「塩谷瞬」(しおや しゅん)とは、東映のスーパー戦隊シリーズ第26作「忍風戦隊ハリケンジャー」の「ハリケンレッド/椎名鷹介しいな ようすけ)」で初主演を果たし、映画「パッチギ」の主役「松山康介」役でアカデミー賞新人賞を受賞し、映画・テレビドラマそしてボランティア活動に活躍している俳優である。
概要
15歳の時、映画「タクシードライバー」でのロバート・デニーロの演技に感銘を受けた事や、ゲームセンターで受けたオーディションを75000人の中で勝ち抜いた事等から、生涯の職を俳優と定めて上京して演技を勉強した。18歳の時に都内の事務所を回り続けて、ようやくスターダストプロモーションの面接にこぎつけて所属する事が決まった。
2002年、19歳の時に東映のスーパー戦隊シリーズのオーディションに合格し、「忍風戦隊ハリケンジャー」にて栄光のレッドの系譜につながる「ハリケンレッド/椎名鷹介しいな ようすけ)」役で俳優デビューを果たした。
「忍風戦隊ハリケンジャー」では、潜在能力は高い事を自覚していなかったがゆえの落ちこぼれ忍者が、戦いを重ねて潜在能力を発揮するようになり、皆を率いるリーダーに代わっていく姿を好演した。撮影中には、交通事故により腕を骨折というアクシデントに見舞われたが、作中でも負傷した設定で三角巾で腕を吊った姿で登場し、仲間の「野乃七海(のの ななみ)/ハリケンブルー」と「尾藤吼太(びとう こうた)/ハリケンイエロー」にエールを送る姿を見せた。
後楽園ゆうえんちでの「忍風戦隊ハリケンジャー」ショーにも顔出しで出演し、総計50万人もの観客を集めた。
以降は、テレビドラマを中心に俳優として活躍を続け、2004年に大友康平のライブの打ち上げに参加していたところで偶然声をかけられた事から映画「パッチギ!」の主役「松山康介」役に抜擢された。映画はブルーリボン賞作品賞や日本アカデミー賞優秀作品賞を受賞し、塩谷瞬もまた日本アカデミー賞とヨコハマ映画祭にて新人俳優賞を受賞した。
一般層からの知名度と評価を得た塩谷瞬は、「出口のない海」などの映画に出演し、2007年には、
と立て続けに主演・出演作が公開され、日本映画最多出演賞を受賞すると共に、求められる演技の幅の広さに対応した表現力を見せた。
映画「象の背中」出演時には、塩谷瞬の父親役で主演を務めた「役所広司」に演技のアドバイスをもらい、2008年のアメリカ武者修行の際は、尊敬する真田広之に激励をうけ、映画やドラマで共演した中村雅俊や永島敏行や京本政樹や阿部寛や寺脇康文と親交がある。
その後も映画にテレビドラマに舞台に活躍を続け、2010年1月1日付けでスターダストプロモーションを離れると、塩谷瞬俳優事務所を設立し、舞台に映画に活躍する中、小学生時代から熱心に行っていたボランティア活動にも力をいれ、現地の状況を感じ、本当に解決しなければならない問題を知る為にと東ティモールに出向く等している。
2011年3月11日に東北東日本大震災が発生すると自転車で都内を回り、帰宅難民となった人々に声をかけ避難所に連れて行ったり、カイロや防寒用のシートを配ったり、渋谷区の避難所をまわって状況をつぶさにブログやTwitterで報告し、閲覧している人々に冷静な対応を促す等、精力的に活動した。
塩谷瞬なんて大したことない
塩谷瞬なんて大したことない
小学生の時に両親が離婚そして母親と父親が失踪して天涯孤独の身になり、
周囲の手助けに甘えずに小学生の頃から新聞配達をして一人暮らしをし、
苦しい生活の中で養護施設や福祉施設を回って自転車の技や大道芸を披露するボランティア活動を行い、
波乱万丈な自分の人生経験を活かす為に俳優になろうと上京し、
人生経験の為に東京から大阪・京都へと移り住んだ後に最後のチャンスと上京して事務所を回り、
時間外だったので非常階段を昇って事務所に入って残業中の取締役にプロフィールを渡すチャンスを掴み取り、
事務所が決まったからと甘えずに1年で芽が出なかったアメリカに行こうとチケットを購入し、
「ハリケンレッド」となってアメリカ行きのチケットは使う事が無くなり、
未曾有の大震災では自転車を飛ばして人も知らず世も知らず影となりて被災者救援に飛びまわった。
そんなどこにでもいる男。それが塩谷瞬
主な出演作品
「ハリケンレッド/椎名鷹介」役映画作品TVドラマ |
主演作品(映画)
主演(TVドラマ) |
※その他の出演作品についてはWikipediaの該当項目参照
関連動画
関連商品
関連コミュニティ
関連項目
関連リンク
- 【公式】塩谷瞬 official site
- 【公式】塩谷瞬俳優事務所
- 【Blog】塩谷 瞬オフィシャルブログ 「 Live is life ! 」
- 【Twitter】塩谷 瞬 (SHUNSHIOYA)
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