大正(たいしょう)とは、日本で使われた元号。「明治」の次、「昭和」の前。西暦1912年7月30日から1926年12月25日までの、大正天皇が在位した時代である。
ちなみに西暦2011年は 昭和86年 「大正100年」にあたる。
また、西暦の下2ケタから11を引くと「大正※年」になる。逆に「大正※年」に11を足すと西暦の下2ケタになる。
曖昧さ回避
大正時代概要
大正時代は15年間と、一世一代制の元号の中では現在のところ最も期間が短く、ゆえに影が薄いと言われがちだが、第一次世界大戦や普通選挙法の公布など、短い間に様々なことが起こった時代である。後から考えると、あるいは戦前日本の Belle-Époque であったのかもしれない。
日本において大正時代は政党政治の発展、普通選挙法の成立により、デモクラシーが唱えられ自由主義の風潮が高まった時期であった。また、女性の権利拡大や、下層民の社会的地位向上の動きも始まった。ラジオ放送が開始されるなど娯楽の面も発展。人々は大衆文化(大正浪漫)に集い、映画やラジオなど「文明の利器」に夢中となった。アメリカではテレビが発明された。
大正時代は短いながらも、世界大戦と国際協調。また自由主義が広がって人々が未来に希望を持つ一方で、大戦での多大な被害、関東大震災や米騒動などにより、近代資本主義社会が浸透してゆくなかで、『女工哀史』(大正14年)や『蟹工船』(昭和4年)に描かれるような、都市と農村・資本家と労働者の格差が広がった時代と言えるだろう。
世界の状況
アジアにおいては大正が始まる直前の明治45年2月、清王朝が倒れて中華民国が成立。中国史上はじめての共和制政体が樹立されたが、その実態は軍閥や民主主義・民族主義勢力による群雄割拠で、社会は著しく不安定であった。中国に対し大きな利害関係を持つ日本は、否応なしにこの混乱に巻き込まれていく。
ヨーロッパにおいては大正3年(1914年)、バルカン半島の都市サラエボでオーストリア=ハンガリー帝国(ハプスブルク帝国)の皇太子夫妻が、セルビア人の青年に暗殺される「サラエボ事件」が起きる。報復としてオーストリアはセルビアへ宣戦布告。これを機に、それまで政策などで対立していたヨーロッパ列強が、同盟国側と連合国側に分かれて大きな戦争へと発展する。のちに「第一次世界大戦」と呼ばれるこの近代戦争は、大正7年(1918年)のドイツ降伏まで続き、列強諸国がアジア・アフリカの植民地から兵士を駆り出すなどした結果、全世界で1500万人以上が亡くなるという多大な被害を出した。
戦争の影響で国民の生活が苦しくなりつつあったロシアでは、大正6年(1917年)に「パン・平和・自由」を求めて労働者のストライキなどが続き、彼らの代表会議「ソビエト」が各地に広がった。3月に皇帝が退位し臨時政府ができ、11月には社会主義政府が樹立した。そして大正11年(1922年)、世界初の社会主義国『ソビエト社会主義共和国連邦』が成立した。のちの「おそロシア」である。
第一次世界大戦が終わると、国境の不可侵や軍縮を目指す「国際連盟」が発足。日本・英国・フランス・イタリアの4ヶ国が常任理事国となった。しかし連盟の提唱国であったアメリカは国内世論の反対によって加盟できず、またソ連も設立当初は除外された。その他、列強間では軍縮を目指す会議が開かれた。
敗戦国ドイツではハイパーインフレが続き、10年間で1兆倍という凄まじい事態となった。日本円で説明すると、100円均一が100兆円均一になるということである。当然のことながらドイツ国内は社会不安に陥り、この状況の打破を目指す過激な政治勢力を生み出すことになってしまった。のちの「総統閣下シリーズ」である。
大戦後の世界は、軍縮などにより国際協調の時代に突入するかと思われたのだが、そうはならなかった。昭和に入ると、2度目の世界大戦に向け歴史は動き始めるが・・・それはまた別の話。詳しくは昭和などを参照。
文化
この頃に日本で初めてエレベーター、エスカレーターが導入されている。
スポーツ方面では、東京箱根間往復大学駅伝競走、通称「箱根駅伝」が大正9年から開始している。
メディア部門では、関東大震災により既存の新聞社が凋落し、その代わりに朝日新聞・毎日新聞・読売新聞の三紙が急成長。現代まで続く大手新聞社の基礎となった。
経済
貨幣単位は「圓」(円)が用いられている。当時の「一円」は現代価格における「4000~5000円」になる。 [1]
大正期に創業 or 設立された企業
- 大正製薬所 (のちの大正製薬)
- ジャパン・ツーリスト・ビューロー (のちのJTB)
- 宮本製菓所 (のちのカンロ)
- 家具の大正堂 (ルームズ大正堂)
- 林内商会 (のちのリンナイ)
- 日本活動冩眞株式會社 (のちの日活)
- 西武鉄道
- 日窒化学工業 (のちの旭化成)
- 小松鉄工所 (のちの小松製作所)
- 大阪北港株式会社 (のちの住友商事)
- 大塚製薬工場 (のちの大塚製薬)
- 醍醐味合資会社 (のちのカルピス)
- 食品工業株式会社 (のちのキユーピー)
- 日本クレイヨン商会 (のちのサクラクレパス)
- 伊藤英夫商店 (のちの昭和産業)
- 市川兄弟商会 (のちの象印マホービン)
- 谷田賀良倶商店 (のちのタニタ)
- 米沢人造絹糸製造所 (のちの帝人)
- 寺西化学工業所 (のちの寺西化学工業)
- 赤線検温器株式会社 (のちのテルモ)
- 株式会社白木屋呉服店 (のちの東急百貨店)
- 東洋経済新報社
- 小川春之助商店 (のちのトンボ鉛筆)
- 日本無線電信電話 (のちの日本無線)
- 浦上商店 (のちのハウス食品)
- 株式会社並木製作所 (のちのパイロットコーポレーション(PILOT))
- 東京家政研究会 (のちの主婦の友社)
- 東京菓子株式会社 (のちの明治製菓)
- 野田醤油株式会社 (のちのキッコーマン)
- 大阪野村銀行 (のちのりそな銀行)
- 大阪野村銀行 (のちの野村證券)
- 株式会社髙島屋呉服店 (のちの髙島屋)
- 株式会社三菱銀行 (のちの三菱UFJ銀行)
- 日本精工合資会社 (のちの日本精工)
- 桃屋商店 (のちの桃屋)
大正時代の年表
大正時代の内閣
代 | 総理大臣 (在職期間 ) | |||||
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14 480日 |
侯爵 西園寺公望 [ 第2次 ] 1911年(明治44年)8月30日 ~ 1912年(大正元年)12月21日 (立憲政友会総裁 貴族院議員) |
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外務 | 子爵 内田康哉 | 大蔵 | 山本達雄 | 内務 | 原 敬 | |
陸軍 | 大将 石本新六 (~12.4) 大将 上原勇作 |
海軍 | 大将 斎藤 実 | 司法 | 松田正久 | |
文部 | 長谷場純孝 | 農商 | 男爵 牧野伸顕 | 逓信 | 伯爵 林 董 | |
書記 | 南 弘 | |||||
15 62日 |
公爵 桂 太郎 [ 第3次 ] 1912年(大正元年)12月21日 ~ 1913年(大正2年)2月20日 (陸軍大将 長州閥) |
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外務 | 公爵 桂 太郎 (~13.1) 男爵 加藤高明 |
大蔵 | 若槻礼次郎 | 内務 | 大浦兼武 | |
陸軍 | 中将 木越安綱 | 海軍 | 大将 斎藤 実 | 司法 | 松室 致 | |
文部 | 柴田家門 | 農商 | 仲小路 廉 | 逓信 | 男爵 後藤新平 | |
書記 | 一木喜徳郎 | |||||
16 421日 |
伯爵 山本権兵衛 [ 第1次 ] 1913年(大正2年)2月20日 ~ 1914年(大正3年)4月16日 (海軍大将 薩摩閥) |
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外務 | 男爵 牧野伸顕 | 大蔵 | 男爵 高橋是清 | 内務 | 原 敬 | |
陸軍 | 中将 木越安綱 (~13.6) 中将 楠瀬幸彦 |
海軍 | 大将 斎藤 実 | 司法 | 松田正久 (~13.11) 奥田義人 |
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文部 | 奥田義人 (~14.3) 大岡育造 |
農商 | 山本達雄 | 逓信 | 元田 肇 | |
書記 | 山之内一次 | |||||
17 908日 |
伯爵 大隈重信 [ 第2次 ] 1914年(大正3年)4月16日 ~ 1916年(大正5年)10月9日 (貴族院議員 肥前閥) |
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外務 | 男爵 加藤高明 (~15.8) 伯爵 大隈重信 (~15.10) 男爵 石井菊次郎 |
大蔵 | 若槻礼次郎 (~15.8) 武富時敏 |
内務 | 伯爵 大隈重信 (~15.1) 大浦兼武 (~15.7) 伯爵 大隈重信(~15.8) 一木喜徳郎 |
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陸軍 | 中将 岡 市之助 (~16.3) 中将 大島健一 |
海軍 | 大将 八代六郎 (~15.8) 大将 加藤友三郎 |
司法 | 尾崎行雄 | |
文部 | 一木喜徳郎 (~15.8) 高田早苗 |
農商 | 大浦兼武 (~15.1) 河野広中 |
逓信 | 武富時敏 (~15.8) 箕浦勝人 |
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書記 | 江木 翼 | |||||
18 721日 |
伯爵 寺内正毅 1916年(大正5年)10月9日 ~ 1918年(大正7年)9月21日 (元帥陸軍大将 長州閥) |
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外務 | 伯爵 寺内正毅 (~16.11) 子爵 本野一郎 (~18.4) 男爵 後藤新平 |
大蔵 | 伯爵 寺内正毅 (~16.12) 勝田主計 |
内務 | 男爵 後藤新平 (~18.4) 水野錬太郎 |
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陸軍 | 中将 大島健一 |
海軍 | 大将 加藤友三郎 |
司法 | 松室 致 |
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文部 | 岡田良平 | 農商 | 仲小路 廉 | 逓信 | 男爵 田 健治郎 | |
書記 | 伯爵 児玉秀雄 | |||||
19 1133日 |
原 敬 1918年(大正7年)9月29日 ~ 1921年(大正10年)11月4日 (立憲政友会総裁 衆議院議員) |
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外務 | 子爵 内田康哉 | 大蔵 | 男爵 高橋是清 | 内務 | 床次竹次郎 | |
陸軍 | 中将 田中義一(~21.6) 中将 山梨半造 |
海軍 | 大将 加藤友三郎 | 司法 | 原 敬 (~20.5) 伯爵 大木遠吉 |
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文部 | 中橋徳五郎 | 農商 | 山本達雄 | 逓信 | 野田卯太郎 | |
鉄道 | 元田 肇 (20.5新設) | 書記 | 高橋光威 | |||
20 212日 |
子爵 高橋是清 1921年(大正10年)11月13日 ~ 1922年(大正11年)6月12日 (立憲政友会総裁 貴族院→衆議院議員) |
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外務 | 伯爵 内田康哉 | 大蔵 | 子爵 高橋是清 | 内務 | 床次竹次郎 | |
陸軍 | 大将 山梨半造 |
海軍 | 大将 加藤友三郎 | 司法 | 伯爵 大木遠吉 | |
文部 | 中橋徳五郎 | 農商 | 男爵 山本達雄 | 逓信 | 野田卯太郎 | |
鉄道 | 元田 肇 | 書記 | 三土忠造 | |||
21 439日 |
男爵 加藤友三郎 1922年(大正11年)6月12日 ~ 1923年(大正12年)8月24日 (海軍大将) |
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外務 | 伯爵 内田康哉 | 大蔵 | 市来乙彦 | 内務 | 水野錬太郎 | |
陸軍 | 大将 山梨半造 | 海軍 | 大将 加藤友三郎(~23.5) 大将 財部 彪 |
司法 | 岡野敬次郎 | |
文部 | 鎌田栄吉 | 農商 | 荒井賢太郎 | 逓信 | 子爵 前田利定 | |
鉄道 | 伯爵 大木遠吉 |
書記 | 宮田光雄 | |||
22 128日 |
伯爵 山本権兵衛 [ 第2次 ] 1923年(大正12年)9月2日 ~ 1924年(大正13年)1月7日 (海軍大将 薩摩閥) |
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外務 | 男爵 伊集院彦吉 | 大蔵 | 井上準之助 | 内務 | 子爵 後藤新平 | |
陸軍 | 大将 田中義一 | 海軍 | 大将 財部 彪 | 司法 | 平沼騏一郎 | |
文部 | 岡野敬次郎 | 農商 | 男爵 田 健治郎 | 逓信 | 犬養 毅 | |
鉄道 | 山之内一次 |
書記 | 樺山資英 | |||
23 157日 |
子爵 清浦奎吾 1924年(大正13年)1月7日 ~ 6月11日 (前・枢密院議長) |
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外務 | 男爵 松井慶四郎 | 大蔵 | 勝田主計 | 内務 | 水野錬太郎 | |
陸軍 | 中将 宇垣一成 | 海軍 | 大将 村上格一 | 司法 | 鈴木喜三郎 | |
文部 | 江木千之 | 農商 | 子爵 前田利定 | 逓信 | 男爵 藤村義朗 | |
鉄道 | 小松謙次郎 |
書記 | 小橋一太 | |||
24 597日 |
伯爵 加藤高明 1924年(大正13年)6月11日 ~ 1926年(大正15年)1月28日 (憲政会総裁 貴族院議員) |
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外務 | 男爵 幣原喜重郎 | 大蔵 | 浜口雄幸 | 内務 | 若槻礼次郎 | |
陸軍 | 大将 宇垣一成 | 海軍 | 大将 財部 彪 | 司法 | 横田千之助 (~25.2) 小川平吉 (~25.8) 江木 翼 |
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文部 | 岡田良平 | 農商 農林 |
子爵 高橋是清(25.3廃止) 子爵 高橋是清(25.4新設) 岡崎邦輔(25.4 ~ 8) 早速整爾 |
商工 | 子爵 高橋是清(25.4新設) 野田卯太郎(25.4 ~ 8) 片岡直温 |
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逓信 | 犬養 毅 (~25.5) 安達謙三 |
鉄道 | 仙石 貢 |
書記 | 江木 翼 (~25.8) 塚本清治 |
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25 446日 |
若槻礼次郎 [ 第1次 ] 1926年(大正15年)1月30日 ~ 1927年(昭和2年)4月20日 (憲政会総裁 貴族院議員) |
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外務 | 男爵 幣原喜重郎 | 大蔵 | 浜口雄幸 (~26.6) 早速整爾 (~26.9) 片岡直温 |
内務 | 若槻礼次郎 (~26.6) 浜口雄幸 |
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陸軍 | 大将 宇垣一成 | 海軍 | 大将 財部 彪 | 司法 | 江木 翼 | |
文部 | 岡田良平 | 農林 | 早速整爾 (~26.6) 町田忠治 |
商工 | 片岡直温 (~26.9) 藤沢幾之輔 |
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逓信 | 安達謙三 | 鉄道 | 仙石 貢 (~26.6) 井上匡四郎 |
書記 | 塚本清治 |
政界関連一覧表
大正時代の衆議院総選挙
※ 第13回総選挙まで定数381 第14回より定数464
※ 第13回総選挙まで選挙権は、直接税10円以上納税の25歳以上男子(全国民の2.5%程度)
※ 第14回・第15回総選挙の選挙権は、直接税3円以上納税の25歳以上男子(全国民の5.5%程度)
第11回総選挙 明治45年 (1912年) 5月15日 |
立憲政友会 209 |
立憲国民党 95 |
中 31 |
無 46 |
※中:中央倶楽部 無:無所属 |
第12回総選挙 大正4年 (1915年) 3月25日 |
立憲政友会 108 |
立憲同志会 153 |
中 33 |
国 30 |
大 12 |
無 48 |
※中:中正倶楽部 国:立憲国民党 大:大隈伯後援会 無:無所属 |
第13回総選挙 大正6年 (1917年) 4月20日 |
立憲政友会 165 |
憲政会 121 |
国 35 |
無所属 60 |
||
※国:立憲国民党 |
第14回総選挙 大正9年 (1920年) 5月10日 |
立憲政友会 278 |
憲政会 110 |
国 29 |
無 47 |
||
※国:立憲国民党 無:無所属 |
第15回総選挙 大正13年 (1924年) 1月31日 |
立憲政友会 100 |
政友本党 116 |
憲政会 151 |
中正 42 |
革 30 |
実 8 |
無 17 |
※中正:中正倶楽部 革:革新倶楽部 実:実業同志会 無:無所属 |
大正時代の参謀総長
参謀総長 | 参謀次長 |
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元帥陸軍大将 長谷川好道 1912年(明治45年)1月20日 ~ 1915年(大正4年)12月16日 |
中将 大島健一 (12.4 ~ 14.4) 中将 明石元二郎 (14.4 ~ 15.10) 中将 田中義一 (15.10 ~ ) |
元帥陸軍大将 上原勇作 1915年(大正4年)12月17日 ~ 1923年(大正12年)3月17日 |
中将 田中義一 ( ~ 18.10) 中将 福田雅太郎 (18.10 ~ 21.5) 中将 菊池慎之助 (21.5 ~ 22.11) 中将 武藤信義 (22.11 ~ ) |
陸軍大将 河合 操 1923年(大正12年)3月17日 ~ 1926年(大正15年)3月2日 |
中将 武藤信義 ( ~ 25.5) 中将 金谷範三 (25.5 ~) |
陸軍大将 鈴木荘六 1926年(大正15年)3月2日 ~ 1930年(昭和5年)2月19日 |
中将 金谷範三 ( ~ 27.3) 中将 南 次郎 (27.3 ~ 29.8) 中将 岡本連一郎 (29.8 ~) |
大正時代の海軍軍令部長
海軍軍令部長 | 軍令部次長 |
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海軍大将 伊集院五郎 1909年(明治42年)12月1日 ~ 1914年(大正3年)4月22日 |
中将 藤井較一 (09.12 ~ 14.3) 中将 山下源太郎 (14.3 ~ ) |
海軍大将 島村速雄 1914年(大正3年)4月22日 ~ 1920年(大正9年)10月1日 |
中将 山下源太郎 ( ~ 15.8) 少将 佐藤鉄太郎 (15.8 ~ 15.12) 中将 山屋他人 (15.12 ~ 18.6) 中将 竹下 勇 (18.6 ~ 20.10) |
海軍大将 山下源太郎 1920年(大正9年)10月1日 ~ 1925年(大正14年)4月25日 |
中将 安保清種 (20.10 ~ 22.5) 中将 加藤寛治 (22.5 ~ 23.6) 中将 堀内三郎 (23.6 ~ 24.4) 中将 斎藤七五郎 (24.4 ~ ) |
海軍大将 鈴木貫太郎 1925年(大正14年)4月25日 ~ 1929年(昭和4年)1月22日 |
中将 斎藤七五郎 ( ~ 26.7) 中将 野村吉三郎 (26.7 ~ 28.12) 中将 末次信正 (28.12 ~) |
大正時代の枢密院議長
枢密院議長 | 枢密院副議長 |
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元老 公爵 山縣有朋 1909年(明治42年)10月26日 ~ 1922年(大正11年)2月1日 |
伯爵 東久世通禧 (1892.3 ~ 1912.1) 伯爵 芳川顕正 (12.1 ~ 17.3) 子爵 清浦奎吾 (17.3 ~ 22.2) |
子爵 清浦奎吾 1922年(大正11年)2月9日 ~ 1924年(大正13年)1月7日 |
子爵 濱尾 新 (22.2 ~ 24.1) |
子爵 濱尾 新 1924年(大正13年)1月13日 ~ 1925年(大正14年)9月25日 |
一木喜徳郎 (24.1 ~ 25.3) 男爵 穂積陳重 (25.3 ~10 ) |
男爵 穂積陳重 1925年(大正14年)10月1日 ~ 1926年(大正15年)4月8日 |
男爵 岡野敬次郎 (25.10 ~ 12 ) 倉富勇三郎 (25.12 ~ 26.4) |
男爵 倉富勇三郎 1926年(大正15年)4月12日 ~ 1934年(昭和9年)5月3日 |
男爵 平沼騏一郎 (26.4 ~ 36.3) |
大正時代の内大臣と宮内大臣
内大臣 | 宮内大臣 |
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元老 公爵 桂 太郎 1912年(大正元年)8月21日 ~ 同年12月21日 |
子爵 渡辺千秋 1910年(明治43年)4月1日 ~ 1914年(大正3年)4月9日 |
皇族 伏見宮貞愛親王 1912年(大正元年)12月21日 ~ 1915年(大正4年)1月13日 |
子爵 波多野敬直 1914年(大正3年)10月26日 ~ 1920年(大正9年)6月18日 |
元老 公爵 大山 巌 1915年(大正4年)1月13日 ~ 1916年(大正5年)12月10日 |
男爵 中村雄次郎 1920年(大正9年)6月18日 ~ 1921年(大正10年)2月19日 |
元老 侯爵 松方正義 1917年(大正6年)5月12日 ~ 1922年(大正11年)9月18日 |
子爵 牧野伸顕 1921年(大正10年)10月26日 ~ 1925年(大正14年)3月30日 |
伯爵 平田東助 1922年(大正11年)9月18日 ~ 1925年(大正14年)3月30日 |
一木喜徳郎 1925年(大正14年)3月30日 ~ 1933年(昭和11年)2月14日 |
伯爵 牧野伸顕 1925年(大正14年)3月30日 ~ 1935年(昭和10年)2月26日 |
関連動画
関連項目
228 | 229 | 230 |
明治(めいじ) 1868~1912 |
大正(たいしょう) 1912~1926 |
昭和(しょうわ) 1926~1989 |
脚注
親記事
子記事
- なし
兄弟記事
- 22
- 0pt