奈良元信(ならもとのぶ 生没年不詳)とは、讃岐国の戦国武将である。
概要
奈良家は細川勝元の時に活躍した「細川四天王」の家柄であり、活躍した1人である奈良元安は元信の父にあたる。
細川家の家臣として抜群の信頼を得る。しばらく京付近にて所領を得て子・細川元政を宇多津に置いて家臣に後見させた。
長く細川家に仕え、細川晴元が三好長慶によって滅ぼされると三好家に仕えた。
しかし、所領は細川時代比べると大幅に減封され、三好家の重臣・篠原氏が1553年に讃岐守護代に就任になると宇多津を抑えられてむなしくも所領を失っていった。
それでも1562年の河内教興寺で起きた畠山高政との一戦では讃岐衆の1人として三好義興に従い出陣し、功をあげた。
奈良家について
子・元政は奈良勝政と同一人物説があるが、父は1467年に活躍、勝政は1582年に死亡とあり、奈良元信本人の情報も不明といったところである。
仮に父・元安が1440年代生まれと仮定すると早くて1460年代、遅くても1490年代生まれとなると予測される。
本願寺蓮如みたいに80過ぎての子供というケースも考えることもできるが(1520年代生まれになる)、極めて稀なケースであり、1553年に宇多津領召し上げの件を考えると到底考えにくい。
しかし、1562年に出陣した教興寺合戦がネックになるのでどのような生涯を送ったかは想像し難いのが現状である。
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