善きサマリア人の法とは、善人に対する免責措置である。ソマリア人じゃないよ
概要
例えば貴方が道で歩いていると、人が道端に倒れているのを確認した。あなたは、人を呼んだり、心臓マッサージをするなど適切な救命活動を行ったが、病院に搬送されたその人は甲斐なく帰らぬ人となった。
この場合において貴方は過失致死などをはじめとした、法的責任を負うかどうかが問題に成るが、その場合において助けてくれる(かもしれない)のが、この法理である。
これは、災害や急病に遭った人などを救うために、良識的かつ誠実に、その人の出来得る限りの事を施したのであれば、結果死なせて失敗したとしても責任は問われないという趣旨の免責規定である。
これは元々、新約聖書のルカ福音書における挿話の一つで、イエスが対立するユダヤ教の律法学者と議論を交わしていた。その時に隣人愛について学者が問いかけた時に、イエスが持ち出した例え話を引いて、法理としたものである。ちなみにサマリア人とはこの場合、パレスチナ中央部に住む住民を指し、この例え話のなかで追い剥ぎにあった人を救助した人を指している。
そのためこれは、慣習法から発達したコモンローとの相性がよく、またキリスト教圏でもある、英国やアメリカにおいて広く用いられている。一方で同じキリスト教圏でもローマ法を源とする大陸法を主とする、フランスなどの国々では緊急事務管理とよばれる類似の制度があるので、あえてこの法理を採用しないとしている。そして我が国も民法は大陸法の影響を受け継いでいるため、1994年の総務省報告書をはじめとして緊急事務管理の存在を理由に制定しないとしている。
同じ大陸法系の国の代表と言えるドイツでは、これよりも更に踏み込んだ救護義務を規定しており、もし急病人を放置した場合には刑法に基づいて罰せられる。ただし、救護さえすれば失敗したりいい加減な処置であったとしても罰せられることはなく、提訴された場合には法定の損害保険の対象になるというアフターケアもなされているのが特徴である。
我が国では後述の理由からもはや、事務管理では緊急の人命救助はまかないきれないのではないかという、指摘も出てきており、我が国でも善きサマリア人の法を導入するかどうかの大きな議論を呼んでいる。
事務管理と緊急事務管理
事務管理
- 第697条
- 義務なく他人のために事務の管理を始めた者(以下この章において「管理者」という。)は、その事務の性質に従い、最も本人の利益に適合する方法によって、その事務の管理(以下「事務管理」という。)をしなければならない。
- 管理者は、本人の意思を知っているとき、又はこれを推知することができるときは、その意思に従って事務管理をしなければならない。
民法より
おそらく記事を読んでいる人の多くは、事務管理自体あまり聞き慣れない概念だと思われるのでそこから解説する。というか民法でも脇役も脇役なので法学部生でも忘れてる
事務管理とは、人が人に対して何らかの義務を履行するよう請求できる権利(例えば、コンビニでおにぎりの代金を支払ったら、店員に対しておにぎりを引き渡すよう請求できる権利が典型例だろう)である、債権が発生する理由の一つに当てはまり、契約・不当利得・不法行為に並んでいる。
不当利得と不法行為はこの際あまり関係ないのでおいておくとして、契約は上述した例のように、自分と相手がいて、なにかをするかわりに何かをしてもらう事を合意の上で約束することで成立する。事務管理もそれと同じようにして、債権が発生するわけだが、原因が違ってくるのだ。
事務管理とは、簡単に言えばおせっかいである。貴方の隣に住んでいる人が洗濯物を干しっぱなしで外出して、雨に降られた場合、洗濯物がずぶ濡れになることを懸念したあなたは親切心から洗濯物を取り込んであげて、ついでに自宅の洗濯機に入れて、洗い直しもしてあげた。
さて、この場合において考えてみてほしいのだが、そもそも頼まれてもいないのに勝手に人の洗濯物を取り込んだり、洗ったりするのは民法の原則から杓子定規に考えれば不法行為であり、損害賠償も請求されかねない行為である。だが、この事例においてはあくまでご近所付き合いの親切心からの行為なのでそれを罰してしまうというのはあまりにも酷である。
そこで登場するのが事務管理という概念である。これは、例のように他人の利益の為という意思のもとで、行為をなした場合は、事務管理とみなし、本人と行為をした人間の間に権利関係を生じさせるという理屈である。これが成立すると、当然不法行為には問われないし、また費用を支出した(例の場合においては洗剤の費用などがあたるだろう)場合においてはそれも請求できるのだ。(ただし一方で最後まできちんと責任もって管理しつづけなければならないという義務も生じる)
緊急事務管理
第698条
管理者は、本人の身体、名誉又は財産に対する急迫の危害を免れさせるために事務管理をしたときは、悪意又は重大な過失があるのでなければ、これによって生じた損害を賠償する責任を負わない。
民法より
上記の事務管理から発達したのが緊急事務管理である。まさに緊急時において、救命活動などをした場合に相当し、これで人を死なせてしまった場合においても、損害賠償の責任は負わないという規定である。
一見して善きサマリア人の法の代替になっているのではないかと思われるが、この制度にはいくつかの問題点がある。
- 一度救命に着手したら、最後までやり遂げなければいけないこと(時間がないなどの理由では認められない)
- 救命が実を結んだとしても報酬請求権が発生しない
- 義務なくが要件の為、応召義務が医師法で定められている医師は緊急事務管理が認められない可能性がある(近年勤務時間外の応召義務はないとする通達が出たため、プライベートなら当てはまらない可能性もあるがはっきりしない)
- 悪意や重過失を判断するのは裁判所(裁判官)の役目であるため、確実性に欠ける
- 緊急事務管理の認定がそもそも裁判所は厳しい傾向にある(2017年時点で緊急事務管理が争われた裁判例は4件判例データベースには記載されていたが、どれも認めていない)
すなわち、道端に倒れている人を救助しても、(助けたのに、損害賠償請求の裁判を起こされるのではないか?)という懸念が拭い去れないのである。
アメリカと日本における現況
アメリカ
アメリカはご存知の通り、連邦制の国である。そのため、全体を統括する連邦法や合衆国憲法があるが、基本的にはそれぞれの州(とコロンビア特別区)で定められた法律が優先して適用される。
ただ、このサマリア人の法については、1959年のカリフォルニア州に始まって、1987年に、アメリカの50州全てにおいて制定された。そのため、基本的には突発的な救命活動を行って、法的責任が問われることはない。
ただし、その内実については州によってバラバラである。2014年にアメリカでまとめられた報告書によれば
と対象者だけでも2つに割れている。また、少数例だがバーモント州とミネソタ州では、支援義務を課している。
とはいえ、すべての人を対象にしている州であっても、まずは一定の有資格者を前提(医師や救命救急士などが該当するだろう)としており、一般人を補充的なものとしている州が5州存在している。アメリカの4割ほどの州では、素人による救命は次善策と考えており、それよりも医療従事者の救命ボランティアを推奨していることがうかがえる。
また法文上の細かい要件についても差異があり、誠実を要件に入れているのが33州、無償を要件に入れているのが20州とここでも見解がわかれており、州によって運用の違いが見て取れる。
近年では、この法律の適用が拡大されており、緊急の救命以外にも、薬物の過剰摂取で異常な行動や呼吸困難などに陥った人に対しても、ナロキソンをはじめとした麻薬拮抗薬(症状を抑える薬)を投与し、それに係る処方された人からの損害賠償請求などを棄却できるという改正法も10州ほどではあるが立法されているという。
日本
21世紀に入ってから我が国ではAEDの設置が進み、令和元年時点では60万台に及んでいる。医師や救命救急士でなくても、一般人が心臓疾患などで急に倒れた人を助けることが現実的に可能になりつつある。
しかし、これまで見てきた通り我が国においては、救命後の法的整備が十全とはいえず、その影響で助けたくとも己の身を案じて助けられないというなんとも悲しい事例を引き起こしてしまっている。本来最前線にたって救命に動くべき医師ですら、鉄道や航空機の中でたまに行われる「お客様の中にお医者様はいらっしゃいませんか?」という問い掛けに半分以上が無視しているという調査結果が出ているほどである。
そうはいっても、近年の核家族化や単身高齢者世帯の増加、超高齢化社会の到来といった問題は、年を追うごとに確実に深刻になっている。これらの要因が、第三者による救助の需要を高めているのはまた事実だろう。
その解決策として、「善きサマリア人の法」の我が国への導入が、一部の弁護士や医師をはじめとした人々の中で上がり続けている。しかし、残念ながら緊急事務管理の見直しも、日本版善きサマリア人の法の制定の国会での動きは見られていない。
一応、東京都では消防庁がバイスタンダー(けが人や急病人が発生した時に居合わせた人)保険制度を創設しており、これはバイスタンダーの救命措置に対して、損害賠償請求が提訴された時に、その人が救命措置をしたことが客観的に判断されれば法律相談見舞金として5万円が支給されるといった制度があったり、横浜市では応急手当の義務付けを定めた救急条例が制定されるなど、地方公共団体レベルでは少しずつ類似の動きは出てきているが、条例では法律を超えた行為は制定できない為、限界がある。
また、弁護士の中にはアメリカの善きサマリア人の法では、刑事責任について言及されていないが、アメリカでは医療過誤に対して刑事責任が発生しないのが慣例だから敢えて定められていないだけであり、もし我が国で制定するならば刑事責任の免除も盛り込むべきであるという意見もある。
ただ、善きサマリア人の法は人道的にはかなったものではあるが、その反面として免責されることの安心感から調子に乗って生兵法でかえって患者を危篤や死に追いやる可能性はないかや、善意を逆手にとって悪用する懸念もあるなど、導入するとしても、我が国なりの調整が必要な側面もあることを留意する必要があるだろう。この法律は元々アメリカや英国などのキリスト教圏やコモンローという、我が国とは異なった風土や文化的背景のもとで作られたものであるという事実も念頭におくべきであろう。
参考サイト
関連項目
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