いわゆる「本格冬の時代」に、寡作ながら謎解きに注力した本格ミステリを書き続け、本格の灯を保った昭和ミステリの巨匠。今ではほとんど忘れられたけど。
概要
1917年生まれ、長野県北佐久郡立科町出身。実家は江戸時代から本陣と問屋を務めた旧家だった。中央大学卒業後、戦争を挟みつつ様々な職業を転々としたのち、地元の中学校の教員となる。今と違って地方在住では東京の出版社と原稿のやりとりも大変な時代だったが、実家絡みのしがらみがあったようで、専業作家となってからも上京せず、ずっと地元の長野在住であった。
当初は劇作家を目指していたが、江戸川乱歩の「一人の芭蕉の問題」に感銘を受けて推理作家を志し、1949年、雑誌「宝石」の懸賞に短編「『罪ふかき死』の構図」を応募。一等入選を果たして作家デビューし、以降ぽつぽつと「宝石」に短編を発表する。
1957年、この年から公募新人賞となった第3回江戸川乱歩賞に長編「お天狗様の歌」を応募。最終候補に残るも仁木悦子『猫は知っていた』に敗れて落選したが、翌1958年に『天狗の面』と改題の上で浪速書房から刊行され単行本デビュー。1959年、第2長編『天国は遠すぎる』で第41回直木賞候補。
1963年、千草検事シリーズの第1作となる第4長編『影の告発』で第16回日本推理作家協会賞を受賞。以降、長編は数年に1作というスローペースながら、松本清張の起こした社会派ブームに端を発するいわゆる「本格冬の時代」にあって、リアリズムを土台としながらも謎解きに軸足を置いた良心的な本格ミステリを書き続け、鮎川哲也や高木彬光とともに「本格派」を代表する作家として評価と尊敬を集めた。1989年の『不安な産声』は同年の「週刊文春ミステリー・ベスト10」で(原尞『私が殺した少女』や島田荘司『奇想、天を動かす』を抑えて)1位に輝いており、当時の土屋隆夫の巨匠としての地位が伺い知れる。
2002年、第5回日本ミステリー文学大賞を受賞。2011年、94歳没。80歳を超えてからも4本の長編を発表、最後の長編は90歳になった2007年の『人形が死んだ夜』という、ほぼ生涯現役作家であった。
「割り算の文学」と「謎解きと文学性の融合」について
土屋隆夫といえば、なんといっても「探偵小説は割り算の文学である」という持論が有名。この持論を含めた土屋の推理小説観については『推理小説作法』にまとめられているが、この持論の初出は処女長編『天狗の面』の「読者への挑戦状」にあたる部分である。
一言にして言えば、探偵小説とは、割り算の文学である。しかも、多くの謎を、名探偵の推理をもって明快に割り切った場合、そこにはいささかの余りがあってもならない。
事件÷推理=解決
要するに「本格ミステリには未解決の謎や未回収の伏線はもちろん、辻褄の合わない部分や『説明はされてないけどたぶん犯人がなんとかしたんだろう』で済ませるような部分があってはならない」という話である。
今の本格ミステリファンからすると言ってること自体は至極当たり前のようにも聞こえるが、こういう当たり前のことを言語化しておくことこそが大事であるということは、この持論が土屋隆夫の代名詞となっていることからも窺える。
なお、これはあくまで土屋隆夫の個人的な創作姿勢、その〝初心〟の表明であり、ノックスの十戒のようにある種のルールや規範として提言したものではない。
また、土屋隆夫は「論理的な謎解きと文学性の融合を目指した」ともよく評される。が、これはちょっと誤解を招く表現だろう。土屋は(それこそ木々高太郎のような)「探偵小説は文学たるべし」という探偵小説芸術論者ではなく、
もともと推理小説というものは、専門的な知識と技術を必要とする職人芸である。ノーベル賞作家がタバになっても、すぐれた推理小説が書けるわけではない。
と、「探偵小説芸術論なんてのは探偵小説作家の文学コンプレックスであり、大して有益な議論ではない」とバッサリ切り捨てている。もうちょっとこう、手心というか……。
「え、じゃあなんで『謎解きと文学性の融合を目指した』って言われてるの?」と思われるだろうが、これは要するに『危険な童話』『盲目の鴉』など、文学ネタの作品が多かったという話である。
土屋隆夫が乱歩の「一人の芭蕉の問題」(詳しくは江戸川乱歩の記事を参照)の影響で推理作家となったのは事実だし、本人もそれを理想としてはいたが、「謎解きと文学性の融合」をその作品で実現できたかというと……代表作『危険な童話』がその意味でも土屋隆夫のベストワークとされているので、それを読んで各自判断していただきたい。
評価など
というわけで昭和の御世には鮎川哲也・高木彬光と並ぶ「本格派」の巨匠であり、そのストイックな創作姿勢から高い評価と尊敬を集めていた土屋隆夫だが……令和の現在、その評価はというと、まあぶっちゃけほとんど忘れられている。土屋隆夫の忘れられっぷりに比べたら、代表作が途切れず流通している鮎川哲也や高木彬光は全然マシである。
2002年に日本ミステリー文学大賞を受賞するのと前後して、創元推理文庫と光文社文庫に主だった作品がまとめられたのだが、それもわりとすぐに書店から消えてしまった。1985年の「東西ミステリーベスト100」国内編では『危険な童話』が20位、『影の告発』が41位にランクインしていたが、2012年版では辛うじて『危険な童話』が79位に引っかかったのみ。たぶん今同じアンケートをやればほぼ確実に消える。今の若い読者で土屋隆夫を読んでる人は、その時点で相当な物好きである。
というわけで2024年現在、新品で手に入る著書は中公文庫から復刊された『推理小説作法』1冊のみである。いやまあ今のご時世、紙の本が無理でも電子書籍なら……と思っても、電子書籍化されている作品も『影の告発』『赤の組曲』『針の誘い』の3作品のみ。これでは若い読者に読めという方が無理な話か。佐野洋や山村正夫ですら一応新品で生きてる作品があるのに。
実際、『危険な童話』『針の誘い』あたりの作品はまだしも今読んでも面白いとは思うが、『影の告発』のアリバイトリックなんかは明らかに古びてしまっているし、60年代~70年代の水準では良心的な本格ミステリだったとしても、埃を払って今の光を当てる価値があるかと言われると……本項初版作成者としてもやや首を捻らざるを得ない(個人の感想です)。2024年に復刊された『推理小説作法』の解説で円居挽も土屋作品が忘れられた理由を分析しているが、「土屋作品を読んでも現代でミステリ作家になれる気がしない」というのは非常に率直かつ的確な土屋ミステリ評だと思う。
というわけで土屋作品で今の本格ファンが読んで一番面白いのは、おそらくデビュー作『天狗の面』だろう。他の土屋の長編は清張以後のリアリズムに立脚しているが、この処女長編だけはいかにも横溝正史的なコテコテの本格ミステリであるため、かえって古びていない。オススメである。
そんなわけですっかり「忘れられた巨匠」になってしまっている土屋隆夫。果たして再評価の日は来るのだろうか?
作品リスト
長編(◆は千草検事シリーズ)
- 天狗の面 (1958年)
- 天国は遠すぎる (1959年)
- 危険な童話 (1961年)
- 影の告発 (1963年) ◆
- 赤の組曲 (1966年) ◆
- 針の誘い (1970年) ◆
- 妻に捧げる犯罪 (1972年)
- 盲目の鴉 (1980年) ◆
- 不安な産声 (1989年) ◆
- 華やかな喪服 (1996年)
- ミレイの囚人 (1999年)
- 聖悪女 (2002年)
- 物狂い (2004年)
- 人形が死んだ夜 (2007年)
関連リンク
関連項目
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