大分トリニータとは、日本のサッカークラブである。ホームタウンは大分市、別府市、佐伯市を中心とする大分県全県。
概要
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運営法人は株式会社大分フットボールクラブであり、Jリーグ加盟は1999年。クラブ名は、三位一体を表す英語「トリニティ(Trinity)」とホームタウン名「大分(Oita)」を合わせた造語で県民・企業・行政が一致団結することを表している。ユニフォームはホームが青で、アウェイが白。ホームスタジアムはレゾナックドーム大分(大分スポーツ公園総合競技場 通称:ビッグアイ)。マスコットはニータン(亀)とリッジー(ウサギ)。
1994年に「大分フットボールクラブ」として発足。設立当時は大分FCという名前だったが、その後大分トリニティという愛称がつけられた。
1999年に「大分フットボールクラブ」を設立し、設立されたばかりのJ2に加入。その際、商標登録の問題で「大分トリニティ」から「大分トリニータ」となった。2003年に初めてJ1リーグに昇格。昇格後は残留争いの常連だったが、シャムスカ就任後はナビスコカップ優勝などを経験するなど躍進を遂げるが、スポンサーの撤退によって深刻な経営危機に陥り、多くの主力選手を失ったこともあって成績は低迷。2015年にはJ3降格というどん底も経験。それでもわずか数年でJ1まで返り咲くなど盛り返している。2023年現在、J3リーグ在籍後にJ1リーグへ昇格した唯一のチームである。
育成に定評のあるクラブであり、2014 FIFAワールドカップ・ブラジル大会の日本代表のうち清武弘嗣、西川周作、森重真人の3人がこのチームでプロデビューした選手である(森重のみ下部組織出身ではない)。また、下部組織出身の東慶悟、梅崎司も日本代表に選出されたことがある。
歴史
クラブ創設からJリーグ加盟
1994年に「大分FC」として発足。大分トリニティという愛称が付き、翌年には九州リーグに昇格。さらにチーム発足からわずか2年後となる1996年には全国地域サッカーリーグ決勝大会で2位に入り、JFL(旧JFL)昇格を果たす。当時のチームには皇甫官、崔大植など元韓国代表選手が所属しており、アマチュアの大会では圧倒的といえる戦力を有していた。
1999年1月に運営法人となる株式会社大分フットボールクラブを設立。チーム名を「大分トリニータ」に改称しJリーグへ加盟。この年から発足したJリーグディビジョン2(J2リーグ)に参入する。監督には石﨑信弘が就任。
天国と地獄
J2リーグでは初年度からJ1昇格争いに加わるものの、1999年、2000年と2年連続で2位との勝ち点差わずか1の3位でJ1昇格を逃す。2001年には昇格の切り札としてベルギー代表として3度のワールドカップ出場を経験したロレンツォ・スターレンスが加入。しかし成績不振によって石﨑監督は解任となる。後任の小林伸二監督のもとで昇格争いに加わるまで持ち直すが、結局6位に終わる。
2002年は小林伸二監督の掲げた堅守速攻のスタイルを武器に首位を独走。サンドロ、浮氣哲郎の補強によってセンターラインが安定し、エースのウィルが22ゴールの活躍を見せたことでJ2リーグ優勝と悲願のJ1リーグ昇格を果たす。
初のJ1となった2003年だったが、開幕戦で千葉に大敗。得点源のウィルが引き抜かれたことが影響し得点力不足で勝ちきれず、最終節に仙台との直接対決をドローで乗り切りどうにか残留した。なお2ndシーズンのリーグ最少失点で、最小失点で最下位という珍記録を達成した。
2004年はオランダ人のハン・ベルガーが監督に就任。1stステージこそ10位とまずまずの成績だったが、2ndステージは得点力不足に陥り、最下位と低迷。鳴り物入りで加入した元オランダ代表のリチャード・ビチュヘもわずか9試合のみの出場で退団。
この年、メインスポンサーだったペイントハウスが撤退。以降、クラブは経営難に陥る。
2005年にチームは大分で活躍した皇甫官をヘッドコーチから昇格させチームの建て直しをはかるものの、開幕当初から神戸との熾烈な最下位争いを演じ、皇甫官監督は辞任した。
降格が現実的になる中、ペリクレス・シャムスカが新監督として就任。就任会見で残り12試合で勝ち点18という22試合で勝ち点19しか取れていない大分には無理ゲーとも思える目標を設定するも、いきなり浦和レッズとのアウェーを勝利で乗り切った。その後の強豪から勝ち点を奪い、目標だった勝ち点18を8試合で達成し、最終的には11位と見事に立て直しに大成功した。
また、優勝争いをするチームから勝ち点を奪っていったため、優勝争いを盛り上げる一因となった。そのチームの変貌ぶりに「シャムスカ・マジック」と言われるほどだった。
2006年はマグノ・アウベスや吉田孝行ら主力の大半が移籍していくものの、エジミウソンとトゥーリオのボランチコンビが攻守に渡ってチームの要となり、西川周作や梅崎司ら若手が活躍。過去最高順位である8位と大きな飛躍を遂げたシーズンとなった。また、この年はチーム創設以来初めて梅崎、西川、高松大樹の3人が日本代表に招集され、チームのさらなる発展が期待されるのだった。
2007年シーズンはボランチコンビの放出が響き、残留争いに巻き込まれるものの、半年ぶりにエジミウソンがチームに復帰するなどシーズン途中での大型補強が成功しどうにか残留させた。
2008年は前シーズンでの無理な補強がチームの財政事情を苦しめ、梅崎ら主力を放出したが、何故か高給の家長昭博やウェズレイ、森島康仁を獲得した。この年、エジミウソン&ホベルトのボランチコンビと上本大海・森重真人・深谷友基の3バック、そしてGK西川周作との連携は成熟されリーグトップレベルの堅守を見せ、カメナチオとも呼ばれ、総失点数はJ1過去最少失点を記録。得点数はリーグワースト2位だったものの、金崎夢生のブレイクという明るい材料もあった。結果、終盤まで優勝争いに加わり、過去最高順位を大きく更新する年間4位でシーズンを終える。
また、ナビスコカップでも自慢の堅守を武器に初の決勝へ進出。決勝でも清水を相手に2-0で完封勝利。この結果、チーム初、そして九州のJリーグチーム初のタイトル獲得という偉業を成し遂げる。
2009年は、パンパシ杯を兼ねた遠征により満足にフィジカルの練習ができず、加えて国体明けで九州石油ドームのピッチの芝の状態が最悪だったためJ1で大きく出遅れることとなり、14連敗という記録を達成してしまう。成績不振を理由にシャムスカ監督は7月に解任となる。
後任にランコ・ポポヴィッチ監督が就任し、15連敗はなんとか回避。その後10戦負けなしと復調にも成功し最下位脱出するが、降格圏脱出はならずJ2リーグが降格が決定。更には、シーズン途中で親会社の無い地方クラブにおいて大きな収入源である10億単位のスポンサーを失ってしまうなど、最悪なシーズンだった。ただ、規定により残留する順位だったとしても降格は免れなかった。チームがバラバラじゃねえか。
その後は後述する溝畑宏社長の杜撰な経営が発覚し、チームは存続の危機に陥った。
0からのスタート
J2に戦いの舞台を移した2010年は皇甫官が監督として復帰。だが、前年に発覚した経営危機の余波を受ける形で西川、森重、金崎ら主力の多くの放出を余儀なくされる。大幅な若返りもあり、連勝もあったがひとたびトンネルに嵌まると抜け出せない事態に陥る。一時は11試合勝ちなしなど低迷し、19チーム中15位に終わる。運営の方も、資金がショートしかけ、県からの融資でどうにか乗り切ったほどだった。
2011年に清水エスパルスのコーチだった田坂和昭が新監督として就任。毎年恒例となった経営危機の影響で東慶悟や菊池直哉、藤田義明ら主力を放出。他チームで試合に出れない若手やトライアウトの選手で補強した。その結果12位で終えたものの、「前俊を諦めない」田坂監督の指導をうけた前田俊介やデカモリシこと森島康仁が自己最多ゴールを達成、コンバートされた選手が活躍するなど大分サポーターには翌シーズンの昇格を大いに期待させてくれるシーズンとなった。
2012年はいつも通り主力を放出。前俊?諦めました。札幌でも頑張ってね。しかし、放出は最小限に止め、C大阪から3選手をレンタルするなど多くの若手選手や、トライアウトで元代表の村井らの獲得に成功。
融資された3億円についても大分県民からの一億円以上の募金が集まり、地元財政からも2億円、総額3億3306万1323円が集まり、無事に融資返済に成功。融資返済を条件とされていたJ1クラブライセンスを獲得しJ1昇格の準備を整えた。下位相手に取りこぼすことはあったものの。18節以降はプレーオフ圏内から一度も落ちること6位でシーズンを終え、同年から開催されるJ1昇格プレーオフに足を進めた。
このプレーオフでJ2・3位の京都サンガを相手に森島康仁の4得点で4-0と圧勝。続く国立競技場でのプレーオフ決勝・ジェフ千葉戦には一万人以上の大分サポーターが大分からかけつけチームに声援を送った。試合は雨のピッチに対応できず千葉に終始押されるものの、勝利が昇格への必須条件だった大分は高松大樹や林丈統らを投入し2バックにした0-0で迎えた後半41分、かつては降格を決定させるゴールを決めた林がDFラインを抜け出しループシュートで1-0とした、その後、泣きながら応援するサポーターの声援に答えるように、オーロイを投入した千葉の猛攻を凌ぎきり、4季ぶりのJ1昇格となった。チームがまとまってるじゃねえか。
試合終了後のコメントでは田坂監督や森島、宮沢らが涙を流し、サポーターや大分県民にチームを見捨てないで、支えてくれたことに感謝を意をつたえた。
こうして迎えた2013年、4年ぶりのJ1は苦しい試合が続いた。初勝利は開幕から2ヶ月経った第12節まで待つこととなり、終わってみればJ1史上最小の年間2勝、おまけにホームではリーグ戦・ナビスコカップ含めて未勝利という厳しい結果が待っていた(2013年のホームでの勝利は天皇杯でのHOYO大分戦のみ)。天皇杯で初めてベスト8にコマを進めたものの、観客動員は最盛期の半分程度にとどまってしまった。
融資は返済したものの、溝畑が残した借金はまだまだ残っており、苦しい戦いが続くが大分サポーターはあきらめず支えていって欲しい。いや、マジで支えて下さい、お願いします。
J1からJ3へ
4年ぶりにJ1に戻ってきた2013年だったが、チーム得点王の三平和司のレンタル延長ができず退団。チームの核を失った状態でJ1をまともに戦えるはずもなく、シーズン初勝利が開幕から2ヶ月以上経過した5月18日のJ1第12節・新潟戦まで掛かるなど終始低迷。第8節で最下位となって以降は順位を浮上させることができず、10月5日の第28節C大阪戦に0-2で敗れたことで、リーグ戦6試合を残し1年でのJ2降格が決定した。シーズンわずか2勝はJリーグのワースト記録となった。さらにホームゲームは未勝利だった。
わずか1年でJ2に戻ってきた2014年は田坂監督がまさかの続投。極端に成績を落とすことは無かったものの順位を3位以上に付けることができず、プレーオフ圏内を争う第2グループに位置し続けていた。しかし、あと一歩届かず7位に終わり、1年でのJ1復帰を逃す。
そして、悪夢の2015年。戦術浸透の失敗や補強の失敗によって開幕から低迷。第16節の時点で2勝5分9敗で最下位となった時点でフロントはここまで引っ張り続けてきた田坂監督をついに解任する。しかし、ここで後任監督の招聘がうまくいかず、結局監督代行だった柳田伸明がそのまま監督を引き継ぐことになる。監督経験の無い柳田監督にこの困難な状況を変えるのは流石に無理があり、不安定なチーム状況のまま21位でリーグ戦を終え、J2・J3入れ替え戦に出場する事となった。
入れ替え戦ではJ3・2位の町田を相手に2試合トータル1-3で敗れ、2年前までJ1に居たチームはJ3リーグ降格という最悪の結末を迎える。
J3からJ1へ
初のJ3での戦いとなった2016年、片野坂知宏が監督に就任。前年から主力を含め13人が退団し、大幅にメンバーが入れ替わることとなった。厳しい台所事情の中、片野坂監督はルーキーの岩田智輝や2年目の福森直也、姫野宥弥らを主力に定着させる。それでもけっして平坦な道のりではなく、第19節の時点で首位栃木SCとの直接対決に敗れ、勝ち点差9をつけられていた。しかし、ここから片野坂監督が失点リスクを抑えた相手対策重視の戦法に切り替えたことが功を奏し、第20節から最終節まで9勝1分1敗の成績を残し、第29節で首位に浮上。この結果、J3リーグ優勝と1年でのJ2リーグ復帰を果たす。
このシーズンを最後に2000年から在籍していた「ミスター・トリニータ」高松大樹が現役を引退。引退後は大分市議会議員に転身している。
J2に戻ってきた2017年は、J2残留を視野に勝ち点45を目標に掲げながらも目標より勝ち点を積み上げることになる。終盤までJ1昇格プレーオフ争いに加わり、最終的に9位でシーズンを終え、勝ち点は目標を大きく上回る64まで伸ばした。
片野坂体制3年目となる2018年、ボールを回しながら相手の隙を探す作業に特化したスタイルへと進化するようになり、プレスのかけ方や、ポジション取り、ボールを奪った後の動きなど緻密な約束事が徹底されるようになった。こうした片野坂監督の独自のスタイルは「カタノサッカー」と呼ばれ注目されるようになる。ゲームプラン・コンビネーション・コンディションの3つの基準の元、対戦相手毎にメンバーを入れ替えるという手法をシーズン通して貫き、シーズンを2位で終え、2年前はJ3まで転落したチームが6年ぶりにJ1リーグへ返り咲くこととなった。特筆すべきは得点力の高さで、得点数76はリーグ最多を記録。さらに馬場賢治、藤本憲明、三平和司、後藤優介と4人がリーグ戦10得点以上を記録している。
カタノサッカーの挑戦
J1での戦いとなった2019年はオナイウ阿道、伊藤涼太郎ら前年のJ2リーグで活躍した選手を中心に補強し、さながら「J2オールスターズ」とも言える陣容となった。開幕前の予想では多くの識者がJ2降格候補と予想していたが、開幕戦で鹿島を相手に勝利すると、カタノサッカーはJ1でも通用することを証明。特にビルドアップの起点となるGKの高木駿はチーム戦術の象徴的なプレイヤーとして注目される。結果。目標に掲げた「勝ち点45」を3試合残して達成するなど、一度も残留争いに巻き込まれることなく9位でシーズンを終える。
2020年は新型コロナウイルスに伴う長期中断、そしてリーグ再開後は過密日程を強いられたこともあり怪我人が続出し5連敗を喫するなど序盤戦は低迷。しかしその後はチームは復調し、残留争いに巻き込まれることなく2年連続の中位フィニッシュとなる11位でシーズンを終える。
2021年は鈴木義宜、岩田智輝、田中達也といった中心選手が一気に流出。その穴を埋めきれない形となり、片野坂監督の戦術がすっかり研究されたことも重なり、序盤から7連敗を喫するなど降格圏に低迷する。降格圏を1度として脱するには至らず、第36節・鹿島戦をドローで終えると他会場の結果により、2試合を残してJ2降格が決定。この結果を受け、6年間でチームをJ3からJ1まで引き上げた片野坂監督の退任が発表される。
天皇杯では、準優勝でJリーグ王者・川崎を下す番狂わせを起こし、九州のJリーグチームとしては初の決勝進出を果たす。しかし、決勝の浦和戦では試合終了間際に同点に追いついたものの、直後に槇野智章にゴールを決められ惜しくも準優勝となる。
ちなみに片野坂体制の6年間では各カテゴリーで毎年フェアプレー賞を受賞している。
遠のくJ1復帰
4シーズンぶりにJ2で戦うこととなった2022年は下平隆宏が監督に就任。例年と比べると主力選手の流出を最小限に留め、1年でのJ1復帰を目標に掲げるが、ルヴァンカップ出場による過密日程に苦しめられることとなり、前半戦は10位で折り返す。後半戦は日程に少し余裕が出たことや若手の成長により調子を上げ、10戦負けなしを記録するなど10勝8分3敗の成績を残し、シーズンを5位で終え、J1昇格プレーオフに回る。
プレーオフでは1回戦で4位の熊本と2-2で引き分け、規定により敗退。1年でのJ1復帰は果たせなかった。
下平体制2年目の2023年は例年通りメンバーが大きく入れ替わることになるが、開幕3連勝を皮切りに、FC町田ゼルビアと首位争いを繰り広げる。前半戦はほぼトップ3を維持し、2位で折り返すなど自動昇格に期待が集まっていた。しかし夏場になると調子を落とし、静岡勢が調子を上げてきたことでプレーオフ争いに目標を下方修正することになる。それでもチーム状態は上向かず、第41節で最下位のツエーゲン金沢と引き分けたことでプレーオフ進出の望みは完全に消滅。9位に終わり、下平監督は退任となる。
カタノサッカー第2章
2024年は片野坂知宏が監督に復帰。だが、主力級の選手が多く抜けた影響もあって勝ち切れない試合が続き、前半戦は11位と中位に留まる。後半戦に入ってもチーム状態は上向かず、夏場になるともはやPO進出ではなくJ2残留が目標となっていた。第36節の秋田戦に勝利したことで残留を決め、最終的に16位でシーズンを終えたが、総得点数はリーグワースト2位であり、下位チームが揃って勝ち点を積み上げられなかったことに助けられたことは否めなかった。
おもなタイトル
国内タイトル
個人タイトル
おもなエピソード
チームがバラバラじゃねえか
2009年、J1第4節、埼玉スタジアム2002から事件は起こった。
対戦相手は浦和レッズ。前半42分に浦和相手にオウンゴールで自滅し、この試合を0-1で終えてから大分の連敗生活が続く・・・。
続く第5節、J1初昇格のモンテディオ山形相手に0-1での完封負け。この後もヴィッセル神戸に2-3と競り負けるなど、非常に苦しいリーグ戦となる。
次第に連敗が続き、いつの間にかJ1戦9連敗となっていた。しかし、ナビスコカップ第3戦(浦和戦)でようやく1-1でJ1の連敗を止めたものの、リーグ戦の連敗は続くのであった・・・。
J1リーグ戦第13節、九州石油ドームで行われたサンフレッチェ広島戦で0-1と競り負け、遂に連敗が「10」と二桁に達成。
ナビスコカップもずっと引き分けでいたが、7戦目(新潟戦)でようやく2-1と勝利し、希望が見えてきたかのように見えた。
しかし、その後もリーグ戦では連敗し、第16節のジェフユナイテッド千葉戦で1-2と競り負けて連敗記録を「13」に伸ばしていった・・・。
このまま連敗すると、1996年当時にJリーグ参戦1年目の京都サンガが作った開幕17連敗の連敗記録と並んでしまうことになってしまう。
連敗記録は14でストップしたが、1996年の京都の連敗は13敗目、14敗目が延長戦による敗戦である。そのため90分間での連敗記録保持者となってしまった。
サポ「チームがバラバラじゃねえか」
高松「みんなちゃんとまとまってるよ」
サポ「やる気あんのか!」
上本「次は絶対勝つ」
サポ「その言葉、信じていいんだな」
上本「次は絶対勝つ!」
サポ「トーリニータ(大合唱)」
スポンサー
スポンサーに恵まれておらず、胸スポンサーとなる企業は大抵何かしらの問題を抱えていることがほとんどである。09年にはゴール裏にサポーターからの抗議の横断幕が出される事態にまで発展した。
- 98年:朝日ソーラー(強引な販売)
- 99年~04年:ペイントハウス/ペンタくん(倒産)
- 04年:トライバルキックス(スポンサー料未払い)
- 05年~06年:マルハン(パチンコ)
- 09年:フォーリーフジャパン(マルチ)
ブラック企業が胸スポになった場合、大分だけでなくJリーグの評判そのものが悪化する。本当にJリーグが好きな人達は、大分がマトモな企業とスポンサー契約する日が来ることを願っていた。
そしてついに2011年、ダイハツの系列企業であるダイハツ九州とのスポンサー契約が締結され、サポーターの念願が叶うこととなった。ありがとうダイハツ九州。
財政問題
彼は、東大卒で自治省というエリートだったが、大分県庁に出向した際にワールドカップ招致に関わり、大分トリニータの取締役に就任した。ナビスコカップ優勝やJ1で大きく飛躍させたり、大分での仕事に専念するために公務員を辞める、妻子とも別れ、退職金も大分に注ぐだけでなく、自ら営業をかけ多くのスポンサーを獲得するなどと凄い奴だと、ある事件が発覚するまで大分サポータも誰もが思っていた。
2009年に杜撰な経営が露呈し、赤字が11億、債務超過は5億以上となった。Jリーグ史上初となる融資申請を行い、初めは2億といっていたが調べてみると4億不足しており、合計6億円が融資してもらうこととなった。その後、溝畑は引責辞任した。が、その後調べてみると債務超過は9億以上あることが判明した。
ただ、この時点ではそんなサポーターも批判はするものの、溝畑の行動力があったからこそ、ワールドカップの招致を成功させ、クラブの躍進させた功労者と評価していた。そんな中をサポーター激怒させるニュースが東京から飛んできた。引責辞任してひと月あまりで観光庁長官に就任という仰天人事である。これは前原誠司国土交通大臣から連絡があったといわれているが、あからさまなお友達人事である上に、就任理由が地方のチームを日本一にしたから」というふざけた理由だった。
当然、大分サポーターは激怒した。また、大分県知事の広瀬氏も激怒し、「責任を追及されることからも逃げた挙句、こんなふざけたことする奴は二度と大分の地を踏ませない」とまで言い放った。
その後調べてみると、粉飾決済まがいの会計操作や、次シーズンの補強費を独断でつかったり、自分に意見してくる職員や役員を排除し、イエスマンばかりを集めた役員会をつくったりとかなり好き勝手やっていた事が判明。高額年棒の選手も獲得するだけでなく、財政破綻間近となっても主力の放出をしようとせずJ1に一年するなどと無茶苦茶な事をしていた。
また、そういった手法のため大分県サッカー協会とは疎遠になっただけでなく、あまりのワンマンぶりに人間関係のトラブルも多く、自治体ともトリニータと距離ができていた。スポンサーに対しても役人気質の横柄な態度が多く、スポンサーが付いては離れを繰り返す要因となっていた。
大分サポーターは言いづらいことだが、溝畑が連れてくるスポンサーは前述される通り問題がある企業も多かった。破綻後の第三者委員会で調べた所、怪しい金融機関からお金を借りていたり、役員報酬の水増し、出張費のネコババ、用途不明金の存在が発覚した。更には韓国マネーが見え隠れしており、怪しい事例ばかりだった。その結果クラブを倒産させたが、経営責任は不問となり。役員報酬の返還で手打ちとなった。
その後、彼の事を書いた本が出版された。彼が大分のためにどれだけ尽力していたかが書かれているが、見方が溝畑寄りで偏っており公平とも言えない内容である。また、彼の主張としては「あんな地方クラブを飛躍させるのは大変なんだぞ」ということだが、甲府を代表する地方チームでも経営には成功しており、彼の主張は受け入れられるものではない。ただ、この本の利益は全額大分に入ることになっているので、興味がある人は買って下さい。
ただ、溝畑だけの責任だけでなく、身の丈経営を無視した当時の経営陣全体の責任でもある。ちなみに溝畑の観光庁長官としての実績は韓国国歌を歌ったり、人を呼ぶためと(一部の国に対して)入国ピザを緩和したりと相変わらず批判されることをやらかしている。
その後は大分県がスタジアム使用料を免除するだけでなく、追加融資を行い、融資された5億円のうち2億円を返済した。ただ、サッカーばかりを融資するやり方に批判も多いが、大分が破産するとスタジアムが不良債権となるだけでなく、安定して客をよべるサッカーというコンテンツ維持のためには仕方のないことでもあった。ただし、県からの委託を受けた経営コンサルタントの精査による結果、チーム清算・スタジアムごと解体とした場合が最も県の財政にとって負担とならないといった判定があったことも事実である。
2012シーズンから開始されたクラブライセンス制度により残り3億円の融資を完済しない限りJ1に昇格ができなくなった。そこで、クラブは5月に寄付を募った。その結果、1億2380万を集める事ができ、地元財政界や行政もそれに応えるように合計2億の支援を行った。そのかいあって、無事にクラブライセンスは交付され、プレーオフ圏内の6位でシーズンを終えた。プレーオフでは1万人を超えるサポーターが駆けつけ、勝利が必須条件のなか、無事に昇格を果たした。
昇格した際は、財政難のため泣く泣く放出した、元大分トリニータの清武や西川、ポポヴィッチ元監督、元取締役社長の溝畑宏などがお祝いのメッセージを送った。
フロント陣には色々と問題があるチームだが、上記の清武、西川、上本、ポポビッチ監督などは給料が減っても大分残留を希望していたようにチームの雰囲気は非常に良く、サポーターとの距離も近い。シャムスカ監督曰く、関アジ、豊後牛や鶏天といった美味しい食べ物、温泉などオフのリラックスに最適な場所あり、選手にとっては理想的な場所らしい。J2に落ちても集客数はJ1時代に比べると激減したものの、J2ではトップクラスだった。他に娯楽がない?事実だけどそんなこと言うな。
現在の所属選手
背番号 | Pos. | 国籍 | 選手名 | 生年月日 | 加入年 | 前所属 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
- | 監督 | 片野坂知宏 | 1971.4.18 | 2024 | ガンバ大阪 監督 | 【新】 | |
2 | DF | 香川勇気 | 1992.7.2 | 2020 | V・ファーレン長崎 | ||
3 | DF | デルラン | 1996.2.3 | 2023 | グアラニFC | ||
4 | DF | 薩川淳貴 | 1997.8.12 | 2024 | 鹿児島ユナイテッドFC | 【完】 | |
5 | MF | 中川寛斗 | 1994.11.3 | 2022 | 京都サンガF.C. | ||
6 | MF | 弓場将輝 | 2002.5.13 | 2021 | 大分トリニータU-18 | 【H】 | |
7 | MF | 梅崎司 | 1987.2.23 | 2021 | 湘南ベルマーレ | 【H】 | |
8 | MF | 町田井真人 | 1989.12.19 | 2020 | 松本山雅FC | ||
9 | FW | サムエル | 2000.12.27 | 2022 | ECヴィトーリア | ||
10 | MF | 野村直輝 | 1991.4.17 | 2020 | 徳島ヴォルティス | ||
11 | FW | 渡邊新太(C) | 1995.8.5 | 2021 | アルビレックス新潟 | ||
13 | FW | 伊佐耕平 | 1991.11.23 | 2014 | 大阪体育大学 | ||
14 | MF | 池田簾 | 1997.11.10 | 2023 | FC琉球 | ||
15 | FW | 屋敷優成 | 2003.5.18 | 2020 | 大分トリニータU-18 | 【H】 | |
16 | MF | 茂平 | 1993.4.14 | 2023 | ブラウブリッツ秋田 | 【H】 | |
17 | DF | 羽田健人 | 1997.7.5 | 2019 | 関西大学 | ||
18 | MF | 野嶽惇也 | 1994.9.11 | 2021 | 鹿児島ユナイテッドFC | ||
19 | MF | 小酒井新大 | 2001.9.21 | 2024 | 中京大学 | 【卒】 | |
20 | FW | 木許太賀 | 2005.6.13 | 2022 | 大分トリニータU-18 | 【昇】【H】 | |
21 | FW | 鮎川峻 | 2001.9.15 | 2023 | サンフレッチェ広島 | ||
22 | GK | ムン・キョンゴン | 1995.2.9 | 2024 | 金泉尚武FC | 【完】 | |
23 | DF | 小野俊輔 | 2005.6.8 | 2022 | 大分トリニータU-18 | 【昇】【H】 | |
24 | GK | 西川幸之介 | 2002.5.11 | 2021 | 藤枝東高校 | ||
25 | DF | 安藤智哉 | 1999.1.30 | 2023 | FC今治 | ||
26 | MF | 保田堅心 | 2005.3.15 | 2022 | 大分トリニータU-18 | 【H】 | |
27 | DF | 松尾優佑 | 2000.6.27 | 2022 | 関西大学 | ||
29 | FW | 宇津元伸弥 | 2000.3.29 | 2021 | 宮嵜産業経営大学 | ||
30 | DF | 高橋祐翔 | 2001.9.19 | 2020 | ヴェロスクロノス都農 | 【H】 | |
31 | DF | ペレイラ | 1997.1.31 | 2021 | アトレチコ・ゴイアニエンセ | ||
32 | GK | 濱田太郎 | 2000.2.21 | 2022 | AC長野パルセイロ | 【復】 | |
33 | MF | 宮川歩己 | 2002.7.25 | 2024 | 順天堂大学(在学中) | 【特】 | |
34 | DF | 藤原優大 | 2002.6.29 | 2024 | FC町田ゼルビア | 【レ】 | |
35 | MF | 佐藤丈晟 | 2004.10.28 | 2022 | 大分トリニータU-18 | 【H】 | |
36 | MF | 松岡颯人 | 2005.4.14 | 2023 | 大分トリニータU-18 | 【昇】【H】 | |
37 | FW | 木本真翔 | 2003.9.22 | 2024 | 日本経済大学(在学中) | 【特】 | |
39 | MF | 有働夢叶 | 2002.12.8 | 2024 | 中京大学(在学中) | 【特】 | |
41 | FW | キム・ヒョンウ | 2001.10.10 | 2024 | 常葉大学 | 【卒】 | |
42 | MF | 小野誠竜 | 2007.1.15 | 2024 | 大分トリニータU-15 | 【2】 | |
43 | DF | 矢野想羽 | 2006.4.9 | 2024 | FC SOLUNA | 【2】 | |
44 | DF | 吉田真那斗 | 2001.11.16 | 2024 | 横浜F・マリノス | 【レ】 | |
48 | GK | 古野優斗 | 2006.8.22 | 2024 | 飯森中学校 | 【2】 | |
51 | GK | 南拓海 | 2006.10.3 | 2024 | 大分トリニータU-15 | 【2】 | |
52 | GK | 平野稜太 | 2008.2.7 | 2024 | 刈谷ジュニアユース | 【2】 | |
93 | FW | 長沢駿 | 1988.8.25 | 2021 | ベガルタ仙台 | ||
99 | MF | 髙橋大悟 | 1999.4.17 | 2024 | FC町田ゼルビア | 【レ】 |
※備考欄は【完】=完全移籍での加入、【レ】=レンタル移籍での加入、【復】=レンタル先からの復帰、【新】=新任の監督、【昇】=トップチーム昇格、【卒】=新卒での加入、【特】=特別指定選手、【2】=2種登録、【H】=ホームグロウン選手
過去に所属したおもな選手
|
|
歴代監督
国籍 | 監督名 | 在任期間 | 備考 |
---|---|---|---|
文正植 | 1994年~1995年 | ・大分県社会人リーグ優勝(1994年) ・九州サッカーリーグ(1995年) ・旧JFL昇格(1995年) |
|
朴景和 | 1997年~1997年11月 | ||
羽賀康徳 | 1997年11月~12月 | ||
フォルミーガ | 1998年 | ||
石﨑信弘 | 1999年~2001年6月 | J2リーグ参入(1999年) | |
小林伸二 | 2001年6月~2003年 | J2優勝&J1昇格(2002年) | |
ハン・ベルガー | 2004年 | ||
皇甫官 | 2005年~2005年8月 | ||
アーリ・スカンズ | 2005年8月~9月 | 監督代行 | |
ペリクレス・シャムスカ | 2005年9月~2009年7月 | ナビスコカップ優勝(2008年) | |
松山博明 | 2009年7月 | 暫定監督 | |
ランコ・ポポヴィッチ | 2009年7月~12月 | J2降格(2009年) | |
皇甫官 | 2010年 | ||
田坂和昭 | 2011年~2015年5月 | ・J1昇格(2012年) ・J2降格(2013年) |
|
柳田伸明 | 2015年5月~12月 | J3降格(2013年) | |
片野坂知宏 | 2016年~2021年 | ・J2昇格(2016年) ・J1昇格(2018年) ・J2降格(2021年) |
|
下平隆宏 | 2022年~2023年 | ||
片野坂知宏 | 2024年~ |
関連動画
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関連項目
- サッカー
- Jリーグ - Jリーグチーム一覧
- J1リーグ(2003年-2009年、2013年、2019年-2021年)
- J2リーグ(1999年-2002年、2010年-2012年、2014年-2015年、2017年-2018年、2022年-)
- J3リーグ(2016年)
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