大杉久美子(おおすぎ・くみこ、1951年7月10日~)とは、アニメソング・童謡歌手、声優、女優である。
概要
東京都に生まれる。
1964年、柴山モモ子の名で歌手デビュー。当時は中学校に通いながら、歌謡曲の歌手として活動していた。同年にはクラウンレコード主催の「ミスクラウンコンテスト」で優勝する。のちには環ルナと改名し幾枚かの歌謡曲を出すが、全くヒットしなかった。
1968年、精華学園高等学校を卒業。翌年の1969年に『アタックNo.1』の主題歌を歌うと、それが大ヒットする。
以降、日本コロムビアと契約を結び、仕事をアニメソングや童謡にシフトしていった。ただし、日本コロムビアとは専属契約ではなかったようである。近年出演したネットラジオでは「1970年代初頭に、作曲家の三沢郷やマネージャーと一緒に事務所を立ち上げた」と話していたので、そこに在籍していたと思われる。
『世界名作劇場』では1975年『フランダースの犬』から1978年『ペリーヌ物語』まで4作連続主題歌を担当した。これは後にも先にも大杉久美子ただ一人である。(→「大杉久美子メドレー」の項目を参照)
前年(1974年)に放送された『アルプスの少女ハイジ』ではエンディングを担当しているので、通算すれば5作連続関わっていることになる。(ハイジはズイヨーが制作していたため、「世界名作劇場」にはカウントされていない。ハイジの前の「ムーミン」やその他の作品も同様)
『ドラえもんのうた』のオリジナル歌手であり、1979年から1992年まで13年にわたって使われた。その他、挿入歌も数多く歌っている。
1970年代後半から1980年代にかけて起きたアニメブームの際には、水木一郎や堀江美都子と同じように、アニメ雑誌に登場することもあったり、1981年には初の単独ライヴ「ちいさなコンサート」を行った。1979年発行のアニメ雑誌では「澄んだ美声に特色がある」と紹介されていた。
しかし、1980年代後半からその美声が失われていった。出産(1979年)によるものではないか、声優業(1979年)を始めたせいではないか、などの様々な憶測が飛び交っているが、謎のままである。
堀江美都子率いる『アニソン女子部』のライブでは、気さくな性格もあってか毎年行われるオチ役になる事が多い(?)
主な楽曲
- アタックNo.1のうた(『アタックNo.1』OP)
- ジャングル黒べえのうた(『ジャングル黒べえ』OP)
- 幸わせを呼ぶリミットちゃん(『ミラクル少女リミットちゃん』OP)
- エースをねらえ!(『エースをねらえ!』OP)
- まっててごらん(『アルプスの少女ハイジ』ED)
- よあけのみち(『フランダースの犬』OP)
- ドン・チャックといっしょに(『ドン・チャック物語』一期OP)
- 草原の少女ローラ(『草原の少女ローラ』OP)
- 草原のマルコ(『母をたずねて三千里』OP)
- 空いっぱいの夢(『ドン・チャック物語』二期OP)
- ぼくはピコリーノ(『ピコリーノの冒険』OP)
- ポールの冒険(『ポールのミラクル大作戦』OP)
- ロックリバーへ(『あらいぐまラスカル』OP)
- 少年マルス(『ジェッターマルス』ED)
- おおきなくまになったら(『シートン動物記くまの子ジャッキー』OP)
- ぼくらは旅の音楽隊(『風船少女テンプルちゃん』OP)
- ペリーヌものがたり(『ペリーヌ物語』OP)
- 透明ドリちゃん(『透明ドリちゃん』OP)
- ドラえもんのうた(『ドラえもん』OP)
- くじらのホセフィーナ(『くじらのホセフィーナ』OP)
- 3人のうた(『コラルの探検』OP)
- 青春フィーバー(『ドカベン』OP)
- 森へおいでよ(『森の陽気な小人たちベルフィーとリルビット』OP)
- 旅すりゃ友達(『燃えろアーサー白馬の王子』ED)
- ねぇハットリくん(『忍者ハットリくん』ED)
- ちいさいかわのうた(『ミームいろいろ夢の旅』ED)
- わたしが不思議(『映画ドラえもんのび太と鉄人兵団』主題歌)
- ピグコとなかよしミドリちゃん(『ウルトラマンキッズM7.8星のゆかいな仲間たち』ED)
- 魔法のクレヨン(『オズの魔法使い』ED)
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関連項目
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