- プロ野球選手一覧 > 堂林翔太
堂林翔太(どうばやし しょうた、1991年8月17日-)とは、愛知県出身のプロ野球選手(内野手)である。現在は広島東洋カープに所属。
概要
広島東洋カープ #7 | |
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堂林翔太 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 愛知県豊田市 |
生年月日 | 1991年8月17日 |
身長 体重 |
183cm 88kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 三塁手、一塁手 |
プロ入り | 2009年ドラフト2位 |
経歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
中京大中京高等学校出身。3年夏では尾張のプリンスエースで4番として活躍し、同校を優勝に導いた。
しばしば語り草となる決勝戦の日本文理戦でも先発投手として出場。6回途中で二番手投手に継投しライトに回るが、6点リードの9回表で再登板。順調に2アウトまで進めるが、そこから粘る日本文理打線の反撃に遭い、2点を返されたところで再度降板となった。
その後も日本文理打線の猛追は続くも、10-9で試合終了。
優勝の瞬間マウンドに立つことは叶わなかったが、本塁打を含む4打数3安打4打点1四球と堂林の活躍が目立った一戦だった。
余談ではあるが、この日本文理の二死フルカウントからの猛反撃は白球の記憶でも紹介されている。Wikipediaでもこの試合について単独記事ができているほどで、人々の印象に残った試合であることは間違いないだろう。
ドラフトでは地元中日ドラゴンズから指名…と思いきや広島東洋カープが2位に指名。
尾張のプリンスの座をかけて堂上弟と争う事態にはならなかった。
※ちなみに、この年のカープのドラフトでは、この年の高校BIG3として競合が予想されていたセンバツ優勝投手の今村猛をまさかの単独指名。2位で堂林を指名したため、史上初の春夏優勝投手同時獲得となった。
背番号はアレックス・ロドリゲスのような三塁手・遊撃手に育ってほしいという方針から13。
高校時代のポジションは主に投手だったが、プロ入り後は野手に転向。主に三塁手として出場している。
なお、堂林らが生まれた1991年はカープが最後にリーグ優勝した年でもある。何か持ってるのかもしれない。
広島時代
2010年(1年目)は二軍で三塁のレギュラーとして起用され、チーム2位の7本塁打、32打点を叩き出したが、打率は.207 、111三振とプロの壁にぶつかった。しかしその年のフレッシュオールスターではホームランを放つなど打撃では存在感を見せた。ルーキーイヤーは今村猛、伊東昴大の同世代が早々に一軍デビューしたが、野手転向から日が浅かったため一軍昇格とはならなかった。
2011年、2年目もプロの壁にぶつかり、打率.208、1本塁打、23打点と不振に苦しみこの年も一軍出場はなく、フェニックスリーグでは長打の打球が少なかったが、打率は.382と好成績を残し、シーズン苦しんでいたのが嘘のようにほとんどの試合でヒットを量産した。
2012年、野村謙二郎監督のマンツーマン英才教育により、東出・新井のルーキー時代のように使いながら育てていく方針で開幕一軍が決定。
開幕戦でエラーを喫したが、その後は思い切りのよさを攻守に出していくように発破をかけられ、鋭い当たりでヒットを量産し、一軍初打点も記録。4月半ばの時点で一時期は首位打者にまで躍り出るなどの活躍を見せた。
課題の守備も、時折ポロリとこぼすことはあるが、捕球から送球まで、綺麗な動作で処理しており、将来性を感じさせている。そして4月24日の阪神タイガース戦(阪神甲子園球場)。8回表1死、ここまで0封のランディ・メッセンジャーから外よりのスライダーをセンターバックスクリーン右へプロ初のソロ本塁打。これが決勝点となり、初めてヒーローインタビューも受けた。本拠地マツダスタジアムでの初ヒーローインタビューは同年5月11日。オールスターゲームには、プラスワン投票で選出され、無安打ながら全試合に出場。7月25日(対東京ヤクルトスワローズ戦)で第10号本塁打を放ち、球団高卒3年目の2桁本塁打は、江藤智・前田智徳につぐ3人目の記録となった。10月6日(対ヤクルト戦)には自身初の1試合2本塁打を記録した。しかし、夏場以降は快音が減り9月25日(対読売ジャイアンツ戦)には球団記録となる140三振目を喫すなど、リーグワーストの150三振・29失策・得点圏打率.192など不名誉な数字も数多く残した。
オフにはWBC強化試合に出場。11月19日のキューバ戦では代打で勝ち越し点を生む3塁打を放つなどしたが、代表入りはできなかった。
2013年からは背番号を7に変更。6月27日の東京ヤクルトスワローズ戦で、プロ入り初のサヨナラホームランを放ち、「サイコーでーす!」と絶叫。翌日には堂林サヨナラTシャツが販売された。しかしその後一軍で安定した成績を残せず、夏場から徐々に成績を上げたが8月20日に死球を受けて骨折し、そのままシーズンを終える。カープは堂林離脱の後、前年の逆を行く終盤の快進撃で16年ぶりのAクラス入り。堂林自身も自分がその中に入れなかったことなど、オフに悔しさを吐露した。
2014年、今村猛の他に、同年代に 大瀬良大地、九里亜蓮といった大物ルーキーが入団し、いつも以上に神妙な面持ちで開幕に臨む。オープン戦では前半に打率首位に立つなど好調に見えたが、終盤で三振を量産、結果、突出した成績を残せず、木村昇吾らベテランのスタメンも増えベンチ入りも目立ったが、4月2日の東京ヤクルトスワローズ戦でサヨナラホームラン。再び「サイコーでーす!」と絶叫しやはりTシャツが販売され、その後も4月には満塁ホームランや代打ホームランを放った。なお月間で満塁、サヨナラ、代打のそれぞれ3種類の本塁打を放ったのは1990年9月の中島輝士(日本ハムファイターズ)、1995年7月の鈴木尚典(横浜ベイスターズ)に次いで19年ぶり3人目の快挙で、広島では堂林が初となった。しかし5月に右手薬指を骨折し、前年同様打撃不振に陥った。
2015年は代打での起用が主となるが結果を残せず打率は2割前後を彷徨い、5月30日に登録を抹消される。7月12日に再登録され同日の中日戦にスタメン起用されるも5タコとまたもや結果を出せず、2度の代打起用ののちに再び登録を抹消される。その後シーズンも終盤に差し掛かった9月11日に昇格し、以降は「起爆剤」になることを期待されてスタメン起用が増え、打率もやや上がったが、最終成績は打率.269、本塁打無しの3打点とプロ入り後ワーストの成績となった。
2016年は4月17日に一軍に昇格し、4月19日の横浜DeNAベイスターズ戦で2年ぶりのホームランを放った。しかし一軍で結果を残すことができず、47試合の出場に留まった。
2017年は開幕を一軍で迎えたが、6月4日に登録を抹消された。
2018年は63試合に出場したが、打率.216、5打点に終わった。
2019年は28試合に留まった。
2020年は7番・一塁で6年ぶりに開幕スタメン入り。7月以降は三塁のレギュラーに定着し、7月下旬までは打率が4割を超えるなど記録的な絶好調ぶりで、ついに覚醒かと大いに話題になった。8月以降は絶好調モードが終了し、最終的には打率.279だったが、シーズンを通して三塁レギュラーの地位を守り通し、8年ぶりに規定打席に到達。111試合に出場、14本塁打、58打点、17盗塁とキャリアハイの成績を残した。一方、三塁守備ではリーグ最多の17失策と課題を残した。
2021年は70試合の出場で打率.190、5打点と結果を残せなかった。
2022年は主に代打として起用され、代打成功率3割だった。101試合の出場で打率.243、8本塁打、28打点を記録した。
2023年は100試合に出場し、打率.273、12本塁打、35打点を記録した。
プレースタイル・人物
満塁での成績が良く、特に2013年5月11日中日戦では犠飛、単打、単打、二塁打、単打、本塁打と6打席連続で凡退がなく、いずれも打点を稼いでおり12打点をマークしている。
妻は元TBSアナウンサーの桝田絵理奈で、2014年シーズン終了後に結婚を発表し、2015年には第1子を授かった。
応援歌
球団 | レス | No | プレイヤー |
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広島 | 応援歌のピコカキコ一覧#1001 | 12011 |
成績
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
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2012年 | 広島 | 144 | 554 | 488 | 60 | 118 | 25 | 4 | 14 | 45 | 5 | 5 | 3 | 44 | 14 | 150 | 8 | .242 | .321 |
2013年 | 104 | 410 | 364 | 36 | 79 | 14 | 0 | 6 | 41 | 10 | 5 | 1 | 33 | 7 | 96 | 10 | .217 | .294 | |
2014年 | 93 | 339 | 284 | 37 | 70 | 12 | 1 | 8 | 28 | 1 | 5 | 3 | 32 | 6 | 87 | 3 | .246 | .332 | |
2015年 | 32 | 71 | 67 | 5 | 18 | 2 | 0 | 0 | 3 | 1 | 1 | 0 | 3 | 0 | 15 | 1 | .269 | .300 | |
2016年 | 47 | 60 | 56 | 6 | 14 | 0 | 0 | 2 | 2 | 3 | 1 | 0 | 3 | 0 | 11 | 0 | .250 | .288 | |
2017年 | 44 | 54 | 46 | 4 | 10 | 1 | 0 | 1 | 11 | 0 | 0 | 3 | 5 | 0 | 13 | 0 | .217 | .278 | |
2018年 | 63 | 60 | 51 | 11 | 11 | 3 | 1 | 0 | 5 | 0 | 7 | 0 | 2 | 0 | 14 | 1 | .216 | .245 | |
2019年 | 28 | 38 | 34 | 1 | 7 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 | 9 | 0 | .206 | .250 | |
2020年 | 111 | 451 | 401 | 55 | 112 | 21 | 0 | 14 | 58 | 17 | 3 | 2 | 41 | 4 | 91 | 12 | .279 | .350 | |
2021年 | 70 | 143 | 137 | 12 | 26 | 6 | 0 | 0 | 5 | 2 | 2 | 0 | 3 | 1 | 34 | 4 | .190 | .213 | |
2022年 | 101 | 274 | 255 | 25 | 62 | 16 | 0 | 8 | 28 | 1 | 5 | 1 | 11 | 2 | 82 | 6 | .243 | .279 | |
2023年 | 100 | 284 | 260 | 29 | 71 | 13 | 0 | 12 | 35 | 1 | 5 | 0 | 19 | 0 | 72 | 7 | .273 | .323 | |
NPB:12年 | 939 | 2731 | 2445 | 281 | 598 | 113 | 7 | 65 | 263 | 41 | 41 | 13 | 198 | 34 | 675 | 52 | .245 | .309 |
通算守備成績
機構 | 守備位置 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 |
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NPB | 一塁手 | 261 | 859 | 66 | 6 | 86 | .994 |
三塁手 | 424 | 239 | 753 | 72 | 56 | .932 | |
外野手 | 199 | 267 | 7 | 5 | 0 | .982 |
記録
初出場 | 2012年3月30日 | 対中日ドラゴンズ1回戦 | ナゴヤドーム |
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初安打 | 2012年3月30日 | 対中日ドラゴンズ1回戦 吉見一起から |
ナゴヤドーム |
初打点 | 2012年4月12日 | 対阪神タイガース3回戦 安藤優也から |
MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島 |
初本塁打 | 2012年4月24日 | 対阪神タイガース4回戦 ランディ・メッセンジャーから |
阪神甲子園球場 |
初盗塁 | 2012年6月5日 | 対北海道日本ハムファイターズ3回戦 吉川光夫、鶴岡慎也から |
札幌ドーム |
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関連項目
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