大久保博元(おおくぼ ひろもと、1967年2月1日-)とは、茨城県出身の元プロ野球選手(捕手)である。
芸名は「デーブ大久保」。ユニフォームの背番号の上の名前を「D.OHKUBO」にしていたこともあった。
概要
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1984年にドラフト1位で西武ライオンズに入団。引退後のタレント業ではデーブ大久保という芸名をつけていたことからも分かる通り、かなりの肥満体系。高校通算で52本塁打を記録している為、入団時からその長打力は評価されてはいたが、西武では伊東勤が正捕手として確立していたこともあり代打がほとんど。
当然ながらその肥満体系を選手の管理面にうるさかった当時の監督である広岡達朗に「プロ野球選手の体ではない」と酷評されている。さらに1986年に監督が森祇晶に代わると、森には口すらきいてもらえぬ程に評価をされず出場機会すらろくに与えられなくなってしまう。
1992年5月に中尾孝義との交換トレードで読売ジャイアンツに移籍すると、当時「今年は最下位か」と言われていたほどに低迷していた巨人とその投手陣を強気なリードと勝負強い打撃、そしてその明るい性格で引っ張り、チームを首位争いに絡むまでに上昇させている。
1992年は84試合で打率.277、15本塁打43打点の成績を残しているが、上述のようにシーズンにおける成績以上の働きを当時の藤田元司監督に評価され、2000万円のボーナスを貰っている。このため大久保は藤田を「オヤジ」と慕い、藤田が2006年に死去した際には葬儀で号泣している。
1993年以降は故障の他、村田真一との正捕手争いにも負けて1995年で引退。引退後はタレント、野球解説者のほかにも実はプロゴルファーでもあった。
2008年シーズンより埼玉西武ライオンズの打撃コーチに就任。西武ファンは暗黒時代到来を確信した人が多かったが、大久保が他チームの分析をかなり細かくやっていること、怪我した選手に遅くまで付き合ったこと、監督や選手、裏方のおかげであり自分は何もしていないという謙遜した態度、2008年の打撃力が去年とは比べ物にならないものになったことなどからコーチとしては評価を確立した(ただしこの評価についても賛否分かれるところがある。後述参照)。
しかし、12月に知人女性に暴行を加え軽いケガをさせたとして更迭され、フロントに配置転換された。大久保は暴行を否定していたが、2009年3月18日付で傷害罪により東京区検に略式起訴された。
2010年に西武二軍打撃コーチに復帰したが、7月に球団がコーチの職を解くと発表。その後、菊池雄星らライオンズ選手に対する暴力行為があったと報道されている。
2011年のオフに東北楽天ゴールデンイーグルスの打撃コーチ就任が発表され、2013年からはチームの二軍監督を務める。
2014年7月2日からは、星野仙一の休養による監督代行を佐藤義則から引き継ぎ、なんと一軍の指揮をとることになった。7月24日まで指揮を執り、その間の戦績は17試合で8勝9敗。星野の復帰に伴い、再び二軍監督に戻っている。
2014年末、勇退する星野仙一の後を継ぎ、東北楽天ゴールデンイーグルス監督を務めることとなった。
2015年は監督としてチームを率いたが、4月に何度か3位に浮上した以外は終始Bクラスを彷徨うこととなり、7月30日には田代富雄1軍打撃コーチが異例となるシーズン途中で辞任し、この際に三木谷オーナーによる現場介入が発覚する等チームの指揮以外にも大いに悩まされる。10月3日にはロッテに敗れ2年連続の最下位が決定。チーム不振の責任を取り、監督の職をわずか1年で辞することになった。
指導者時代の不祥事
大久保はコーチとして一定の評価をされるが、時に犯罪行為にまで走るほど人格的に難があり、指導者として起用するにあたり非難を浴びることが多い。実際に数々の不遜な言動と犯罪行為により巨人とは事実上の絶縁状態、西武とは法廷闘争にまで至っている。以下に指導者時代に起こした不祥事の数々を一部ではあるが列挙していきたい。
- 彼のコーチとしての代名詞・アーリーワークであるが、西武コーチ時代にはあくまでも自主練習扱いであるにも関わらず一部の主力を除く投手を含む若手選手について出席を強制し、遅刻すると罰金という制度まで導入した。罰金は球団の物とはせず大久保個人が管理・使用するという横領行為も発覚している。大久保の弁によれば後に食事会を開いてその分を返済するつもりであったという。なお前述のようにアーリーワークに投手の出席も強制させるなど打撃コーチであるにもかかわらず管轄外の投手にも口出しするなど越権行為も目立った。
- 前述の事もあり特に外国人選手と対立することが多く、その最たる例としてクレイグ・ブラゼルは大久保を名指しで批判し一旦アメリカに帰国していった。(後に阪神入団)
- 2008年に日本一となるなどの実績を買われ翌年以降の契約を取り付けるが、11月に知人の女性に暴行をしたと発覚、書類送検された。後に登板日漏洩、隠し子騒動など様々なスキャンダルが相次いで週刊誌などに報じられると12月にコーチ職を解任され編成部プロ担当に降格した。なお暴行事件ではその後東京簡裁により罰金刑の判決が下されている。
- 2012年の楽天の一軍打撃コーチ就任後にも若手投手に対して度が過ぎた指導をしていたことが発覚、投手コーチ佐藤義則・監督の星野仙一と口論となりこの後二人とは確執が生じることとなる。
- 2014年の沖縄・久米島で行われた二軍キャンプにて、大久保のノックを受けていた柿沢貴裕が脱水症状を起こして心臓マッサージを受けるという事態を招き、球団から厳重注意を受けている。
- 2015年には一軍の監督に就任するも、オーナー・三木谷浩史による介入を招く事態に陥らせた。これは大久保が楽天入団以前に積み重ねてきた不祥事により事実上プロ野球界から追放されていたのを救った三木谷には立場上強く出られなくなったということに起因する。
人物・主なエピソード
現役時代には斎藤雅樹に対し「1点くらい取られても別にいいじゃないですか!」と励まし、斎藤も「デーブの言葉には何度も助けられた」と語り、自身も「僕のいいところは明るいところだけ、それだけはなくさないようにしたい」と話している。
- タレント時代のエピソードとして有名な話を1つ。 バラエティ番組「笑っていいとも!」に出演した際、罰ゲームで青汁を飲むことになったが「俺飲めねーよ!」と断固拒否。当然客から大ブーイングを受けるが「お前は飲めるのかよ!」と客に逆ギレしそのままCMに。これに苦情電話が殺到したらしく、番組エンディングでは謝罪しつつにこやかに飲み干したが、手に持っていたのは紙コップだったので本当に青汁が入っていてそれを飲み干したのかは定かでない。
- 埼玉西武において打撃コーチとして実績を残したという声もあるが、これは当時メジャーリーグにてプレーしていた松井稼頭央の個人トレーナー・西武OBの熊澤とおるを自らの補佐として招聘したことが大きいと言われている(アーリーワークも彼の発案に大久保が乗っただけとも)。打撃コーチとして実務を担っていたのは熊澤であり、事実大久保が一連の騒動でコーチ職を外れると代わってその職に就き2011年まで在籍し、西武打撃陣の成績向上に大きく寄与した。一軍での出場経歴がなくコーチとしても全く無名の熊澤を抜擢したというのは大久保の功績だが、本人はただの飾りではないかと批判される向きもある。
- 2004年の球界再編騒動の際、近鉄バファローズに対して「近鉄はプロにギリギリのチームだったから客を呼ぶことが出来なかった」と発言、近鉄のOB会の会長であった関根潤三を怒らせている。
- 2008年5月7日の試合で片岡易之がダルビッシュ有からサヨナラヒットを打ったとき、喜びすぎて両足を肉離れをしたことがある。
- 2015年、ホーム最終戦のスピーチでは自身が翌年から開く予定の居酒屋を宣伝。
通算成績
通算:10年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
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NPB | 303 | 696 | 635 | 75 | 158 | 41 | 100 | 1 | 1 | 4 | 45 | 11 | 147 | 15 | .249 | .308 |
監督通算
通算:1年 | 試合 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | |
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NPB | 143 | 57 | 83 | 3 | .407 | Bクラス1回 |
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関連項目
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