坂本乙女とは、
概要
天保3年(1832年)1月1日、土佐藩郷士坂本八平の三女に生まれる。名前の読みは「とめ」とされることもある。
身長175センチ、体重110キロという、当時の女性としては非常に大柄な体格で、武術・学問・教養に優れ、幼い頃の坂本龍馬を亡母に代わって厳しく躾た。
安政3年(1856年)、山内家典医の岡上樹庵と結婚し、一男一女を生んだが、夫の素行不良が原因で慶応3年(1867年)に離婚し、実家に戻っている。
文久2年(1862年)の龍馬脱藩の際には肥前忠広を授けたという逸話がある。この逸話について、刀を授けたのは次女の栄であるという話が昭和中期に持ち上がったが、その後の調査で栄は弘化2年(1845年)頃に死去していることが判明しているため、この逸話が事実だとすれば刀を授けたのはやはり乙女であろうと考えられる。
脱藩後の龍馬と頻繁に手紙をやり取りしていることで知られ、「自分も一緒に活動したい」という内容の手紙を書いて龍馬にたしなめられている。
龍馬死後の慶応4年(1868年)、亡妻のお龍こと楢崎龍を家に引き取るが、お龍自身は坂本家に居づらかったらしく、明治3年(1870年)にお龍は坂本家を出ている。お龍が回顧談で語ったところによると不仲だったのは兄の権平とで、乙女には親切にしてもらったとある。
関連項目
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