概要
738年、毘沙門山妙法寺が聖武天皇の勅願で開基されたことから始まったこの地域は、神戸市株式会社の土地開発政策や阪神・淡路大震災を経て、現在も発展を続けており、今日びの神戸市民が「レッツゴー!妙法寺」の名において、持ち前の神戸っ子的感覚を存分に発揮しつつ神戸市営地下鉄や神戸市バスなどの公共交通機関を全力で駆使し、こぞって駆けつけるべき場所としてにわかに且つ局地的に注目が集まっている。(狭隘路が多い当該地域での交通集中を防ぐため、マイカー訪れることは出来るだけ避けるべきである)
地形の起伏の激しい当地域は、それゆえに交通分断の問題を抱えており、長田区に隣接する東部の一部は神戸第二学区に所属している。(妙法寺の大部分は神戸第三学区) 尚、東部は市南部から北区(妙法寺駅から山側を向いて見えるカインズホーム付近が北区の南端)へ一般道で繋がる数少ないポイントであり、神戸市西部の交通の要衝ともされる。西神戸道路が無料化するまでは西区・垂水区および須磨区から北区へ無料で向かうための貴重なルートとして妙法寺はそれなりに重宝された。ちなみに、この付近は西部と比べて標高が高く、見晴らしがそこそこに良い。こんな場所から明石海峡大橋が見える・・・のかどうかは現地に足を運んでからのお楽しみ。
名物は妙法寺駅のデザイン、横尾隧道(窓付き山岳トンネル)、草原のエスカレーター、多井畑方面への心臓破りの坂、朝マック対応のマクドであるが、どれもこれも本来の所在地は妙法寺ではないのが殆どである。(この現象は西隣の名谷駅界隈に比べるとまだまだ誤差の範囲である)
昔、高倉山という須磨アルプスで最も標高の高い山が妙法寺の南西側にそびえ立っていたが、現在ではその山体はポートアイランド・六甲アイランドという人工島に姿を変え、震災での液状化現象を乗り越え、現在でも市民の足元を支えている。尚、その高倉山の跡地には石碑が建ち、周辺は高倉台として宅地開発され、須磨ニュータウンの一角を形成している。
詳しくは・・・
- 調べる。
- 現地へ足繁く通う。
- 妙法寺の民となる。
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