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坂本勇人(さかもと はやと、1988年12月14日-)とは、兵庫県出身のプロ野球選手(遊撃手)である。現在は読売ジャイアンツに所属。
概要
読売ジャイアンツ #6 | |
---|---|
坂本勇人 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 兵庫県伊丹市 |
生年月日 | 1988年12月14日 |
身長 体重 |
184cm 78kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 遊撃手 |
プロ入り | 2006年高校生ドラフト1巡目 |
経歴 | |
国際大会 | |
代表チーム | 日本 |
WBC | 2013年、2017年 |
日米野球 | 2014年 |
プレミア12 | 2015年、2019年 |
五輪 | 2021年 |
プロ野球選手テンプレート |
小学生時代は田中将大とチームメイトでバッテリーを組んでいた。ちなみに当時は坂本が投手で田中が捕手である。ただ特別仲が良かったわけでもなく、仲のいいグループが違っていたので普通の関係。
青森の光星学院から2006年の高校生ドラフト1巡目(中日ドラゴンズ・堂上直倫の外れ1位)で読売ジャイアンツに指名され入団。背番号61。
ドラフト時のエピソードとして、2年時から坂本を密着調査していた大森剛スカウトが坂本の高い素質を感じてドラフト1位として強く推薦、ドラフト前には球団首脳が堂上の1位指名を既に決定していたが、これによって外れ1位では坂本を指名するという確約を得たことでこの指名が実現したというものがある。
巨人時代
2007年(1年目)は二軍で遊撃レギュラーとして積極的に起用された。7月12日の阪神タイガース戦で一軍初出場。代走で出場し、直後にプロ初盗塁を成功させた。9月6日の中日ドラゴンズ戦では延長12回表に2死満塁の場面で代打起用され、プロ初安打・初打点となる決勝2点タイムリーを放っている。
2008年、二塁手として巨人では松井秀喜以来の10代開幕スタメン出場を果たす。その開幕戦で遊撃手の二岡智宏が故障離脱したため、その後は遊撃手のレギュラーとして、全144試合にスタメン出場した。10代での全試合スタメンは中西太、清原和博以来史上3人目。ポジションを奪われた二岡は不祥事もあって同年オフ、北海道日本ハムファイターズにトレードされた。オフに背番号を6に変更。
2009年はさらなる飛躍を見せ、春先から打ちまくり一時は打率が4割を超えた。その活躍が認められてシーズン途中から1番に抜擢される。夏場に腰痛を発症して調子を落とすが、育成上がりの松本哲也との1、2番コンビを組み、優勝に貢献。生え抜きの若手の躍進が目立った2009年の巨人を代表する選手のひとりとなった。
2010年は全試合全イニングに出場。巨人の遊撃手として最多の31本塁打を放った。その一方であまりにポップフライが多かったため、終盤戦では一時1番を剥奪されたこともあった。中日ドラゴンズとのクライマックスシリーズ(CS)ファイナルステージでは腰を痛めて離脱。第4戦にスタメン復帰するもチームは中日に敗れ、スタメン定着後初めて日本シリーズに出場できなかった。
2011年も全試合に出場、16本塁打を放つが、春先以降は打率が伸び悩み(最終的に.262)2年ぶりにスタメン落ちも経験。1番以外に2番、3番、5番、6番などでも起用されたが、結局は1番に落ち着いた。
2012年も全試合に出場。1番打者として出場していたが、4月下旬から3番として起用され、長野久義と共に最多安打のタイトルを獲得。最終戦では球団記録の20回目の猛打賞も記録し、リーグ2位の打率.311をマークした。
2013年はWBC日本代表に選出される。25打数6安打と全体的に見れば低調な成績だったが、オランダ戦ではコールド勝ちを決める満塁ホームラン、守備でも貢献した。
シーズンが開始されると、第1号ホームランは同学年の前田健太から放ち、4月19日には満塁ホームランを今度は同じ広島東洋カープの久本祐一から放つ。これで4年連続満塁ホームランを記録し、球団新記録となった。
8月までは打率3割前後と好調だったが9月に足を故障。その後の試合ではプロ初の一塁手を守る。本人は無難に一塁守備をこなした。しかし故障の影響かその後は急速な冷温停止状態になり、最終的に打率は.265まで下降。ホームラン数は去年と大して変わらない12本、54打点となんとも言えない結果になってしまった。一方で盗塁は自己最多の24盗塁を記録。
クライマックスシリーズや日本シリーズでもその不調は続き(CSではホームランを1本打った)、置き物状態になってしまった。
2014年は開幕戦で通算100本塁打、5月20日の埼玉西武ライオンズ戦で1000本安打、9月24日の中日ドラゴンズ戦で通産1000試合出場を達成した。オフには日米野球日本代表に選出された。また阿部慎之助に代わるキャプテンに就任した。
2015年からは球団史上最年少で主将を務める。この年はスタメンを外れることもあり、打点以外は去年を下回った。オフにWBSCプレミア12の日本代表に選出された。また同世代でこの年にシーズン216安打の新記録を達成した秋山翔吾(埼玉西武ライオンズ)と打撃論を語らい、翌年に打法を変えることになった。
2016年は上述の秋山との語らいや春季キャンプで松井秀喜から受けたアドバイスを経ての打撃改造が成功し、5月11日の阪神タイガース戦で松井秀喜以来の甲子園3試合連続ホームランを達成。打率.344でセ・リーグの遊撃手史上初の首位打者、出塁率.433で最高出塁率のタイトルを獲得した。また初めて遊撃手部門でゴールデングラブ賞を受賞した。
2017年はWBC日本代表に選出された。7月9日の阪神戦で通算1500本安打を達成した。28歳6ヶ月での達成は榎本喜八の27歳9ヶ月に次ぐ歴代2位、右打者としては史上最年少の記録となった。シーズンでは前年に続き首位打者争いをする中で8月以降打撃不振に陥るも打率.291、15本塁打を記録。守備面では広い守備範囲はそのままに失策を9と目標としていた一桁台に減らし、2年連続でゴールデングラブ賞を受賞。
2018年は左わき腹負傷の影響で109試合の出場に留まったが、故障時以外は変わらず不動の遊撃レギュラーで規定打席にも到達。打率は首位打者を獲得した2016年を僅かに上回ってキャリアハイの.345(セリーグ2位)を記録。4月には史上最年少で通算300二塁打を達成、通算安打数もこのシーズン終了時で1700を超える。
2019年は元号が令和に変わった5月1日の中日戦で令和1号となるホームランを記録した。また開幕から出塁を積み重ね、5月10日の東京ヤクルトスワローズ戦で球団新記録となる開幕戦からの連続出塁記録を34に更新すると、5月12日のヤクルト戦でも出塁したことで開幕戦からの連続出塁記録を36に更新し、セ・リーグ記録を更新した。5月29日の阪神戦では通算200本塁打を達成。全143試合に出場し、自己最多の40本塁打を記録。主将として初めてリーグ優勝に貢献し、セ・リーグMVPを獲得した。また通算2000本安打まで116本とした。
2020年は榎本喜八のもつ最年少2000本安打記録(31歳7ヶ月)の更新が期待されていたが、新型コロナウイルスの影響によって開幕が延期となったため更新は不可能に。さらに自身も2度のインフルエンザに加え、6月の開幕直前に新型コロナウィルス感染が判明(判明時点で回復済み)と踏んだり蹴ったりで開幕を迎えることになる。6月25日の広島戦で通算350二塁打、7月26日のヤクルト戦で通算1000得点を達成した。そして11月8日のヤクルト戦で史上53人目の通算2000本安打を達成。31歳10ヵ月での達成は榎本喜八に次ぐ2番目の早さで、右打者では史上最速となった。
2021年は5月9日のヤクルト戦で右手を負傷骨折したことで1ヶ月離脱。そのため117試合の出場で打率.271、19本塁打、46打点に留まった。6月19日の阪神戦では通算250本塁打、10月2日の横浜DeNAベイスターズ戦では通算400二塁打を達成。夏場には東京五輪の日本代表に選出され、1試合目から準決勝まで打点を挙げる活躍で金メダル獲得に貢献。大会ベストナインを受賞した。
2022年は開幕前に左内腹斜筋筋損傷で離脱。83試合の出場に留まった。
2023年4月18日のDeNA戦で通算2000試合出場、9月24日のDeNA戦で通算1000打点を達成した。116試合の出場で打率.288、22本塁打、60打点を記録した。
プレースタイル
守備
- 2008年に15失策、2009年に19失策、2010年に21失策、2011年に18失策と4年連続リーグ最多失策(遊撃手)を記録し、若手時代は巨人ファンからは守備の拙さを指摘されることが多かった。
とはいえ刺殺数・補殺数は毎年高い数字をマークするなど守備範囲は広く、本人も守備範囲にこだわりを見せている。大型ショートとしての身体能力を活かした守備範囲のほか、捕球からスローイングへの素早さなど技術的な面では非常にレベルの高い部分もあり守備センスは抜群。 - 失策はその類稀なる身体能力とセンスに任せるゆえの雑さが原因とも言われていたが、他球団の選手にも積極的にアドバイスを求めることで失策数も年々減少し、2015年、2017年はリーグトップの守備率を記録。2016年にはゴールデングラブ賞を初受賞した。ゴールデングラブ賞は現在は5回の受賞であるが、DELTA社の集計する守備指標では20代前半の頃からほぼ毎年リーグ遊撃手トップを記録し続けており、このことからも失策の減った近年はもちろんそれ以前からも守備範囲によって失点を防ぐ能力の高さが図抜けていたことが伺える。
- 一方で坂本の後継者は誰になるのかと言われていたこともあるが、2023年に門脇誠が遊撃手のレギュラーに定着してからは坂本は三塁手を担当するようになる。
打撃
- インコース打ちが非常に得意であり、度々解説者から天才的と称される。
当然アウトコースのボールを多投されるようになり、一時期はそれに対応することを意識しすぎて打撃全体が落ち込んでしまったが、2016年の打撃改造以降はそれも克服している。
人物
- 巨人においては松井秀喜以来の高卒生え抜きスター選手であり、20代前半から華のある遊撃守備に加えて打撃でも30本塁打を記録したり最多安打を獲得したりしていたため、球界を代表する野手へさらなる飛躍が期待された。その後は打撃技術の向上に苦しみながらも守備力を更に伸ばし、打撃面でも2016年に再覚醒して首位打者を獲得。以後は打撃守備両面で非常に高いレベルを誇っており、期待通り球界を代表する選手に大成している。
- 右投右打だが、実生活では左利き。
応援歌
球団 | レス | No | プレイヤー |
---|---|---|---|
巨人 | 応援歌のピコカキコ一覧#30 | 8544 |
成績
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2007年 | 巨人 | 4 | 3 | 3 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .333 | .333 |
2008年 | 144 | 567 | 521 | 59 | 134 | 24 | 1 | 8 | 43 | 10 | 15 | 1 | 28 | 2 | 98 | 2 | .257 | .297 | |
2009年 | 141 | 640 | 581 | 87 | 178 | 33 | 3 | 18 | 62 | 5 | 7 | 4 | 44 | 4 | 101 | 8 | .306 | .357 | |
2010年 | 144 | 676 | 609 | 107 | 171 | 35 | 4 | 31 | 85 | 14 | 10 | 7 | 47 | 3 | 83 | 6 | .281 | .332 | |
2011年 | 144 | 624 | 568 | 69 | 149 | 27 | 2 | 16 | 59 | 8 | 10 | 3 | 37 | 6 | 91 | 3 | .262 | .313 | |
2012年 | 144 | 619 | 557 | 87 | 173 | 35 | 2 | 14 | 69 | 16 | 12 | 5 | 39 | 6 | 90 | 5 | .311 | .359 | |
2013年 | 144 | 620 | 554 | 73 | 147 | 33 | 1 | 12 | 54 | 24 | 4 | 3 | 55 | 4 | 87 | 11 | .265 | .334 | |
2014年 | 144 | 616 | 545 | 82 | 152 | 29 | 0 | 16 | 61 | 23 | 9 | 5 | 55 | 2 | 88 | 3 | .279 | .344 | |
2015年 | 130 | 558 | 479 | 50 | 129 | 21 | 3 | 12 | 68 | 10 | 9 | 5 | 65 | 0 | 79 | 5 | .269 | .353 | |
2016年 | 137 | 576 | 488 | 96 | 168 | 28 | 3 | 23 | 75 | 13 | 1 | 6 | 81 | 0 | 67 | 6 | .344 | .433 | |
2017年 | 142 | 614 | 539 | 82 | 157 | 30 | 0 | 15 | 61 | 14 | 1 | 3 | 68 | 3 | 85 | 16 | .291 | .372 | |
2018年 | 109 | 502 | 441 | 87 | 152 | 27 | 2 | 18 | 67 | 9 | 0 | 0 | 61 | 0 | 83 | 4 | .345 | .424 | |
2019年 | 143 | 639 | 555 | 103 | 173 | 26 | 0 | 40 | 94 | 5 | 3 | 2 | 77 | 2 | 123 | 9 | .312 | .396 | |
2020年 | 115 | 479 | 412 | 64 | 119 | 28 | 1 | 19 | 65 | 4 | 1 | 4 | 62 | 0 | 85 | 9 | .289 | .379 | |
2021年 | 117 | 487 | 424 | 53 | 115 | 26 | 0 | 19 | 46 | 2 | 2 | 2 | 58 | 1 | 90 | 4 | .271 | .359 | |
2022年 | 83 | 353 | 304 | 35 | 87 | 14 | 0 | 5 | 33 | 2 | 0 | 2 | 45 | 1 | 65 | 3 | .286 | .378 | |
2023年 | 116 | 455 | 403 | 46 | 116 | 29 | 0 | 22 | 60 | 2 | 0 | 2 | 45 | 2 | 84 | 5 | .288 | .361 | |
NPB:17年 | 2101 | 9027 | 7983 | 1181 | 2321 | 445 | 22 | 288 | 1004 | 162 | 83 | 54 | 867 | 36 | 1399 | 99 | .291 | .361 |
国際大会での打撃成績
年 度 |
代 表 |
大 会 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2013年 | 日本 | WBC | 6 | 28 | 25 | 2 | 6 | 0 | 0 | 1 | 6 | 1 | 2 | 1 | 0 | 0 | 3 | 0 | .240 | .231 |
2015年 | プレミア12 | 8 | 35 | 30 | 4 | 6 | 1 | 0 | 1 | 6 | 1 | 1 | 2 | 2 | 0 | 6 | 0 | .200 | .235 | |
2017年 | WBC | 6 | 28 | 24 | 6 | 10 | 3 | 0 | 0 | 1 | 1 | 1 | 0 | 3 | 0 | 1 | 0 | .417 | .481 | |
2019年 | プレミア12 | 7 | 27 | 26 | 6 | 8 | 2 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 7 | 0 | .308 | .333 | |
2021年 | 五輪 | 5 | 24 | 21 | 3 | 7 | 3 | 0 | 1 | 4 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 7 | 0 | .333 | .318 |
通算守備成績
機構 | 守備位置 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
NPB | 一塁手 | 3 | 18 | 2 | 0 | 3 | 1.000 |
二塁手 | 1 | 2 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | |
三塁手 | 21 | 11 | 37 | 0 | 4 | 1.000 | |
遊撃手 | 2046 | 3070 | 6196 | 192 | 1171 | .980 |
タイトル・表彰・その他
タイトル | ||
---|---|---|
最多安打 | 1回 | 2012年 |
首位打者 | 1回 | 2016年 |
最高出塁率 | 1回 | 2016年 |
表彰 | ||
MVP | 1回 | 2019年 |
ベストナイン | 7回 | 2009年、2012年、2016年、2018年-2021年 |
東京ドームMVP | 2回 | 2009年、2016年 |
アジアシリーズMVP | 1回 | 2012年 |
ゴールデングラブ賞 | 5回 | 2016年、2017年、2019年-2021年 |
月間MVP | 2回 | 2018年3・4月、2019年3・4月 |
その他 | ||
オールスターゲーム出場 | 11回 | 2008年-2014年、2016年-2019年 |
関連動画
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関連項目
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