堀江(ほりえ)とは大阪市西区にある大阪ドーム近辺のエリアである。
北堀江と南堀江、またその一帯を含む。なんばにも近く、一帯はオシャレなブティックやカフェ、インテリア、セレクトショップなどが並ぶ、ミナミで最も熱いエリアの一つであり、大阪市南部で住みたい場所の上位になっている。
概要
堀江の歴史はけっこう複雑で、江戸時代は名の通り船着き場であった。そして、そこから三菱財閥の礎となる海運会社「三菱商会」が興り、一帯には材木問屋や関連の工場などで賑わいを見せた。そこには沖仲仕(港で積荷を運ぶため力仕事をする人)などの荒くれ者の男が集まり、そうなれば遊郭としても発展し、戦前戦後には赤線地帯にもなった。
だが、交通の主役はトラックなどの陸運に代わると水運で栄えた堀江は衰退し、派生した木工、家具業も停滞、バブル期あたりには誰も訪れない過疎エリアとなっていた。そんな堀江に活気を呼び戻したいと動き始めたのが次世代の家具職人や家具店のオーナーたちであった。
転機は大阪ドーム開業による一帯の再開発であり、それによって西大橋駅が誕生、それに伴い地場産業の家具を売るためのフリーマーケットなどが定期的に行われた。そして、それに合わせ大阪進出を目論んでいた東京のセレクトショップが急成長の見込みがある堀江に目をつけ、クリエイターなども多く住み、デザイナーズマンションなども建てられ、急速に市南部で随一のおしゃれスポットとして成長を遂げていくことになり、それまでキタしか興味がなかった府民(お上りが多い)も呼び込むほどの街になった。
そして、すでにファッションの街として開発されつつあった南船場から、心斎橋や難波エリアと動線がつながったことで一大ファッション街として発展を遂げた。しかし、今も昔も木工の街であることには変わりない。
なお、この民間主導の再開発は非常に大きな反響を呼ぶことになり、名古屋市の大須などとともに住民による再開発の成功例として盛んに採り上げられ、全国から多くの自治体が視察に来ている(まあトリガーは大阪ドーム開業なのだが)。
一方で、江戸時代から昭和にかけて盛んに津波の被害を喰らった地域でもあり、あちこちに津波被害の慰霊碑などがあり、市民の防災学習拠点にもなっている事実も踏まえなければいけない(当時と違って埋め立てが進んでるので、昔ほど海に迫っていないけど)。
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関連項目
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