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和田毅(わだ つよし、1981年2月21日-)とは、島根県出身のプロ野球選手(投手)である。現在は福岡ソフトバンクホークスに所属。
概要
福岡ソフトバンクホークス #21 | |
---|---|
和田毅 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 島根県出雲市 |
生年月日 | 1981年2月21日 |
身長 体重 |
179cm 80kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 左投左打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 2002年自由獲得枠 |
経歴 | |
国際大会 | |
代表チーム | 日本 |
五輪 | 2004年、2008年 |
WBC | 2006年 |
プロ野球選手テンプレート |
2002年自由獲得枠で福岡ダイエーホークスに入団した。背番号は21。
ダイエー・ソフトバンク時代
2003年は、先発ローテーション入りし、14勝の活躍でリーグ優勝に貢献。日本シリーズでは新人史上初の完投勝利で日本一に貢献。文句なしの新人王を獲得した。
2004年は故障もあり規定投球回数に届かず、防御率も4.35に終わったが、2年連続の2桁勝利を挙げた。アテネオリンピックでは予選リーグと3位決定戦のカナダ戦に先発、2試合とも勝ち投手となり銅メダルに貢献した。
2005年はシーズンを通して先発ローテを務め、12勝を挙げてレギュラーシーズン1位に貢献。18勝の杉内俊哉、16勝の斉藤和巳、10勝の新垣渚とともにホークス4本柱と讃えられた。
2006年は第1回WBC日本代表に選出。しかし大会ではリリーフで1試合に投げたのみに留まる。シーズンでは14勝6敗、防御率2.98とルーキーイヤーに並ぶ成績を挙げた。
2007年も12勝を挙げ、球団では杉浦忠以来45年ぶりとなる入団から5年連続2桁勝利を達成。オフに左肘の遊離軟骨除去手術を受ける。
2008年は前述の手術で開幕に出遅れたにも関わらず、前半戦で8勝を挙げるなど6年連続二桁勝利が当確と思われたが、味方が新手のいじめかと思うほどに打てなかった為後半戦0勝でシーズンを終えた。優勝した埼玉西武ライオンズに10回無失点を2回やってどちらも勝ち星がつかないなど援護0の試合が4回、8回途中4点リードで降板して馬原孝浩に勝ちを消されるなど、チームが最下位になったのもむべなるかな。
2009年は、開幕投手を務め完封勝利で飾る好スタートを切ったが、その後は援護の少なさもあって7回ぐらいに追いつかれて降板というパターンが多くなり勝ち星が伸びず、後半戦に入ったところで故障離脱。シーズン終盤に復帰したが、2試合続けて大炎上。馬原孝浩と共にチームの追い上げムードにトドメを刺され、結局プロ入り後最低の4勝でシーズンを終えた。
2010年は、前年7回8回と引っぱって打たれることが多かったのを踏まえてか、6回前後でスパッと降ろされることが多くなる。しっかり試合を作ってリードして降板、あとは強力リリーフ陣に任せるという形が出来上がったことで杉内俊哉と競い合うように白星を伸ばし、チームを牽引。最終的に過去最多の17勝を挙げ、オリックスの金子千尋と最多勝を分け合った。意外にも主要投手タイトルの獲得は初である。さらにシーズンMVPとベストナインも獲得した。
2011年も安定した投球でコンスタントに勝ち星を積み重ねる。前年は1つだけだった完投も4に増え、杉内が援護に恵まれないのを尻目に、16勝5敗、防御率はリーグ3位の1.51(ちなみにパ・リーグ歴代8位)と前年MVPの名に恥じない内容でエースとして君臨した。
オリオールズ傘下時代
2011年オフにFA宣言し、12月14日にボルチモア・オリオールズと2年契約を結んだ。背番号は18。
2012年は左肘靭帯を損傷し、トミー・ジョン手術を受け、2013年もマイナーで登板したのみで、結局メジャーでの登板はなかった。オフに自由契約となり、シカゴ・カブスとマイナー契約を結ぶ。
カブス時代
2014年は6月22日にメジャー契約を結び、7月9日のシンシナティ・レッズ戦でついにメジャーデビューを果たした。28日のコロラド・ロッキーズ戦でメジャー初勝利を挙げた後は先発ローテーションに定着した。
2015年は故障の影響で8試合に終わり、オフに自由契約となった。
ソフトバンク復帰後
2015年11月7日に福岡ソフトバンクホークスへの復帰が発表され、14日に入団会見が行われた。背番号は21。
2016年は開幕から先発ローテーション入りし、1年間一軍に帯同。15勝、勝率.750で最多勝と最多勝率のタイトルを獲得した。
2017年は開幕投手を務めたが、左肩の故障で8試合の登板に留まった。
2019年は左肩痛からようやく復帰。6月5日の中日ドラゴンズ戦に先発して一軍復帰を果たすと、6月23日の読売ジャイアンツ戦では5回1失点と好投し、2年ぶりの白星を挙げた。7月下旬に右半腱半膜様筋損傷で離脱したが3週間で復帰し、その後は閉幕までローテを守った。12試合で4勝4敗、防御率3.90。
クライマックスシリーズではファイナルステージ第1戦に先発したが4回3失点で勝ち負けつかず。日本シリーズでは第4戦に先発し、5回無失点で日本一決定の勝ち星を挙げた。日本シリーズでの勝利はルーキー時代の2003年の第7戦以来実に16年ぶりで、最長ブランク記録を更新。
2020年は完全復活し、4年ぶりに開幕から1年間ローテを守る。39歳という年齢もあり最長でも7回までしか投げなかったのと、休養による抹消が数回あったため規定投球回数には届かなかったものの、16試合で8勝1敗、防御率2.94という好成績を挙げ、強力先発陣の一角として優勝に大きく貢献した。
2021年も開幕ローテーション入りする。4月14日のオリックス戦で山本由伸に投げ勝ち球団史上3人目の40代勝利を挙げる。しかし前年ほどの安定感はなく、6月以降は5回保つかどうかという感じで、9月下旬に抹消されて以降は一軍登板はなかった。同年限りで松坂大輔が現役引退したため、NPBでは松坂世代最後の現役選手となった。
2022年6月19日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦で日米通算150勝を記録した。17試合の登板で7勝4敗だった。
2023年は4月5日のオリックス戦で球団新記録となる42歳1ヶ月での勝利投手となった。5月24日の北海道日本ハムファイターズ戦で通算2000投球回を達成したが、42歳3ヶ月での達成は史上最長となる。オールスターにも選出され42歳4ヶ月での登板と最年長記録を次々と更新した。21試合の登板で8勝6敗だった。
2024年1月10日にソフトバンクにFA移籍してきた山川穂高の人的補償として埼玉西武ライオンズに移籍するという報道が出たことで反響が大きくなったが、1月11日に甲斐野央が西武に移籍した。1月15日の自主トレの際に「もうその件には触れたくない」とコメントした。
プレースタイル
ボールの出所がわかりにくく、球が遅れて出てくるフォームと、140km/h前半ながらノビのある直球を持ち、奪三振率が高い。直球の被打率の低さは特筆もので、「和田の130キロ台はなぜ打ちにくいか」という本が出たことがある。球速が遅いためよく知らない人には変化球でかわす技巧派だと思われがちだが、実際は若手時代から大ベテランとなった現在まで一貫して、この直球を武器にしたゴリゴリの速球派である。
若手時代は被本塁打率が高かったが徐々に減り、2008年シーズンではチームで最も被本塁打率が低かった。
人物・その他
やんごとなき純和風イケメンで、毎年数万本のワクチンを寄付する程度の性格の良さを持ち、巨乳で元女優の嫁を貰うという小林宏之とはまた違った意味での人生の勝利者である。
大学時代に多田野数人と仲が良かったらしい。”つよポン”、”ただのっち”と呼び合う程度の関係。
2011年、ようやく試合での共演を果たした。
応援歌
球団 | レス | No | プレイヤー |
---|---|---|---|
ダイエー ソフトバンク |
応援歌のピコカキコ一覧#899 | 11578 |
成績
- (2023年終了時点)
通算投手成績
通算:18年 Year |
登板 G |
先発 GS |
完投 CG |
完封 SHO |
勝利 W |
敗戦 L |
セーブ SV |
ホールド HLD |
勝率 W-L% |
投球回 IP |
与四球 BB |
奪三振 SO |
失点 R |
自責点 ER |
防御率 ERA |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
NPB:16年 | 326 | 320 | 9 | 9 | 158 | 87 | 0 | 0 | .645 | 2073.1 | 564 | 1883 | 774 | 732 | 3.18 |
MLB:2年 | 21 | 20 | 0 | 0 | 5 | 5 | 0 | 0 | .500 | 101.2 | 30 | 88 | 42 | 38 | 3.36 |
タイトル・表彰・その他
タイトル | |||
---|---|---|---|
NPB | 最多勝利 | 2回 | 2010年、2016年 |
最高勝率 | 1回 | 2016年 | |
表彰 | |||
NPB | 新人王 | - | 2003年 |
ベストナイン | 1回 | 2010年 | |
MVP | 1回 | 2010年 | |
その他 | |||
NPB | オールスターゲーム出場 | 5回 | 2003年、2004年、2010年、2011年、2016年 |
開幕投手 | 4回 | 2005年、2009年、2011年、2017年 |
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関連項目
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