孫尚香とは、三国志の英雄・劉備の妻である。父は江東の雄・孫堅。兄に孫策と孫権がいるが異母兄妹である。一般的に、兄二人は呉夫人の子、孫尚香は呉国太の子とされているが、実は信憑性に欠ける。なぜなら、正史に呉国太に関する記述が一切無いのである。そうなれば、名も伝わらぬ孫堅の側室の子と言う所が妥当だろうか。
姓名
この時代の女性としては珍しく、姓名が判明している・・・と思いきや「孫尚香」という名は史実上には出てこない。この名は、三国志を題材にした京劇において、彼女を「孫尚香」名付けたのが始まりで、後に一般に広まったとされる。また、小説版「三国志演義」では、彼女の名前を「孫仁」と記している。しかし、この名は彼女の同母兄・孫朗の異名をそのまま使ったとの説が有力である。
よって、彼女の名は不明で史書には孫夫人としか表記されていない。
この項では、読みやすさを重視し「孫尚香」で統一する事とする。
演義
孫堅の第二夫人・呉国太の子として生まれる。幼い頃から気が強く、兵に交じって薙刀の鍛錬をするなど武芸を好んだ。また、常に腰に短弓を佩いていた為、自身の事を「弓腰姫」と呼ばせていた。
209年、劉備・孫権陣営同士の政略結婚の時に初登場する。この結婚は、劉備を警戒していた周瑜の計略で、呉の宮殿に呼び寄せて軟禁し、酒と女で骨抜きにしてしまおうというものだった。この婚姻話の相手が孫尚香であった。
母親の呉国太は、30近くも歳の離れた二人の結婚に反対し、「自分の目で人間を見極める」といって直接言葉を交わした。劉備に英雄たる風を感じた呉国太は、「この人なら」と結婚を許し、呂範が立案した酒宴での劉備暗殺に「私の婿殿に何をするつもりだ!」と一喝した。
婚礼の宴は盛大で、何日もの間豪華な酒宴が行われた。当の劉備はと言うと酒におぼれて英雄の影も無い状態。このままではまずいと感じた護衛の趙雲は、諸葛亮に託された策を用いて帰国を促した。しかし、「もう帰りたくない・・・ここで酒におぼれていたい・・・」と何とも情けない始末、尻を叩くようにして帰国の準備を進め、劉備・孫尚香の二人は荊州に向かって出発するのである。
逃亡の途上で、呉軍の武将達が次々に孫尚香を奪還せんと攻め寄せたが、その度に「私はこの方の妻です。妻が夫の家に住むのがおかしいのですか!」と一蹴。追撃を振り切って荊州へ逃げ込んだ。
荊州に入り安全な所まで逃げると、劉備は振り返って涙を流して嘆息したという。その理由が、
「長い事戦場で過ごしてきたが、こんなに腰を据えて贅沢をしたのは生まれて初めてだ・・・またあの日々に帰りたいものだなぁ・・・」
情けない話である。
子は無かったが、夫婦仲も良好であったという。しかし、自室の壁一面を武具で飾り、身の回りの世話をする女中に薙刀で武装させるなど、彼女の周りは常に物々しい雰囲気で、劉備はいつもびくびくしていたという。
その後、荊州を巡って劉備・孫権陣営の関係が急速に悪化する。そこで、張昭・魯粛は策を講じ、孫尚香を呉に帰国させようとした。まず、母・呉国太危篤の情報を流し、隠密裏に使者を孫尚香の元に送る。使者は「御母堂が最後に孫の顔が見たいとおっしゃっております。」と伝えた。孫尚香は、太子・劉禅を連れて無断で宮殿を抜け出し、使者の手引きにより船で呉へ出発しようとした。ところが、直前に察知した趙雲が単騎で急行、船の出港を抑える。そこに兵を連れた張飛が到着して包囲、使者を斬り孫尚香に戻るよう説得した。
しかし、母危篤の知らせを信じ切っていた彼女は断固として帰国すると主張、説得も無理と判断した両将は「ならば、太子さまは置いて行かれよ。大事あれば国家の存亡にかかわりますゆえ。」と語り、孫尚香は単身呉に帰国した。
ところが、いざ帰ってみれば母は全くの健康だった。その瞬間、「策にはまった」と理解した孫尚香は兄の孫権を面罵する。これに義母の呉国太も加わり、孫権は二人から糾弾されるのである。
劉備の元に帰ろうとするもそれは叶わず、遠い夫を思う日々を送っていた。再婚の話もあったが、彼女が望まなかった事、呉国太の「せめて正しい手順を踏んだ離縁ならいざ知らず、国家の策略に利用して引き離すなど。あの子はまだ劉備殿の嫁です。」との言葉により実現しなかった。
その後、夷陵の戦いが勃発し蜀軍は大敗北を喫する。この時、呉国内に勝報と共に劉備戦死の噂が流れた。この噂には誤報だったが、絶望した孫尚香は城を抜け出し長江に身を投げたという。
正史
演義では、「想ったら一直線!」と言った一途な女性として描かれているが、正史の記述はほぼ真逆である。
記述自体が少ないのだが、気が強く、傲慢で不遜な態度をとり、良く周囲とトラブルを起こした、とある。また、子飼いの官吏や兵士を多数呉から連れてきていたが、彼らは皆素行が悪く、法を犯す事しばしばであった。しかも、武装した女中を連れて宮廷内を歩くため、まるで威嚇行動の様であった。
あまりの傍若無人な態度に、劉備は豪胆かつ冷静、任務に忠実で信頼出来る男、趙雲を目付役に付けるという極めて異例な手段で彼女を牽制するほどに手を焼いていた。
当時の正室、側室の世話は、確実に血筋の守られた後継者を確保するという重要課題だった為、全員女性だったり、生殖機能の無い宦官を使うなどしていたのである。(男子禁制の大奥等もこれに該当する。)
にもかかわらず、信頼できるとはいえ宦官で無い男を目付に付けるのは国家の危険も伴う程の決断である。趙雲程の男を付けないと抑えられない。それほどの状態だったのである。
「北に曹操、南に孫権、更に内にあっては孫夫人の脅威があり、その中で我が君が志を遂げたのは、ひとえに法孝直の功績である。」
と法正を讃えながら、孫尚香を第一級危険人物扱いしている。
実は、前述した呉への帰国の一件では、呉に帰国しておらず荊州にとどまっている。しかし、元々良くなかった夫婦仲が急速に悪化し、孫尚香は公安という土地に別宅を構え別居状態となってしまった。後に、本当に呉に帰国し、その後の消息は不明である。
三国志大戦
過去作では蜀軍所属のスーパーレア、2を除いて呉軍所属でレアが登場していた。
常に1.5コスト武力5魅力持ち(3ではさらに勇猛持ち)と安定したスペックを持っている。しかし、どのバージョンでも「自身は優秀なのに、他がさらに優秀で、結果選択から外される」というパターンで使用率が振るわない。特に、SR孫尚香は激戦区の蜀1.5コストで弓兵と言う事も有り採用されづらい。
EXカードも登場しているが、どう見てもSR大徳劉備の嫁である。
復活の新・三国志大戦では当初は呉のみだったが、3月に蜀版も追加された。どちらもスーパーレア。
両方とも何かとは言わないがデカい。あとネコミミ。
呉の方は1コスト3/4魅力・勇猛となかなかのオーバースペック。計略「弓腰姫の目覚め」は関銀屛の持つ「若き血の目覚め」の呉弓版とも言えるもの。呉は超絶強化に困らない為目覚めるのは簡単だが、自爆無しとなるとほぼ甘寧が必須になる(呉の武力9が甘寧しかいない)。ある程度覚悟が必要。
蜀の方は3から変わらずお馴染みの性能。くぎゅ。
計略「孫呉式弓技」は1カウント程溜めて武力+6と2部隊同時攻撃と言う呉にくれよと言わんばかりの超性能。武力11の2部隊弓マウントは意外と痛く、蜀弓1.5コストで困ったら大体尚香の出番。
ちなみにライバルは沙摩柯。
問題は馬鹿みたいに多い1.5コストなのでとにかく枠を取り合う事か。
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