大友義右(おおとも・よしすけ 1459~1496)とは、豊後国の守護大名である。大友家17代当主。大友家16代当主・大友政親の嫡男。当初は親豊と名乗り、材親を経て義右と改名した。
概要
大内教弘を外祖父にもち、大内氏の干渉を嫌った父より1484年に家督を継ぐ。大聖院宗心(大友親実、13代当主大友親綱の六男)が父との仲を離間工作で裂き、対立するようになる。1487年に一時和解するが、1489年に叔父・日田親胤の謀叛により宗心の讒言で再び父と対立するようになる。
1493年に明応の政変が中央で起きると、父は足利義澄派につき、義右は足利義稙派につく。1496年に父が筑紫に出奔するが、その14日後に義右は急死した。父方の家臣による毒殺ともされているが、詳細は分からない。父はこののち大内義興により殺され、家督は叔父・大友親治が継ぐこととなり、その末裔に大友宗麟が出現する。
(当初は1484年生まれで誕生まもなくして父から家督を譲られて13歳で毒殺されていたのが定説だったというが現在では否定されている。)
関連項目
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