夏の葬列単語


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夏の葬列とは、山川方夫(やまかわまさお)小説である。

概要

大東亜戦争終戦間際に起きた一つの悲劇を扱った物語作者は戦中を生き抜いた人物であり、作家として様々な作品を輩出するも、34歳(1965年2月20日)で折した。「夏の葬列」はその作品群の1つで、ミステリー誌の「ヒッチコックマガジン1962年8月号に掲載されている。

古い作品ではあるものの、中学校国語教科書に教材として採用されているため、若い世代にも一定の認知度がある。後味が非常に悪い本作は国語教科書掲載作の中でも異を放っている。

2015年著作権が切れているため、青空文庫exitでも読むことができる。

あらすじ

終戦が間近に迫った1945年戦争末期東京郊外辺の町に住んでいた主人公の「」は都会から疎開してきた2、3歳年上のお姉さんこと「ヒロコさん」と仲良くなる。気弱な少年だった彼にとって何かと世話を焼いてくれるヒロコさんはのような存在であった。

そんなある日、彼とヒロコさんは葬儀の列を見つける。まんじゅうが貰えるかもしれないと2人は列に駆け寄った。そこへアメリカ軍グラマンが飛来し、彼はジャガイモの中で息を潜める。制止する大人を振り切り、ヒロコさんが彼を助けようと近寄ってくるが、彼女立つ真っ白ワンピースを着ていて標的になりやすく、彼は助けに来てくれたヒロコさんを「向こうへ行け!」と突き飛ばしてしまう。次の間、機掃射を浴びたヒロコさんの体がゴムマリのように跳ねるのを眼前で見てしまった。白いワンピースの下半分をに染めながら。

その翌日戦争は終わった。彼は、自分が「ヒロコさんを殺してしまった」という罪悪感に苛まれ、重傷を負った彼女から逃げるように町を離れて東京へと戻った。

それから大人になった彼は、久しぶりに思い出の地に舞い戻り――あの時と同じような葬列を見つける。担がれている遺影に映っていたのは大人に成長したヒロコさんであった。ヒロコさんを殺したのは彼ではなかったのだ!まったくの実なのだ!罪の意識から解放されて葬儀の列で場違いな歓喜を上げる彼。

彼は葬列に並んでいた子供に話を聞く。どうやらに飛び込んで自殺したらしい。しかも、あの遺影女性は実はおばあさんで、若い頃の写真しかかったのだという。

そして、自殺の原因は戦争で一人が機に撃たれて死亡し、気が狂ってしまった事だった。

あの夏の日、ヒロコさんは機掃射で死亡し、気が狂ったお母さんが入自殺してしまった訳である。残酷な真実を突きつけられた彼は自分の犯した罪から永遠に逃げられないと悟った。

関連商品

2023年現在新品で入手できる著者の短編集では、集英社文庫『夏の葬列』と、ちくま文庫の中のあなた 山川方夫ショートショート集成』に収録されている。

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夏の葬列

46 ななしのよっしん
2024/06/06(木) 13:03:55 ID: ZvTlQta2Af
「儂が悪いのではない!米軍の機掃射が悪いのだ!」

老後はマジでこうなってそう
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47 ななしのよっしん
2024/06/06(木) 13:40:10 ID: oqYvKrh61D
小学生時代に年上のお姉さんに仲良くしてもらった経験のないには一生わからんだろう
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48 ななしのよっしん
2024/06/06(木) 13:53:46 ID: sHeq1/JRGr
なにゆえミステリー娯楽誌の短編が国語教材としての反戦文学に化けたのか
このあたりの来歴は不思議だよなあ。教科書作ってる人そこまで考えてない説もあるけど
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49 ななしのよっしん
2024/06/06(木) 14:24:38 ID: avDkrurwaz
>>41
後世の人が歴史小説として書いたならともかく、
戦時を自ら経験していて1945年当時14歳だった作者が、そういう間違い?をするってのがなんか不思議というかシュールだな
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50 ななしのよっしん
2024/06/06(木) 16:13:05 ID: oA4QNV4RSw
間違いじゃなくて印付けるためのアクセントだと思うけどなぁ、実際の経験は活かしてても全部事実って訳じゃないでしょ
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51 ななしのよっしん
2024/06/06(木) 16:37:44 ID: mcxyeY8tzr
公家が実際にはおじゃるなんて言わないのと同じで脚色の一つと考えるのが妥当だと思う。1960年代ならまだそういうことを書いてもうるさく言ってくる読者は少ないだろうし
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52 41
2024/06/06(木) 21:40:04 ID: RseQ7hi3JH
ドラえもんに「ゆりのような女の子」っていう話があって
これも「疎開先で白いワンピースを着た少女と出会う話」なんだよな
山川方夫も藤子不二雄リアルで学童疎開を体験した世代なんだけど
疎開先で白いワンピースを着た少女と出会って仲良くなりたかった」っていうのは
あの世代の男子ならでもみんな考えるなのかもしれない

気持ちはわかる
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53 ななしのよっしん
2024/09/14(土) 12:22:45 ID: 3XzHRd8ANJ
横浜から静岡疎開した戦前生まれの祖母から聞いた話
そもそも戦争始まる前はモダンガールだって洋装とショートカットが流行してたからスカート持ってる女性の方が多かった
戦争始まってからわざわざモンペに仕立て直したりしたけど、スカートはきつづけてる女性普通にいた
はだしのゲンとかの学校でもバリバリ軍事教育されてたと思われてるけど全的にそうだったわけじゃなく、都会お嬢様学校だとまだダンスの授業があるくらいのんびりしてたしセーラー服スカートも今より少し長いくらいの丈だったと
田舎疎開したらじろじろみられ、非国民の格好だと言われてモンペをはかされたそうだが、とにかく戦時中でも地域によって雰囲気は全然違ったそうだよ
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54 ななしのよっしん
2024/09/14(土) 12:32:08 ID: mcxyeY8tzr
それは都会であって閉鎖的な田舎なら結局考的には不自然って結論は変わらないのでは
この世界の片隅にとかの描写を見る限り1944年くらいにはもう都会でもだいぶ軍国主義的な倹約やそういう美をめる潮が強かったかんじがするけど
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55 ななしのよっしん
2025/02/18(火) 21:13:48 ID: 6nHiBOS8jU
戦闘機操縦してたアメリカ人がヤクでもやってて
白ワンピース着た女の子が重武装の兵士にでも見えてたんかな
じゃなきゃ一般市民に機掃射なんて頭おかしいことしないでしょ普通
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