天理教とは、奈良県天理市を中心に全国に拠点を置く新興宗教である。
概要
1838年に教祖(おやさまと読む)の中山みきに「親神天理王命」が憑依し、親神のやしろと定まり、その口を通して親神の意志が伝えられることになったとされている。
教祖は大日本帝國政府に逮捕されたが神道に改宗するということで解放される。そのため、一般的には教派神道として日本史の教科書にも出てくるくらい神道的イメージが濃厚だが、教団自体は終戦直後に一派独立運動を掲げ1970年に「教派神道連合会」を正式離脱したことで現在では文化庁発行の「宗教年鑑」でも神道系ではなく諸派扱いである。尚、教祖自身は天理の教えを説かれるまで敬虔な仏教徒でもあったためか当初は高野山に許可を願い出ようとしたり(ただ中山みき自身は浄土宗だったのでなぜ高野山なのかは謎である)成立までには結構紆余曲折があったりする。
教祖がお隠れになって以後、1888年に東京府から「神道直轄天理教会」の本部設立が認可され、この年に現在の天理市に移転。尤も、教祖としては教団としての結社化並びに大掛かりな本部建設自体には消極的で、「社はいらぬ。小さいものでも建てかけ」「つぎたしは心次第」と言っていたのだが教祖が隠れた後、何故か後者の言葉が暴走して現在に至る。
天理市の人類生みの地であるぢば甘露台を「聖地」としており(ちなみにぢば甘露台へお参りすることを「おぢばがえり」という)、また、天理市の地名はこの天理教から来ている。いわば天理市は「宗教都市」といっても過言ではない。ちなみに天理教に死後の世界観というものは存在しない。人間の身体はあくまで神様からの「借りもの」であり、心が己のもの。一般的に「死」とされるものはその時点で一旦、神様に「借りもの」であった身体をお返しするのであって、後にまた違う形で生まれ変わるので「出直し」と呼ばれる。
後は色々と難しい言葉が出てくるのでWikipediaの当該項目を参照。
組織
教祖は現在においても存命でお隠れになっているとの事なのだが、そうは言っても隠れられたままではやっていけないので現在の代表は中山家が世襲する真柱と呼ばれる人物がそれに位置する。本来は真柱も神様の意向を伝える代表的役割なだけで神様の下では兄弟のはずなのに何故か一般信者は真柱”様”と呼び、本部に隣接する「真柱邸」にも深々と頭を下げたりする。そして某教団の機関紙よろしく天理教にも「天理時報」という機関紙があるのだが、ここでもやっぱり真柱”様”への崇拝は止まらない。まあ一面にデカデカと来ていないだけマシだが(一面はほとんどが行事報告と震災以後は復興支援への取り組み記事が中心となっている)。とはいっても絶対的権力者という訳でもなく、他の幹部役員との集団合議制的だったりする。
学校法人を持っており、天理高校は高校野球の名門校で、同じ宗教系で奈良代表の智弁学園と1,2を争っている。奈良県大会では天理VS智弁が決勝などで組まれることもあり、非常に注目される試合となっている。過去には夏2回、春1回の優勝があり、2009年現在で夏24回、春19回の出場実績がある。関本賢太郎、長崎伸一、藤本博史、門田博光らを輩出している。
また、天理高校以外にも天理教校学園高校というものもあり、平たく言えば、天理高校は割と普通の高校的な雰囲気もあるらしいが天理教校の方は信者養成機関的性格がより高い。まず入学要件に天理教のお務め実技がある(天理教校学園高等学校は2023年で閉校)。
真柱の項でも触れたが、教えとしては神様の前では皆一れつ兄弟のはずなのに教団組織は思いっきり縦社会だったりする。その縦割りぶりは例え同じ地域にある教会であろうと、所属する系列教会が違えば交流する機会もさほど無い(ただ個人的に親しい別系列の教会に参拝に行く分に束縛はない)。
本部での宗教行事の際には、全国各地から桜井線天理駅に向け「天理臨」と通称される団体臨時列車が運転される。近年珍しくなったブルートレインなどで運転されるものもあり、鉄道ファンから注目される。
勧誘
勧誘に関してはやる気のある者、無い者の差がかなり顕著であり、本部としては特別に統制している訳でもない(よって、ここでも所属教会で温度差が出てくる)。あったとしても大体は教祖の教えを唄や踊りで体現した「みかぐらうた」と呼ばれるものを駅前や路上で延々とやっていたり、街を練り歩いているだけだったりするので興味が無ければそっとしておいて大丈夫だ、問題ない。ただ、もちろん中にはお宅訪問する人もいる(と言うか信者養成コース的な道を選んだ人はまずやらされる)。
あと、つい付いて行っちゃったとしても、天理市内の施設で非常に眠たくなる講話(別席)を9回も受けて真柱さんに正式な手続きをしてもらわない事には正式な信者としては登録されないので、まずその時点で興味が無い人(特に遠方)にとっては相当気が遠いお話だったりする。だいたい教祖の教え自体が「むりにどうせといわんでな そこはめいめいのむねしだい」なので、来るもの拒まず去る者追わずなのだ。
そんなわけで本部神殿自体もいつでもオープン。信者じゃなくても入れるし金も取られる事はない。なので観光気分で見る程度なら面白いのではないかと思う。あと天理教とは関係無いが、観光の際には天理スタミナラーメンが筆者的にはお勧めである(ニンニク臭さえ気にしなければ)。
関連動画
関連項目
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