「孫翊」(ソンヨク 184 ~ 204)とは、後漢末期の群雄「孫堅」の三男であり、孫策と孫権の弟にあたる人物である。
字(あざな)は「叔弼」。
概要
- 小覇王孫策に似ているといわれるほど勇猛で、後を継ぐべきだといわれた事もあった。
- 振る舞いは横暴で、酒によっては配置を鞭打ったりしていた。張飛型死亡フラグですね。
- 若くして丹陽太守となった後のある時、配下の爲覧(キ覧)と戴員が辺洪と親交をもっている事が気に食わないとして叱責した為、逆恨みされて三人の手で殺された。
妻の敵討ち
能力一覧 | 統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 |
三國志11 | 41 | 16 | 80 | 70 | 84 |
夫の孫翊が、盛憲を攻め滅ぼした際に敵であった嬀覧(キ覧)と戴員を気に入って召抱えたものの、二人が辺洪と親交を持つ事を不条理に叱責した為に逆恨みされてしまい、孫翊を暗殺しようとしていた。
夫が殺害されようとしていた日に、得意の占いで夫の身の危険を察知した徐氏は、嬀覧(キ覧)と戴員が主催する宴席に向おうとする孫翊に危険だから宴席に行かないように忠告したものの、孫翊は宴席に出かけて、酒に酔ったところで剣を隠され、背中から滅多斬りにされて暗殺されてしまった。
夫が殺されたことを知った徐氏は犯人に懸賞金をかけたが、嬀覧(キ覧)と戴員は辺洪に全ての罪をかぶせて殺したうえ、孫翊の兵権を奪って横暴な振る舞いをするようになり、自分達を非難した呉の重臣の孫河をも殺してしまう。
ついには、嬀覧(キ覧)と戴員が未亡人となった徐氏にまで手篭めにしようと脅迫しはじめた。
二人が夫の仇である事を理解した徐氏は、敵討ちの為に亡き夫の部将であった徐元・孫高・傅嬰に助力を求め、亡き夫の法事を理由に人手を集めた。
嬀覧(キ覧)と戴員が脅迫してきた際に、亡夫の喪が明けるまで待つように言って危機を回避した徐氏は、今度は逆に、亡夫の喪があけたことを理由に二人を法事に招きいれた。
ノコノコとやってきた嬀覧(キ覧)と戴員は、化粧をして喪服に身を包んだ徐氏の微笑みに完全に油断し、徐元・孫高・傅嬰が潜んでいることも気づかずに泥酔し、頃合と見た徐元・孫高・傅嬰らにより嬀覧(キ覧)と戴員は殺され、同時に二人の家族や一族郎党までも電光石火の如く抹殺されて徐氏は敵討ちを果たした。
嬀覧(キ覧)と戴員の首を亡き夫の墓前に捧げた徐氏は、その後は孫権の元で余生を暮らすこととなり、敵討ちを果たした烈女の帰還に江東の人々は歓喜をもって迎えた。
※徐氏以外にも、江東には強い女・怖い女の逸話にことかかなかったりする。どんな土地柄だ。
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関連データ
能力一覧 | 統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 陸指 | 水指 | 身体 | 運勢 |
三國志 | 64 | 18 | 54 | 76 | 78 | ||||
三國志II | 81 | 41 | 40 | ||||||
三國志III | 76 | 42 | 35 | 45 | 70 | 52 | |||
三國志IV | 72 | 79 | 44 | 35 | 45 | ||||
三國志V | 81 | 50 | 25 | 66 | |||||
三國志VI | 65 | 78 | 60 | 30 | 66 | ||||
三國志VII | 70 | 36 | 45 | 56 | |||||
三國志VIII | 74 | 36 | 40 | 48 | |||||
三國志IX | 67 | 76 | 31 | 24 | |||||
三國志X | 69 | 75 | 26 | 15 | 30 | ||||
三國志11 | 67 | 78 | 27 | 16 | 45 |
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関連項目
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