「士壱」(しいつ ? ~ 242?)とは、ベトナム古代史の英雄・士燮の弟であり三国時代の呉に仕えて偏将軍となったが、空気の読めない従兄弟の反乱に連座して息子共々官職を剥奪されて平民に落とされた士なんとか一族の武将。
概要
ベトナム古代史にて唯一英雄視されている漢人・士燮の弟であり、交州刺史の丁宮の下で交趾の督郵の職についていた。
丁宮が尚書に任ぜられて洛陽に召還されると、士壱が壮大な送別会を開いた事から、感激した丁宮が
もし私が三公(太尉・司徒・司空)に取り立てられたら貴方を呼び寄せます。
と約束し、その後めでたく丁宮が三公のひとつ司徒に任命された際に、約束を守って士壱を洛陽に呼び寄せた。
士壱が洛陽に到着した際は、すでに董卓による少帝の廃位が実行された後だった為、丁宮は司徒の職を失っていたが、後継の黄琬に厚遇された士壱は司徒掾として働いた。
董卓と黄琬がいがみあうようになると、士壱は黄琬の為に働いた事から怒った董卓により罷免され、任意引退に追い込まれた為、新たに契約することができず、さらに契約した奴は俺が責任もってぶっころすと董卓が布告を出した事から、半年ほどの洛陽での生活に別れを告げた士壱は、故郷の交州に帰った。
士壱が交州に戻った後に交州刺史の朱符が殺されると、兄・士燮の上奏により合浦太守となり、その後は兄と共に行動することにした。
兄・士燮が交州の民を戦乱に巻き込まないようにする為に孫権に降伏する道を選ぶと、兄と共に貢納品をきちんと納めた事や、兄が雍闓(雍ガイ)の反乱を仲介した功績により、孫権から衛将軍に任命された際に、士壱も偏将軍に任じられた。
しかし、兄・士燮の死後、士一族のリーダーシップを温厚篤実な士祗ではなく単細胞の士徽が務めた事から、、空気読めない士徽が孫権に対して反乱を起こすして交州刺史の呂岱の手にかかって兄の一族が皆殺しにされると言う事件が発生した。
反乱に参加せず、息子の士匡を士徽らの説得に当たらせた功績から死罪は免れた士壱だったが、この際だからと士一族を滅ぼす気まんまんの孫権により官職を剥奪されて平民に落とされ、その後、濡れ衣と思われる罪により処刑された。(兄の士燮が90歳で死去した事から、士壱は80代だったと思われる)
※その他「士壱」の詳細についてはWikipediaの該当記事参照の事。
三国志演義では
士壱は・・・登場しない。
関連動画
▼三国時代に飛んできた765プロの高木社長に与しようとする兄に反抗する「765プロ興亡史」
補足
能力一覧 | 統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 陸指 | 水指 | 身体 | 運勢 |
三國志 | - | - | - | - | - | - | - | - | - |
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三國志VIII | - | - | - | - | - | - | - | - | - |
三國志IX | - | - | - | - | - | - | - | - | - |
三國志X | 48 | 36 | 67 | 74 | 69 | - | - | - | - |
三國志11 | - | - | - | - | - | - | - | - | - |
関連商品
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関連項目
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