されていた。

小学2年生のときに、地元長崎市の南陸FCに入団し、本格的にサッカーを始める。小学6年生の頃、家族名古屋を訪れたついでに名古屋グランパスユースのセレクションを受けるとまさかの合格。家族は元より本人も合格すると思っていなかった。ちなみにこのとき、70人近くが受験し、合格したのは吉田を含めて4人だけだった。

以後、家族愛知県に移住し、U-15世代から名古屋グランパスの下部組織に所属。当時のポジションボランチだった。高校愛知県豊田高等学校に進学し、高校時代はスポーツ、成績優秀で有名だった。名古屋グランパスU-18時代にアンダー世代の代表に呼ばれるなど頭を現し、2006年全日ユースではキャプテンとしてチームを準優勝に導く活躍を見せ、翌年名古屋グランパストップチームへ昇格。

名古屋グランパス

2007年の開幕前に名古屋のDFが相次いで退団したチーム事情もあってセンターバックコンバートされ、第9節の大分トリニータ戦で公式戦初出場を果たす。ルーキーイヤーからJ1リーグ戦19試合に出場。武器である高さでは手ごたえを掴めたものの、スピードタイプのFW相手になると未熟さが露呈されていた。

2008年シーズンに就任したクラブレジェンドであるドラガン・ストイコビッチ監督からの信頼を得てセンターバックレギュラーに固定されると、J1第22節の鹿島アントラーズ戦でプロゴール記録。このときチームは決定不足という課題を抱えており、シーズン終盤には高さを買われてFWとして起用されることもあった。年間を通してバヤリツァとのコンビで最終ラインを支え、この年3位と最後まで優勝争いを演じたチームに貢献。

2009年からは引退した大森征之から継承する形で背番号4をつけ、全に名古屋となる。初めてAFCチャンピオンズリーグに出場した年でもあり、第1節の蔚山現代戦ではヘディングで同点ゴールを決め、チームの逆転勝利に貢献。途中怪もあって出場は25試合となったが、名古屋のDFの軸といえる存在にまで成長。自慢の高さを活かし、大事な場面で重なゴールを決める場面も見られた。12月28日に念願だった海外への移籍が決定。2010年1月1日天皇杯決勝ガンバ大阪戦が名古屋での最後の試合となり、敗れたものの試合後を流しながら、サポーター世界舞台での活躍を約束する。

VVVフェンロ

2009シーズン終了後、2シーズン前まで本田圭佑が所属していたオランダエールディヴィジVVVフェンロに全移籍。ところが、移籍直後の練習中に左足首を骨折する重傷を負ってしまいシーズンを棒に振り、海外での挑戦は大きな挫折からのスタートとなる。

2年となった2010-2011シーズン背番号を「3」に変更。前年に負った怪からの回復が間に合わず開幕は出遅れたが、2010年10月30日フローニンゲン戦に途中出場し、ようやく念願の公式デビューを果たす。その後、出場機会を増やすが、全にレギュラーに定着とはいかず、リーグ戦20試合の出場に終わる。

2011-2012シーズンは、プレシーズンでのアピールに成功し、開幕からレギュラーを奪取。2011年9月11日エールディヴィジ第5節PSVアイントホーフェン戦では、見事なジャンピングボレーによるスーパーゴールを決める。このゴールは、後にオランダサッカー情報番組における視聴者投票によるシーズンベストゴール1位に選出。以降、現地での評価が上昇するようになり、チームの守備の要として存在感を増すようになる。2012年3月13日エールディヴィジ第24節NACブレダ戦では、チームメイトカレン・ロバートとの日本人によるアベックゴールが実現。初めて年間を通してレギュラーとして活躍した3年シーズンは、本職の守備だけでなくチーム2位の5ゴール記録するなど攻撃面でも貢献し、チームエールディヴィジ残留の立役者となった。

サウサンプトン

ロンドンオリンピック出場後の2012年8月30日イングランドプレミアリーグサウサンプトンFCセインツ)への全移籍が決定。9月15日の第4節アーセナル戦でプレミアリーグ初出場を果たす。だが、加入間もない時期だったのに加え、負傷者により前半29分に急きょ出場したこともあり連携面で苦戦し、アーセナルに6ゴールを奪われて大敗する屈辱的なデビューとなった。だが、その後チームからの信頼を得たこともあってセンターバックレギュラーに定着するようになり、1年にして公式戦32試合に出場する。また第24節のマンチェスター・ユナイテッド戦では、香川真司とのプレミアリーグ史上初となる日本人対決を実現させている。

2013-2014シーズンは、新加入のデヤン・ロブレンとのポジション争いに敗れ、控えのセンターバックという位置づけになる。出場機会が恵まれない中、2014年2月22日プレミアリーグ第27節ウェストハム戦でプレミアリーグゴールを決める。しかし、3月練習中に左ひざ靭帯を損傷し戦線離脱。シーズン終了までに回復することはできず、この年の出場数はわずか8試合に終わる。

2014-2015シーズンはロブレンが退団するが、今度はトビーアルデルヴァイルトが加入。またしても控えという位置づけになる。ロナルドクーマン監督は本職ではない右サイドバックで起用したり、3バックを採用した際はスタメンとして起用していたが、状況が劇的に変わったわけでもなく、便利屋というイメージで使われていた。結局、リーグでのスタメンは18試合とシーズンの半分ほどだった。

2015-2016も、後に世界最高のセンターバックと称されるようになるフィルジル・ファン・ダイクとのポジション争いが待ち受けており、キャプテンダビド・フォンテとファン・ダイクの牙を崩すのは厳しかった。右サイドバックとして出場したプレミアリーグ第6節マンチェスター・ユナイテッド戦ではバックパスを奪われて失点に関与する致命的なミスを犯す。第14節のマンチェスター・シティ戦でもやはり失点に直接絡むミスを犯しており、出場機会はさらに減ってしまう。

2016-2017シーズン前半もセンターバックの3番手という立場だったが、2017年に入って事態が好転。1月にフォンテが移籍し、さらにファン・ダイクが負傷によって長期離脱したことでセンターバック定位置を掴むと、チーム危機を救う活躍を見せる。この頃から地元メディアサポーターからの評価も上昇。キャプテンマークを巻いて出場するなど、チームからの信頼も厚くなり、クロード・ピュエル監督吉田への信頼を強調するコメントを発するようになる。4月15日の第31節クリスタル・パレス戦でシーズンゴールを決めると、4月29日、第35節のハル・シティAFC戦では日本人選手として初のプレミアリーグ100試合出場を達成。シーズン終了後、地元によるサウサンプトン年間最優秀選手投票では2位となり、「吉田は今季セインツで成長を遂げた。ジョゼ・フォンテの移籍とファン・ダイクの長期離脱の後、センターバックの頼みの綱となった」と評価された。

2017-2018シーズンは開幕からレギュラーとして出場。開幕直後にクラブとの契約延長に合意し、コンビを組んだ若手のCB経験値で引っるなどディフェンスリーダーとして上々のパフォーマンスを続ける。9月30日、第7節のストーク・シティ戦でシーズンゴールを決めると、12月13日レスター・シティ戦でシーズン2得点マーク。ちなみに、この試合ではレスター岡崎慎司ゴールを決めており、プレミアリーグ歴史で初めて複数のアジア人選手が得点した試合となった。年明けに左膝を負傷し戦列を離れ、チームも不振に陥り降格の危機に直面するが、この期間に待望論が出たことでかえって存在の大きさが再認識される。終盤に復帰すると、チームプレミアリーグ残留に貢献。

2018-2019シーズンは、開幕から出場機会が与えられずカップ戦要員に降格。シーズン初スタメンとなったプレミアリーグ第8節チェルシー戦では、自身の不用意な判断ミスから失点を献上してしまう。チームは14試合でわずか1勝しか挙げれず降格圏に低迷。12月監督マーク・ヒューズが解任となり、ラルフラングニックが新監督に就任。3バックが基本となったことで出場機会が増え、シーズン終盤にはレギュラーに定着。プレミアリーグ残留に貢献する。

2019-2020シーズンは、すっかりチームでも古参となる。しかし、2019年10月25日第10節レスター・シティ戦に出場するも、この試合で9失点を許す歴史的大敗にかかわることに。以降、若返りを図るクラブの方針もあって構想外となり、出場機会が減。8年間所属したチームから放出されることが確実視されるようになる。

サンプドリア

の移籍マーケット最終日にあたる2020年1月31日イタリアセリエAUCサンプドリアへのレンタル移籍が発表される。3月8日セリエA第26節のエラス・ヴェローナ戦でイタリアでのデビューを果たすも、直後に新型コロナウィルスの感染の被害によってリーグは中断される。リーグ戦再開後は、に定着。過密日程の中、10試合連続でスタメンで起用され、セリエA残留に貢献する。この働きが認められ、シーズン終了後にサンプドリアへの全移籍を果たす。

2年となる2020-2021シーズンベテランとしての豊富な経験を活かして守備の中心の一人として活躍。チーム事情もあって右サイドバックで起用されることもあったが、CBのときと同じように堅実な守備とフィードで難にこなす。チームからの評価も高く、2021年1月には契約2022年まで延長する。1月24日セリエA第19節のパルマ戦では、左足でセリエAゴール記録し、チーム勝利に貢献。1月30日ユヴェントス戦では、チームは敗れたもののクリスティアーノ・ロナウドの決定機をタックル阻止したプレーイタリアメディアから高く評価される。スタメンを外れる時期もあったが、34試合中25試合でスタメンを務め、サンプドリアシーズン9位フィニッシュに貢献する。

2021-2022シーズンでは、東京オリンピック出場によって合流が遅れながら開幕戦からスタメンで起用されると、2021年9月13日セリエA第3節インテル戦でシーズンゴールを決める。このゴールチームシーズンゴールとなった。9月26日、第6節ユヴェントス戦でもシーズン2得点を決める。シーズン前半戦は苦戦するチームの中で上々のパフォーマンスを続けるが、2022年1月6日のカリアリ戦で右太ももを負傷し、2かほど戦線を離脱する。復帰後はパフォーマンスが大幅に低下し、致命的なミスで失点に絡んだこともあり控えに降格。一時は契約延長確実と見られていたが、2022年6月30日契約満了により退団が発表される。

シャルケ

2022年7月5日ドイツブンデスリーガシャルケ04への移籍が発表される。背番号は「4」。これまでの豊富な経験とリーダーシップが買われ、加入後すぐに副将に任命される。ブンデスリーガデビューとなった8月7日の開幕戦1.FCケルン戦でキャプテンマークを巻いて出場する。しかし、昇格組であるチームは大量失点を重ねて苦戦。自身も失点に直結するプレーが見られ、厳しい評価を受けてしまう。

日本代表

ユース年代から代表に呼ばれてはいたが、この頃は補止まりで終わっている。U-23世代では、2008年北京オリンピック代表に選出され、グループステージ第3戦のオランダ戦に出場した。

A代表デビューとなったのは2010年1月アジアカップ最終予選・イエメン戦である。若手中心のメンバーで臨んだこの試合で吉田先発フル出場し日本勝利に貢献、上々の代表デビューとなる。

その後、AFCアジアカップ2011において、中澤二、田中マルクス闘莉王といった南アフリカW杯まで日本代表を支えたセンターバックの後継補として召集されると、アルベルト・ザッケローニ監督からレギュラーに抜される。初戦のヨルダン戦では痛恨のオウンゴールを犯してしまうも、後半ロスタイムに自ら同点ゴールを決めミスを帳消しに。その後も準々決勝のカタール戦で退場になるなど苦しみながら今野泰幸らと共に日本ゴールを守り続け、出場停止となった準決勝の韓国戦を除く5試合に出場し、最終的には日本代表アジアカップ優勝に大きく貢献することになった。

アジアカップ以降は日本代表センターバックとして定着。当初は軽率なミス立ち、失点に絡むことも多かったため批判を浴びていたが、ザッケローニ監督吉田ポテンシャルを見込んで辛抱強く起用し続けたことで成長を見せる。2011年9月2日2014年ブラジルW杯3次予選の初戦では、北朝鮮戦では後半ロスタイムに決勝ゴールを決める活躍を見せた。

2012年ロンドンオリンピックでは本大会でオーバーエイとして選出され、2大会連続でのオリンピック出場を果たす。キャプテンとして若いチームを牽引し、グループリーグ初戦のスペイン戦では堅い守備を見せ、優勝補相手に1‐0の勝利グラスゴーの奇跡)に貢献している。
その後も予選リーグでのチーム失点への貢献、さらに決勝トーナメント1回戦のエジプト戦では2点ゴールを決めるなどのハイパフォーマンスを見せ、最終的に4位となった日本代表に大きく貢献した。

フル代表では常連メンバーとして定着し、2013年ワールドカップアジア最終予選でも日本の最終ラインを支える。2014年5月に開催された2014 FIFA ワールドカップに出場し、グループリーグ3試合にスタメンで出場するも、大きな期待を集めたチームはコンディション調整に失敗したこともあって低調な出来のまま1勝もできずにグループリーグ敗退。自身は試合終盤に前線に上がってパワープレー要因となることもあったが、結果に結びつかなかった。

ザッケローニ監督退任後の4年間では、2度の監督交代という混乱があったが、いずれの監督からも信頼を得てコンスタントに出場を続ける。2017年頃から長谷部誠が不在のときにはキャプテンマークを巻くようになるなど、チームでの立場も大きくなる。ロシアワールドカップアジア予選では、三次予選、最終予選を通して全試合フル出場を果たす。

2018年6月に開催された2018 FIFAワールドカップで2大会連続の代表選出。グループリーグ3試合、決勝トーナメント1回戦にフル出場し、ディフェンスリーダーとして日本の2大会ぶり3度となる決勝トーナメント進出に貢献。その初戦でベルギーに2点のリードをひっくり返される悔しい逆転負けで終わったものの、イギリスメディアSky Sports」でベルギー戦のMOMに選ばれた。

ロシアワールドカップ後、長谷部誠が代表引退したことで日本代表キャプテンを引き継ぐ。若返ったチームの中でベテランとして引っる立場となり、若い冨安健洋コンビを組むことが多くなる。2019年1月から開催されたAFCアジアカップ2019に出場。決勝のカタール戦では、1点ビハインドの後半37分に不運ハンドの判定により、決定的な3失点となるPKを与えてしまい、日本は準優勝に終わる。2019年11月14日カタールワールドカップアジア二次予選のキルギス戦において、日本代表では8人となる国際Aマッチ100試合出場を果たす。新型コロナウィルス感染拡大のため1年ぶりの代表戦となった10月11月欧州遠征でも4試合全てにキャプテンとしてフル出場し、安とのコンビで堅実な守備を披露。あらためて代表に欠かせない存在であることを示す。

2021年7月に開催される東京オリンピックに出場するU-24日本代表オーバーエイとして選出され、自身3度オリンピック出場となる。さらに、自身2度となるキャプテンを務めることになる。大会直前におこなわれたU-24スペイン代表との善試合後、無観客での開催が決まった大会について「観客を入れることを再考して欲しい」というアスリートとしての本音をながらに訴えている。本大会では、チーム最年長ながらも過密日程にもかかわらず3位決定戦までの全6試合にフル出場し、守備の要として若いチームを引っり続けたが、3位決定戦でメキシコ敗。ロンドン五輪同様ベスト4という結果に終わり、悲願のメダル獲得はならなかった。

2021年9月からスタートした2022 FIFAワールドカップアジア最終予選では、最初の3試合で2敗を喫してしまう苦しい序盤戦となる。アウェイでのサウジアラビア戦後差別的なジェスチャーをしたサポーターに対し怒りを現し、観客席に詰め寄る一幕があった。チームが苦しい時も連勝街道に入ったときも常に先頭を切り、キャプテンとして牽引。2022年2月中国戦とサウジアラビア戦を怪で欠場したが、ディフェンスリーダーとしての仕事を全うし、ワールドカップ出場権獲得の責任を果たす。最終節のベトナム戦では、代表ではおよそ2年半ぶりとなるゴールを決めている。しかし、6月14日チュニジア戦で3失点全てに絡みチームは0-3で敗。ファンメディアからしいバッシングを受け、一時はWikipediaの記事が荒らされてしまう。

2022年11月カタールで開催された2022 FIFAワールドカップにはキャプテンとして出場。不安視されていた不安定なプレーが大会中にも随所に見られ、グループリーグ第2戦のコスタリカ戦では自らのパスミスが失点に直結して敗北してしまい、批判を浴びる。それでも、チームリーダーとしてドイツ戦、スペイン戦での二度のジャイアントキリングに貢献。ラウンド16のクロアチア戦まで4試合をフル出場するが、ラウンド16のPK戦では3人キッカーとして失敗し、ベスト8進出はまたも果たせなかった。

余談だが、名前を正確に表記してもらえないことが度々ある。
FIFA公式サイトマッチレポートで安田理大と間違えられ、さらには名前を"Maja Joshida"と誤記されたことも。
ロンドン五輪ゴールを決めたエジプト戦後エジプトニュースでは”Saori Yoshida"(吉田沙保里)と誤記されてしまった。ニュース写真キャプションではちゃんと”Maya"となっていたにもかかわらず。
ついでに、酒井は二人(酒井宏樹酒井高徳)いるはずなのにどっちも間違われていない。
さらにその試合では、中東系の放送で"Maya Uchida"になっていたり、
Goal.com英語版においても"Toshida"と誤記されていたという…

つまり、彼は笑いの神にも恵まれているのだろうか……。

個人成績

シーズン クラブ リーグ 試合 得点
2007 名古屋グランパス J1 19 0
2008 名古屋グランパス J1 22 1
2009 名古屋グランパス J1 30 4
2009-10 VVVフェンロ エールディヴィジ 0 0
2010-11 VVVフェンロ エールディヴィジ 20 0
2011-12 VVVフェンロ エールディヴィジ 32 5
2012-13 VVVフェンロ エールディヴィジ 2 0
サウサンプトン プレミアリーグ 32 0
2013-14 サウサンプトン プレミアリーグ 8 1
2014-15 サウサンプトン プレミアリーグ 22 1
2015-16 サウサンプトン プレミアリーグ 20 1
2016-17 サウサンプトン プレミアリーグ 23 1
2017-18 サウサンプトン プレミアリーグ 24 2
2018-19 サウサンプトン プレミアリーグ 17 0
2019-20 サウサンプトン プレミアリーグ 8 0
サンプドリア(loan) セリエA 14 0
2020-21 サンプドリア セリエA 32 1
2021-22 サンプドリア セリエA 26 2
2022-23 シャルケ ブンデスリーガ

プレースタイル

世界最高峰のリーグであるイングランドプレミアリーグで長年プレーしていることもあり、日本人史上最高のセンターバックという呼びも高い。189cm長身ということもあって中戦に強く、ハイボールの処理は世界レベルでも十分にストロンポイントになれ、アジアレベルなら競り合いで負けることはほとんどない。中戦の強さはセットプレーからの得点にも活かされている。ライン統率にも長けており、スペースカバーポジショニングセンスも高い。

左右両足でのキックも得意であり、前線へのロングフィードの精度も高く、プレミアリーグに移籍してからは左右にボールを散らす技術が向上し、ビルドアップでも貢献できる近代的なセンターバックである。

一方、前述したように足は遅くないもののアジリティ(俊敏性)やが不足しているため、スピード勝負に持ち込まれると簡単に振り切られたり、簡単に裏を取られることが弱点である。また、特に若い頃に頻繁に見られた集中を欠いてしまうことも課題であり、いわゆる「やらかし」として大きなミスを犯すことがある。また、ビルドアップが得意な分、安易に縦パスを選択してしまう傾向があり、ボールを掻っ攫われてカウンターのきっかけを与えてしまうことがある。

エピソード

VVVフェンロやサウサンプトンでは長年背番号3と付けているが、日本代表での背番号は代表デビューしたときからずっと22である。

福岡ダイエーホークス日本ハムファイターズ阪神タイガースなどで活躍していた元プロ野球選手下柳剛は、母親の実であり、吉田叔父にあたる。下イギリスを訪れ、ご飯をおごってもらった際の2ショット写真ツイッターにあがっている。

小学校の頃、三度交通事故に遭っている。そのうちの一度は10mほど吹っ飛ばされたがかすり傷程度で済んでいる。

2012年9月26日名古屋グランパス所属時代から交際していた一般人女性との結婚を報告。内田篤人の関係を祝福していた人々にショックを与えた。2016年には第一子となる長女が誕生。

好きなサッカー選手には、リヴァプールレジェンドであるスティーヴン・ジェラード名前を挙げている。

日本テレビの「サッカーアース」において「吉田麻矢の欧州!?」というレギュラーコーナーを持っていた。これがきっかけで、ロンドンオリンピック準々決勝エジプト戦でゴールを決めた際のゴールパフォーマンスとして、タカアンドトシタカの持ちギャグである「だ!だ!だ!」を披露。この姿がサッカーマガジンの表を飾り、「メダルだ!メダルだ!メダルだ!」というコメントが載せられた。

スピード不足が弱点というイメージが強いが、イングランドプレミアリーグ2016シーズンにおける選手の走行最高速度で、時速34.78kmを記録し、プレミアスピードスターといわれているアーセナルのセオ・ウォルコットと並んで8位に入っている。

今でこそ日本代表キャプテンという立場で高いリーダーシップが際立っているが、基本的に弄られキャラであり、ムードメーカーである。

有名ブロガーとして

公式ブログくから開設しており、更新頻度も高く、そのコミカルな文章から女性人気も高い。

ブログには副業であるサッカーについての話題の他、オランダでの普段の生活について書かれることも多い。吉田と同じくサッカー日本代表で、現在ドイツブンデスリーガシャルケ04に所属する内田篤人が、ブログ物凄く高い頻度で登場することで知られる。腐女子歓喜。 

吉田イングランドへ移籍したのでドイツ内田とはこれまでより遠距離になってしまったが
これからの展開やいかに!?
その後、2人とも結婚したためこの論争には終止符が打たれた。

2012年には自らのブログの内容をまとめた初の著書、「サムライDays欧州Days」が発売されている。この本で吉田は自らを「プロサッカー選手プロブロガー」と述べてもいる。知ってた発売三カで10万部をえるベストセラーに。

日本代表メンバーによる人物評

「かなり年下ですが、サッカー観も似ていますし、よく話しますね。彼も人懐っこいですね。でも、あの貌ですから、あまり年の差を感じませんね。」
中村憲剛

すべり上手(笑)
長友佑都〜 

シュートコースを変えるのをやめてもらいたいですね……(笑)」 
川島永嗣〜 

麻也は顔が長いだけですよ(笑)ブログは面いらしいですが、トークは全く面くないですからね。ブログが面いというのもらは納得してないですけどね。みんな、騙されてるんですよ。文章だと面いというだけです。たぶん、笑いの才はないですよ(笑)
遠藤保仁〜 

関連動画

11-12シーズンより前の動画

 
2011年9月 PSV戦でのバイシクルシュート 

さらにこのシーズン5点を挙げるFW顔負けの大活躍

内田との人並みの仲の良さを示す動画もう結婚しちゃえばいいよ

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吉田麻也

92 ななしのよっしん
2022/11/27(日) 21:24:26 ID: HatDIeJyiB
戦犯確定
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93 ななしのよっしん
2022/11/27(日) 21:31:03 ID: jAhrC2lXZH
Twitter地獄叩き祭りで見るに堪えないな。まああれはかれても仕方ない
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94 ななしのよっしん
2022/11/27(日) 21:59:22 ID: cSkucwKDgj
吉田麻也は自分のクリアミスが元なのに一切自分は悪くない雰囲気出すの最高に立つ
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95 ななしのよっしん
2022/11/27(日) 22:38:02 ID: WKdpAUpjTO
勝てなかった理由は攻めの甘さ、負けた理由はクリアミスの酷さ
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96 ななしのよっしん
2022/11/27(日) 23:21:20 ID: huIBT6NtiI
戦犯だな
少しでも戦後インタビューで触れたら反応も違かったんだろうけど
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97 ななしのよっしん
2022/11/28(月) 00:11:42 ID: peIv05DdqM
自分のせいで負けたのに他人事
ジブンゴト化とは逆の精ダメだこりゃ
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98 ななしのよっしん
2022/11/28(月) 06:35:04 ID: XVjvAEdXQD
勝てる試合でやる気のないクリアと敵へのアシスト
何でこんなのが代表でキャプテンなの?
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99 ななしのよっしん
2022/12/06(火) 02:47:48 ID: WusXGgMPEx
ドラゴン田中
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100 ななしのよっしん
2022/12/06(火) 20:01:35 ID: cSkucwKDgj
https://news.yahoo.co.jp/articles/b47999f9f914f9ec2caff6594d1728817c845212exit

>さらに、3人が失敗したPK戦にも言及。「PKに関しては運もあるけど、ゴンちゃん(権田修一)が1本は止めてくれると思ったけど、も含めて3本外したらさすがにきつい」と見解を述べ、自らのキックに関しては「(左下は)研究されていたかもなあ。映像は多分それ(東京五輪)しかないから」と、唇を噛んだ。


研究…?
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削除しました ID: nzrT+tHdah
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