壇ノ浦構文とは、「~にも…は(が)ございます」等とする文のことである。
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この文に、特に文法的に変わったところはない。しかし、平家物語に登場する「波の下にも都はございます」という台詞が一部で連想されるため、その台詞が発せられたとされる戦いの場「壇ノ浦」をとって「壇ノ浦構文」と一部で呼ばれるようになった。
日常生活の中で意図せず「2階にも待機所はございます」など、他の場所にも該当のスペースが存在することを示す案内で使用されていることがあり、SNS上で壇ノ浦を思い出させるとして投稿されることがある。
「壇ノ浦構文」という語は、X(SNS)では2024年11月~2025年1月ごろから使用例が増え始めている
。
なお、「…はございます」「…がございます」の表記ゆれがあるが、原文では「…の候ふぞ」なので「は」「が」のどっちでもいいかもしれない。
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元の場面
もとは史実をもとに作られた平家物語での台詞。実際の歴史では、源平合戦の終盤の壇ノ浦の戦いで、8歳の安徳天皇は入水して死去している[1]。
平家物語での描写では、安徳天皇は二位母(平時子)に抱きかかえられ、「悪縁に引かれ運が尽きてしまったので、辛いこの世から抜け出て極楽浄土に連れて行く」と涙を流しながら伝えられる。そして東(伊勢神宮)に拝み、西に対して念仏を唱えた後、
波の下にも都の候ふぞ
ちなみに『吾妻鏡』では「按察局奉抱先帝」とある。つまり安徳天皇は按察使局伊勢という別の女性とともに入水したことになっている。また、実際に「波の下にも…」の発言があったかも定かではない。しかし、いずれにしても安徳天皇が入水したのは史実とみられており、源平合戦の悲劇として印象に残る人も多いようだ。
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脚注
親記事
子記事
- なし
兄弟記事
- なし
- 7
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