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概要
歴史
1921年(大正10年)、前身となる「中座」(もともとは大阪の同名の劇場を模して建てられたもの)が当時の嘉穂郡飯塚町に建てられる。火事・台風による焼失・倒壊を経て1931年(昭和6年)、伊藤隆によって「嘉穂劇場」として再建。現在の建物はこの時から90年近くにわたり現存している。
このころ、飯塚市を中心とする筑豊地方は石炭炭鉱として発展しており、炭鉱労働者やその家族の娯楽として大衆演劇や歌舞伎、寄席演芸など様々な公演が行われ賑わいを見せていた。しかし昭和40年代に石炭産業が衰退するとともに地方に50軒以上あった芝居小屋も次々に姿を消し、1962年(昭和37年)には延べ266日あった公演数も年10-15日と大きく落ち込み嘉穂劇場も存亡の危機に陥るものの、伊藤隆の娘であり経営を担っていた英子の奮闘もあり、1979年(昭和54年)から毎年9月に大衆演劇の祭典ともいえる「全国座長大会」が行われるようになり、公演数も年30日程度に戻っていった。
2000年(平成12年)には、中高生時代を福岡で過ごした歌手の椎名林檎が本劇場においてコンサートを行い、プレミアチケットとなった公演として知られるようになった。
2003年(平成15年)7月、九州北部豪雨により飯塚市一帯が浸水。嘉穂劇場も舞台を含む1階部分が使用不能になるという深刻な被害を受けるものの、津川雅彦の呼びかけのもと、中村玉緒、明石家さんま、5代目中村勘九郎(のち18代目中村勘三郎)などの有名俳優・芸能人が駆け付けたチャリティイベントが開催。こうした支援や公的団体からの助成金によって2004年(平成16年)9月に復旧。
嘉穂劇場として開場してから長らく伊藤家による家族経営が行われていたが、復旧のため国からの支援を受ける必要があったため特定非営利活動法人(NPO)化。現在は伊藤英子の娘婿である伊藤英昭を理事長とする「特定非営利活動法人 嘉穂劇場」が運営を行っている。
2006年(平成18年)には国の重要有形文化財の指定を、翌年には経済産業省より近代化産業遺産の認定を受けている。
特徴
1階席800人、2階席400人の最大約1200人を収容可能(公演の規模によって変動可能)。全席が桟敷席となっており、椅子の代わりに座布団が設置されている。
昭和初期の炭鉱で栄えていた筑豊地方の芝居小屋として現存する唯一の建物であり、その歴史を現在まで伝えている。当時の舞台機構がそのままの形で残っており、舞台転換を行う際用いられる16メートルに及ぶ「廻り舞台」、役者登場時に用いられる「迫り(せり)」が現在でも人の手で稼働している。
現在でも前述した「全国座長大会」をはじめ演劇・和太鼓・落語・コンサートなど様々な形態の公演が行われている。変わったものとしては2~3月にひな祭りイベント「猫たちのひな祭り」が行われたり、結婚式が年1~2回のペースで定期的に行われたりしている。
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公演のない日、および定休日の水曜日を除く日には劇場内の見学が可能。客席や舞台、その裏側の隅々まで見ることができる。
劇場、および運営NPOの維持の為に年間を通じて寄付を募っており、劇場側は定期的な支援を呼び掛けている。(→寄付のお願い)
アクセス
【住所】〒820-0041 福岡県飯塚市飯塚5-23(Googleマップピン)
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